その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8
その3 親神様は「人間の陽気ぐらしをするのを見て、神もともに楽しみたい」との思召から、この世界と人間をお創り下さいました。 では、陽気ぐらしとは何でしょう。 自由に好きなことができ、面白くて愉快な楽しい生活のこと。 私たちが何となくイメージするものを一言で表現すればこのようになるでしょうか。 さて、「人に迷惑をかけなければなにをしてもいい」とは、一般によく言われることです。子どもにもそのように教えておられるでしょう。 しかし、人は誰も一人では生きていけません。ですから、とりたてて悪いことなどしていないつもりでも、誰かに迷惑をかけています。 満員電車で通勤している人は大変です。車で移動するとき、交通渋滞に巻き込まれればストレスもたまります。 「これも仕事」と割り切ってはいても「もっと空いていれば」と人を恨むことなどもあるのではないでしょうか。 吊革につかまっている彼は被害者の一人ですが、他の人につらい思いをさせている一人でもあるのですから、同時に加害者でもあります。 ゴミ問題はなかなか深刻です。国や役所の文句を言っても、ゴミを出して生活しているのには違いありません。 迷惑をかけることを減らす努力はできても、なくすことはとてもできません。 私たちは、お互いに迷惑をかけ合い、お互いにお世話になってくらしているのです。 親神様は、陽気ぐらしとは次のようなものと仰せられます。 「陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、本当の陽気とは言えん。めん/\勝手の陽気は、生涯通れると思たら違うで」 「勝手というものは、めん/\にとってはよいものなれど、皆の中にとっては治まる理にならん」 親神様が望まれる陽気ぐらしの世界とは、人間が互いに立て合いたすけ合い「皆んな勇まして」くらすことです。 ともに働き、ともに喜びを分かち合うことです。 私たちは、いつも誰かのお世話になってくらしています。それを忘れて、己が利益のため、仲間内の楽しみのため、他の人々を苦しめ困らせるような自分勝手な行いを平気でしているようでは、とても陽気ぐらしにはなりません。 親神様は、すべての人間の親です。親として、子どもには分け隔てなく、陽気ぐらしをさせたいという切なる思いがあります。 私たち兄弟姉妹が仲違いし、反目しあってくらすより、仲良くたすけあってほしいのです。 「人に迷惑をかけなければいい」のではなく「人のお世話になってくらしているのなら、少しでも社会の役に立つことをしよう、人をたすけていこう」ということ、それが本来の道でありましょう。 そもそも人間は、陽気ぐらしをするようにつくられているのですから。 |
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