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水病院の乳がん診断法―裁判所が「筋が通っている」と
                   認めた診断方法とは

                           
2024年6月1日

迅速標本の診断――12月27日(金)(初診翌日)、生検手術後、
              迅速標本を作った
              それを小坂医師が持って清水病院から
              タクシーで静岡駅へ
              静岡駅から新幹線で浜松駅へ
              アポなしで浜松医科大病理医の喜納教授の
              もとを訪れた
              喜納教授ががんと診断した
              その際に、1月6日にできあがる永久標本の
              診断も頼んだ

永久標本の診断――1月6日(月)小坂医師は年始回りに来た
              塩野義製薬の営業マンに永久標本を
              喜納教授に届けるよう頼んだ
              喜納教授からがんという診断を電話で聞いた

どちらも喜納教授の病理診断レポートは存在せず、口頭のみ
裁判所は「筋が通っており、これを虚偽であるとする根拠はない」と認定
裁判当時、喜納教授は亡くなっており、遺された日記を奥様が保持
*詳しくはルポライター米本和広氏寄稿「判決の真実・死人に口なし」参照


がん診断にかけた費用は誰もち?          
浜松駅から浜松医科大までもタクシーを使っただろうし、浜松医科大から清水病院まで帰路も往路と同様の交通手段(タクシー⇄新幹線⇄タクシー)だとすれば、往復交通費や日当だけでも相当な費用が掛かったはず

しかも「アポなし」なので、喜納教授がいらっしゃらなかったらすべて無駄遣い
翌日の竹下へのがん告知に向けて、まさに「師走」の賭け

喜納教授にとっては仕事納めの日にアポなしで、突然小坂医師から初めての診断依頼、しかも迅速標本で
病理レポート無し・口頭のみにしても、著名な教授に初めて診断をお願いするにはそれなりの費用をお支払いしたはず

永久標本の診断は製薬会社の営業マンが年始回りに来ることが大前提
営業マンは永久標本を託されて清水病院から浜松医科大まで、他の年始回り営業仕事そっちのけで小坂医師に従ったことになる

竹下1人の乳がん診断にかけた費用は、総額いくらで誰が支払ったのでしょうか? 


急ぐ理由は?
竹下の場合(91年)
初診日     12月26日(木)
生体検査   12月27日(金)
がん告知   12月28日(土)
入院日     1月4日(土)
手術日     1月8日(水)

初診翌日の生検・次の日にがん告知は竹下だけではなかった

93年の乳がん患者4人の初診日から手術日までの推移(竹下調査から)
         Aさん   Bさん   Cさん   Dさん 
初診日     9月7日  10月19日  11月2日  11月17日
生体検査    9月8日   10月20日  11月4日  11月25日     
がん告知    9月8日   10月21日  11月4日  11月25日
入院日     9月8日   10月20日  11月4日  11月25日
手術日     9月22日   11月1日  11月17日  12月3日

彼女たちは初診で、「明日、一日入院で生検」と言われて、初診翌日に入院させられ、入院・生検・がん告知が同日だったり翌日だったのです
竹下の時(91年)よりスピードアップ

生検後に逃げ出そうにも証拠(しこり)は採られて無いし、次の病院で診てもらうことは不可能な状態
しかも「一日入院で」と伝えながら、生検当日にがん告知で入院継続、帰宅もできない

情報を得る・伝える機会もない状態で、生検前に逃げ出すには初診帰宅後しかなかった(過去に救えた人は1人)

ちなみに彼女たちが手術を受けた93年度(平成5年度)の乳腺手術件数は、「癌95件・その他223件」(清水市立病院年報平成10年度による)、計300件超



がん告知が生検当日、あるいは翌日
病理診断は?
がん告知は確定診断に使われる永久標本作成を待てばいいだけのこと
そもそも、皆が皆、初診翌日の生検はなぜ?


謎解明
乳がん患者量産のポイントは、初診翌日の生検
生検は証拠隠滅・がん標本登場場面作りのため?


生検場面はがん標本を登場させるために設定されたのか…
そうでなければ、皆が皆、初診翌日に生検を受けさせられる必要性は考え難い

<生検で得た勇子さんの組織は、どこかの時点で他人のがん組織とすり替えられたとしか考えられないのです。>(近藤誠著「近藤誠の「女性の医学」P.25」

「どこかの時点で」とは、「生検時」としか考えられない


がん標本入手は可能か?
控訴審を前に近藤誠医師と弁護士たちと相談に行ったある国立大学法医学教室の教授は、「外科医が海外旅行に行った際、入手したんでしょ、切ればもうかりますから」といとも簡単におっしゃった
この法医学者は市側代理人と同じDNAに関する政府委員会の委員だったことを後から知った

竹下のがん診断費用に、他人のがん標本代追加です


他の乳がん患者の診断は?
「いつ・どこで・だれが診断したか」の問いに、裁判途中から浜松医科大病理医の亡き喜納教授が登場しましたが、生検当日にがん告知された人たちが提訴した場合、どんなシナリオが用意されたのでしょうか

喜納教授奥様から「竹下裁判と無関係であることを証明して欲しい」と、悲痛な叫びがお気の毒過ぎます

手術から30年以上経っても<これほど下手な外科医が日本にいることに驚いた>(近藤誠意見書)下手な手術の後遺症に苦しむ現実と、乳がん手術件数下手な手術写真を目にするたびに、久保山さんが声を上げた時(89年)・竹下が市政モニターとして問題提起した時(94年)に、被害を食い止めることができなかったことが返す返すも残念でならない

元より、乳がん名医を喧伝して講演会を開き、市民に検診を煽り続けて暴走させ、挙句の果てに竹下提訴時に東京のDNA鑑定訴訟の第一人者を代理人にした市ぐるみならば何をか言わんやですが


                    竹下勇子(2024年6月1日)

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