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竹下裁判

裁判が終わって

 12年近くの裁判を経験して、裁判所では、事実の根拠がない作り話が通用するものだということがよくわかりました。あまりにも一般常識とかけ離れた判断をする司法に虚無感を抱くとともに、一般人には受け入れられなくても裁判所を説得できる病院側の虚構づくりのテクニックに負けたという思いです。まさか裁判で嘘がまかり通るとは思ってもみませんでした。

 民事裁判は「立証責任は原告にあり」と言われます。私の裁判は、がんではないことを立証する難しさに苦しみ続けました。提訴後に病院側が主張し始めたがんの証拠が手術当時にはなかったことを明らかにするために12年近い歳月を費やしました。しかし、裁判が棄却されたことで、病気がつくられた場合、患者側は手の打ちようがないことがよくわかりました。

 カルテは空白で証拠を残さず、訴えられれば後からいくらでもがんの“証拠”を出すことができるお手本となる裁判でした。がんの所見がなくて切っていいという裁判所のお墨付きが出るかどうか乳がん学会で判決を注目しているという話を耳にしていましたが、ご期待に沿える結果が出ました。

 審理が続いている間は病院側の主張に対して、「今度こそ」の思いで望みをかけて証拠をつきつけては打ち砕かれる、の連続で、落ち込んだり喜んだりの繰り返しでした。なぜ、裁判所にわかってもらえないのか、どうしたらわかってもらえるのか、そればかり考えて過ごしてきました。

 病院側の代理人はDNA鑑定に詳しい高芝弁護士(国の戦没者遺骨のDNA鑑定連絡会議メンバー)1人に対して、私は地裁の途中で静岡の弁護士を解任し、その後、東京の弁護士2人に依頼して地裁・高裁を闘い、上告に際しては裁判官生活が長かった大阪の女性弁護士にも加わっていただきました。

 がんではないことを立証するために、最初の頃は、がんの唯一の証拠である標本が私のものではないことを立証する活動をしました。DNA鑑定のことについての調査活動です。その後、提訴から6年半経って、亡き喜納教授の夫人と出会ってからは、喜納教授に診断してもらったという病院側の主張が虚構であることを立証する調査活動が加わり、高裁ではTSL鑑定の虚構を暴くところまで辿り着きましたが、結局、裁判所を説得することはできませんでした。

 私をがんだとする病院側の主張があまりにも突飛なので、検証するためにいろいろな経験をしました。

標本が私のものではないことの立証のためのDNA鑑定について調べる活動

 地裁でDNA鑑定と病理鑑定が決まった時には、裁判長から手段・方法がわからないから原告から鑑定人に連絡をとるよう言われました。ところが、その次の期日、裁判長から連絡をとったのか訊かれた私の当時の代理人は「いいえ」と答えたのです。この時、裁判の流れが一気に変わったと思いました。DNA鑑定と病理鑑定の順序が入れ替わってしまったのもこの流れの一環でした。

 DNA鑑定結果が出た後、それまでの代理人を解任し、新しい代理人と鑑定人のところへ説明を聞きに行ったことがありました。鑑定人から「(塩基配列が)1ヶ所違えば他人です」と前置きされて、鑑定中に塩基配列の違いが出た時、公立病院でこんなことがあるのかと大変に驚かれたこと。そのうち、2ヶ所、3ヶ所と違いが出たために、他の研究者にも何度も確認作業をしてもらったことを聞かされました。鑑定人は同席していた私が鑑定依頼者本人であることを後から知って、私がショックを受けたのではないかととても心配して下さいました。

 DNA鑑定書の塩基番号が1つずつずれて記載されているミスと、塩基配列の違った箇所が日本人特有の塩基部分だということに気付いて教えてくださった科学者にも出会いました。その後連絡がとれないので、この場で心よりお礼申し上げます。

 この事実を知った時、私は日本人特有の塩基配列をもっていることがわかって喜びましたが、標本はナニ人なの???ということになって、ほんとうに驚きました。

 私の組織と標本のDNAが一致しない鑑定書が出たことで、裁判長から「DNA鑑定について裁判所も初めてでわからないので、みんなでお勉強しましょう」と言われ、岐阜大学の永井先生をお招きして当事者だけではなく、聴講を希望する協力医や支援者たちも一緒に審尋室で講義を受けました。講義を受ける前には岐阜大学まで代理人と永井先生を訪ね、標本と違っていた塩基配列を私と同様に日本人のほとんどがもっているデータを見せていただいて、標本が日本人のものではないと確信をもつことができました。

