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「清水病院で受けた乳がん手術の後遺症」        2021年3月2日
 ―手術から29年経った現状―

 1992年1月に清水病院で受けた乳がん手術と抗がん剤の後遺症について、今までも雑記帳に記してきました。手術から29年経って新たに気付いた後遺症も含め現状をお伝えします。

 当時の手術件数からすると同様に苦しんでいる人が相当数いるのではと思います。私の対処法が参考になれば幸いだし、清水病院関係者には過去の問題として終わったわけではなく、当時の乳がん名医の大きな手術で今も苦しんでいる人たちがいることに思いをはせて欲しいと思っています。


1、大きな手術→身体のゆがみ・びっこ

 胸の中央から右脇下にかけて直角三角形の定規の形(二等辺ではない定規。鋭角が胸中央側)に皮膚ごと大きく切り取られ、上下の残っている皮膚をむりやり引っ張って縫い合わされているため、右肩が前に傾き落ち、その肩に引っ張られて肩甲骨から背骨、腰へとゆがみの連鎖で苦しんできました。
 身体全体が、雑巾を縦に両手で絞ってねじれた状態を想像すればわかりやすいと思います。

 手術直後から身体を元の状態に少しでも近づけるために定期的なケアが欠かせず、ずっと継続して整体・矯正の努力を続けてきましたが、それでも一昨年、まともに歩けなくなりました。

 身体のゆがみが原因であることはわかっていたので、ゆがみを正すためにいろいろ調べて出会ったのがオーダーインソールでした。
 細かい計測のもとに出来上がったインソールをスニーカーと室内履きで使い始め、インソールなしで歩くのはトイレとお風呂だけの生活になりました。

 そんな生活を続けて半年後のある日、右足が短くなっていることに気付きました。インソールを使わずに歩いてみると、左右の足で高低差ができてひどくびっこをひいているのです。

 それまでは身体全体がねじれて右足が下がったと思っていましたが、インソールで身体が矯正されてねじれがゆるみ、右半身が持ち上がってびっこが生じたと考えられます。右足が短くなったわけではなくて、右胸を切りとられている分が持ち上がったのではないかと思います。

 足がびっこになるほど大きなゆがみが生じていたのでは、整体や矯正を何年繰り返しても元の状態には到底追いつけなかったわけで、施術者が気の毒がる理由がわかりました。

 びっこに気付いた時はショックでした。手術から28年近く経っていました。
 インソールは3か月ごとに身体を計測して作り直していくので、手術で縫い縮められた脇の長さを考えると左右差のびっこは今後もっとひどくなっていくのではと思います。

 目が悪い時はメガネで視力を補うように、私のゆがんだ身体の矯正にはオーダーインソールが欠かせなくなりました。

 ハイヒールや、可愛いおしゃれな靴が好きで下駄箱にいっぱい並んでいますが、すべて履けなくなりました。
 胸が鉄板で挟まれたようなきつさは変わりませんが、オーダーインソールに出会えたおかげで背中のきつい凝りから解放され、普通に歩けるようになりました。

 身体のゆがみは足のびっこだけにとどまらず、首にまで影響が出ています。
 体操教室で大きな鏡に全身を映した時、ゆがんだ身体の上にある頭を支えるために首が曲がっていることに気付きました。
 身体がバランスをとるためにこんなところにまで影響が出ているのかと思うと、自身を憐れむと共に愛おしくなってきます。インソールで徐々にゆがみが修正されて、首が元に戻るといいなと思っているところです。


2、チタンクリップ→電磁波過敏症

 乳がん手術で止血用にたくさんのチタンクリップが体内に埋め込まれていたことを裁判経過中に知った時は驚きました。手術当時は何も知らされていませんでした。しかもそれが、何年も経って身体に影響が出てくるとは考えも及びませんでした。

 最初に異変を感じたのは手術から20年ほど経って、クルマをハイブリッド車に替えた時でした。乗った途端におなかにズシンとなんとも言えない不調を感じ、乗ることができないことがわかりました。私専用ではないクルマだったのでよかったのですが、この時、初めて電磁波の影響を知りました。

 それから数年後、またクルマの買い替えをきっかけに体調不良を起こし、苦しくてクルマを見ることさえできなくなってしまいました。
 本能的に裸足で地面に立って放電し、体調を取り戻しながら電磁波について調べました。私専用のクルマなので電磁波を防いで乗る方法を考えなければなりませんでした。
 パソコンに向かうことも電磁波の影響を受けるため、身体の放電を繰り返しながら調べることは本当につらい作業でした。

 そこで電磁波過敏症を知り、チタンがアンテナの役目をして電磁波を集めてしまう事を知りました。やはり乳がん手術と関係していたことを知って落ち込みました。後遺症がまた一つ増えました。