 ところが、病院側ががんによって変異した可能性を主張し始めたことで優勢から一挙に劣勢に転落。しかも、前任者から引き継いだ裁判長から「標本が原告のものではないからと言って、原告ががんではない証明にならない」と言われたことで、それまで、一生懸命に目指してやってきた標本は私のものではないという立証活動が何の役にも立たなくなったことを思い知らされ、すべて水泡に帰した思いでした。

 立証に行き詰まった時、同じ医者(被告医師)にがんではないのにがんだとして手術されて放射線科へまわされた患者のカルテを裁判所へ出したことがありました。裁判長から「原告のものではない証拠を出して、原告は何をおっしゃりたいのですか?」と言われました。この裁判長が地裁判決を出しました。

喜納教授に診断してもらったという病院側の主張が虚構であることの立証活動

 浜松医科大の喜納教授に標本を診断してもらったという話は、提訴後に病理についてこちらの求釈明の申立に答える病院側の書面で初めて登場してきました。当然、証拠は何も存在していません。調べたところ、喜納教授はとても著名な病理医で、しかもすでに亡くなられていることを知って大変驚きました。

 病院側の主張であるし、ご本人が亡くなられているのでは事実を確認するすべもなく年月が過ぎていきました。

 喜納教授夫人を探し当てた時には私からの突然の電話に、亡くなられた教授が私の裁判に登場している話に驚かれ、裁判に利用されていることを教授夫人がまったくご存知ないことがわかりました。亡くなられている人に責任を負わせる病院側の手口に憤りを感じると共に教授夫人がとてもお気の毒で、喜納教授が裁判とは無関係を証明しなければ教授夫人に申し訳ないと痛切に思いました。そして、喜納教授の手帳と日記が遺されていることを知って驚いたことを鮮明に覚えています。

 喜納教授は夫人に、手帳や日記を処分するよう遺言されたそうです。にもかかわらず遺してあったことが、まさかこんなことで…と複雑なご心境を話されたことがありました。そのような大切な手帳や日記と、ご葬儀の際に寄せられたご功績をたたえる数多くの弔文を裁判の証拠としてご協力いただきました。それらの証拠を拝見した時、喜納教授が私の迅速標本を診断したことなど、誰もが信じられる話ではない、裁判所はわかっていいはずだと強く思いました。  

 教授夫人は裁判所に、「亡き喜納が利用されたと知って、喜納と日本の医学の名誉を守るために陳述いたします」と陳述書を提出して下さいました。陳述書には、当時、喜納教授が日本だけでなくWHOの仕事で各国の病理医の育成に貢献されていたお立場だったことが説明され、遺された手帳と日記をもとに私の裁判とは無関係であったことを明らかにして欲しいと書かれています。

 ストップウォッチを持って、小坂主張にそって清水病院から浜松医科大の喜納教授の教授室までの時間を計った時には、階段はエレベーターを使った場合の所要時間まで調べました。喜納教授の行動については日記にそって、浜松のご自宅から駐車場、教授室、標本の診断にかかる時間、病理レポートを作成する時間、磐田市立総合病院までの所要時間等々を調べました。幸い、喜納教授が生前ご一緒にお仕事をされていた方々のご協力を得ることができ、詳しく検証することができました。ご協力下さったみなさまに心より感謝申し上げます。

 裁判所には、喜納教授の診断は物理的にもありえないことを主張することができましたが裁判所はいっさい無視しました。

 永久標本を喜納教授に届けたとされる塩野義製薬の社員に連絡をとるために、本社へ行って上司に相談したこともありました。平成4年1月6日に浜松へ行った証拠を調べるためです。交通違反を起こしていれば警察に記録があるのにと考えもしました。

 しかし、残念ながら裁判所を説得することはできませんでした。喜納教授が診断した標本も病理レポートもいっさい存在していないのに、裁判所は診断したと認定したのです。

 上告棄却を喜納教授夫人に伝えました。教授夫人は私からの電話に、「どうにかならないのでしょうか」と憤懣やるかたないご様子でした。裁判は終わっても教授夫人にとってはこれからもご心痛が続く結果となってしまい、本当にお気の毒で申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 ご遺族が知らないところで亡くなられた人が裁判に使われ、証拠がいっさいないのをいいことに、生前の行動を勝手に決め付けられるとは甚だしい冒涜行為だし、ご遺族にも計り知れない苦しみを与える許し難い行為だと思います。著名な方々は死後も安心していられない世の中だとつくづく思いました。

調書の記載ミス発見「原告ががんであったことは認める」
 地裁判決後、判決文に引用されている一文が気になり、裁判所へ調書(書記官が作成する)を調べに行きました。すると、提訴から1年も経っていない第5回口頭弁論の調書に「原告 ガンの性状の点を除き、原告がガンであったことは認める」と書かれていたのです。驚きました。これを読めば、私がガンだと認めたことになってしまいます。大事な主語が間違って記載されていました。

 この時は、標本ががんだったかどうかこちらが私的に確認した後だったので、「原告は標本がガンであったことは認める」が正しかったのです。

 こんな記載が調書に残っていたのでは、その後の裁判はなんだったのかと意気消沈してしまいました。でも、控訴に向けて気を取り直して地裁調書の間違いを上申書と控訴理由書で指摘しました。

控訴審では
 控訴に向けて相談に行ったある国立大学の法医学者は地裁DNA鑑定書の肯定、否定、いずれの結論も得られず検査不十分という結論について「逃げたね」と表現されました。また、「外科医が外国旅行に行った際に(がんの標本を)入手したんでしょ、手術すれば儲かりますから」と、平然といとも簡単におっしゃいました。聞かされた私たちは唖然とし、専門家の見方はそういうことなのかと驚くと同時に標本は外国人のものだと確証を得た思いでした。

 高裁でDNA再鑑定が認められ、裁判所が推薦したTSLに鑑定を依頼することが決まった時、裁判所の推薦だからとTSLを疑うことなく信じてしまいました。しかし、後からどれほど悔いたことか。TSLは裁判が始まった頃から病院側の証拠書類を出していたSRLの子会社だと知ったからです。

 それどころか次々と問題が明るみになっていきました。TSLの同じ鑑定人が同時期に保土ヶ谷事件の裁判で標本のDNA鑑定を依頼されたのに核DNAを解析できず、技量不足を謝罪している書面を見つけたのです。また、大阪の弁護士が乳がんの標本の鑑定をTSLに依頼して断られた話も入ってきました。しかも断った理由が、私のものと思われる鑑定の結果が納得できるものではないため、今後引き受けないという内容でした。さらに、日本大学の押田教授によってTSL鑑定は非科学的であることがわかり、裁判所に意見書を出しました。しかし、裁判所は高裁でも最高裁でも押田教授の意見書にはいっさい言及しませんでした。裁判所の推薦を信じて、とんでもないところに鑑定を依頼したものでした。

 がんの標本が私のものであるという証拠はないのに一方的に私のものとされる。喜納教授が標本の病理診断をしたという証拠は何も存在していないのに病院側の言い分だけを取り入れられる。勝手にストーリーを創られて裁判所にもがんにされた判決には打ちのめされましたが、これまで述べてきたように裁判を通していろいろな経験をすることができた立証活動には納得しています。

 DNA鑑定のこと、病理のこと、標本のことについて、それぞれの専門家の先生方を訪問して、いろいろなことを教えていただき、こちらの主張に間違いはないことを知って、裁判では心強く闘うことができました。素人の素朴な疑問に快く丁寧に答えて下さった先生方に心から感謝申し上げます。

 以前は乗り物酔いがひどく、酔い止めの薬なしでは電車やバスはもちろん、新幹線にも乗ることができず旅行とは無縁の生活でしたが、立証活動に夢中になっていたためか乗り物酔いはすっかり消えて、日帰りで東京はじめ、仙台や大阪、岐阜、松本などへ行きました。以前の私からは想像もつかない別人のような生活でした。手術による後遺症は変わらずにきついので整体治療を続けながらの裁判生活でしたが、生き方に大いに刺激を受けながら、主張や反論を考えて頭の体操が続いた11年8ヶ月でした。

  長い間のご支援をこころより感謝申し上げます。ありがとうございました。

                  2007年11月9日            竹下勇子

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