 私のクルマはもちろん電気ではなくてガソリン車を選びましたが、今のクルマは電磁波だらけとのこと。エンジンをかける場合、スタートボタン式からエンジンキーを差し込んでひねる従来の方式にするだけでも電磁波を軽減できると言われてスタートボタンをはずしてもらいました。

 電磁波の問題はクルマだけではなく、敷地内に電柱はあるし、屋根には太陽光電池を設置して家の中はオール電化だし、電力メーターはスマートメーターになっているしで、気付けば電磁波だらけです。

 電磁波過敏症がきっかけで電磁波対策グッズがいろいろあることを知りました。今はそれらにとても重宝し助けられていています。
 クルマの中はもちろん、部屋や台所など電磁波が気になるところに電磁波軽減パネルやカードを置いています。私自身も外出時に放電カードを携帯したり、毎日就寝前に放電カードで放電して、今は体調不良を起こさずに生活できています。

 チタンクリップが体内にあることを知っていたために、体調不良と電磁波が関係あるのではないかと疑問をもって調べることができましたが、知らなければ電磁波対策グッズにいきつかず、原因不明の体調不良で日常生活に支障をきたすところでした。

 手術の際、その後の生活に影響が出る可能性がある材料を使う場合、患者に説明すべきだと痛感しています。


3、リンパ節廓清→リンパ浮腫ほか

 乳がん手術で右腋下と鎖骨下リンパ節を切除されています。
 油断するとリンパ浮腫で右腕がむくんでしまうため、死ぬまでケアを怠ることができません。

 リンパ液を腋に戻すためのマッサージ器をほぼ毎日使い続けています。20年以上がんばってくれた器械は昨年買い換えました。
 就寝時はリンパ浮腫を防ぐために右腕を身体より高くする必要があり、右腕の下にクッションを置いて、掛布団の上に腕を出して寝なければなりません。

 浮腫(むくみ)が出た時の苦しさを思えば、大変でも毎日毎晩の浮腫予防ケアは欠かせません。

 経年とともに顔や腕の不自然な左右差(シワやシミ)もリンパ節廓清と無関係ではないだろうなと思っています。
 

4、抗がん剤→潰瘍性大腸炎

 乳がん手術後の抗がん剤がきっかけで直腸炎から潰瘍性大腸炎を発症し、その治療経過雑記帳に記してきました。

 手術を回避するために腸内フローラ移植を続けてきましたが、昨年はなかなかいい状態になりませんでした。しかし、潰瘍性大腸炎用に開発された止血用の菌液が功を奏し、今年になって見事に回復しました。研究が進んでいることを、とても心強く思っています。

 炎症が出てしまうと私がつらいだけでなく周囲に迷惑をかけてしまうので、今後も移植に支えられて体調管理に努めていきたいと思っています。

(参考) 腸内フローラ移植は、以前は大阪にあったクリニックでしか移植を受けることができませんでしたが、現在は研究分野が「シンバイオシス研究所」に、移植は「腸内フローラ移植臨床研究会」が組織されて、研究会に属している各地の医療機関で同じ菌液・移植方法で移植を受けることができるようになっています。


5、まとめ

 「外科病棟の半数以上が乳がん患者ですから安心して下さい」。入院した日に病棟婦長から言われた言葉です。
 安心どころか、廊下を行きかう人たちの後姿は肩が落ち、左右どちらの乳がん手術を受けたのか一目瞭然でした。広いリハビリ室へ行けば、乳がん患者であふれていました。

 乳がん名医の手術を受けてしまった結果、安心どころか現在は上述したように日々一時一時、後遺症との闘いが続いています。命ある限り、生涯を閉じるまでケアを怠ることができない身体になってしまいました。

 オーダーインソール・電磁波対策グッズ・リンパ浮腫対策・腸内フローラ移植、どれひとつ欠けても今の私は生活を維持していくことがことができません。
 幸い、私自身は折々に出会いに恵まれ命をつなぐことができていることに心から深く感謝して過ごしていますが、同様の手術を受けてしまった人たちのことを思うと本当に心が痛む毎日です。

 現在、清水病院が存続している陰に、かつて君臨していた乳がん名医の手術と治療で苦しみ続けている人たちがいることを絶対に忘れないでください。


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「雑記帳」に掲載の「乳がん手術と抗がん剤の後遺症」から抜粋再掲します。今も気持ちは変わっていないからです。 

 これほど私を苦しめている「乳がん手術」。こんなひどい手術がなくなるよう、生き証人として後遺症の苦しさを伝え続けるつもりです。しかも、手術した時点でがんの所見は何もなかったのですから、なぜ小坂医師はこんな非人間的なことができたのか、また、まわりの人たちが許していたのか、手術から何年経っても疑問を払拭することができずにいます。
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                                竹下勇子(2021年3月2日)

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