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清水病院と浜医の関係——「腎臓内科 浜医から3人派遣」記事
                を読んで      
                            2026年3月18日
                  

1.「乳がん診断」は「浜医大K教授」
2.永久標本は「アンダーソンモデル」(欧米人特有の塩基配列)
3.怒りとご心痛
4.いつどこで誰が診断
5.「乳がん診断」市側主張のおさらい
6.清水病院と浜医の関係—竹下裁判に利用



1.「乳がん診断」は「浜医大K教授」
 現在、清水病院が存続している陰に多くの被害者が苦しんでいることを忘れてはなりません(事故一覧参照)。とりわけ絶対に風化させてはならない清水病院乳がん事件において、清水病院の「乳がん」を「浜医大K教授が診断した」過去を忘れるわけにはいきません。

 竹下のものだという標本を「浜医大K教授ががんと診断した」と市側は主張し、その主張を根拠に裁判所は「竹下はがんである」と認めました。重要なことは、市側が裁判途中から浜医大K教授診断を突如主張し始めたことです。当時K教授はすでに亡くなり、がん診断の証拠となる病理レポートは存在していませんでした。

2.永久標本は「アンダーソンモデル」(欧米人に特有な塩基配列)
 しかも、診断に使われたとされる「永久標本」は東京医科歯科大での DNA鑑定の結果、私のDNAと一致せず、「アンダーソンモデル」(欧米人に特有な塩基配列)だとわかりました。岐阜大学では私が日本人特有の塩基配列であることを再確認し、信州大学では「外科医が外国旅行に行った際に(がん標本を)入手したんでしょ、手術すれば儲かりますから」と、平然といとも簡単に言われました。近藤誠医師と弁護士2人共々同席していた夫と私は唖然として、専門家の見方はそういうことなのかと驚くと同時に、「永久標本」は外国人のものだと確証を得ました。
 小坂医師が浜医大K教授に診断依頼したという「永久標本」は、そのような代物でした。

3.怒りとご心痛
 浜医大K教授夫人と出会い、亡くなられた教授が私の裁判に利用されていることをまったくご存知ないことがわかりました。亡くなられた人に責任を負わせる市側の手口に憤りを感じると共に、夫人がとてもお気の毒で、K教授が竹下裁判とは無関係を証明しなければ申し訳ないと痛切に思いました。
 夫人はとてもお心を痛めながらも、無関係を証明するために教授の日記や手帳など貴重な資料を証拠としてお貸しくださいました。また、市側主張を検証するために教授の関係者を複数ご紹介くださいました。

 2003年8月、浜医大でK教授関係者複数に直接お会いして裁判状況をお伝えした際、根拠を列挙されて「ありえない」「信じられない」を連発されました。「診れば支払いも生じるはずだ。大サービスして診たとしてもレポート無しはありえない。奇妙だ、依頼票なしで診るわけがない。そんな無責任なことはできない。」等々、私が怒られているように強くお怒りでした。

 小坂医師が生検手術後、清水病院から迅速標本をもってK教授を訪ねたという足取りをK教授関係者のご協力によって時間計測し、K教授の日記に記された行動と照らし合わせて検証した結果、物理的にもありえないと裁判で主張しましたが、退けられました。

 教授夫人は裁判所に、「亡きKが利用されたと知って、Kと日本の医学の名誉を守るために陳述いたします」と陳述書を提出して下さいました。陳述書には、当時、K教授が日本だけでなくWHOの仕事で各国の病理医の育成に貢献されていたお立場だったことが説明され、遺された手帳と日記をもとに竹下裁判とは無関係であったことを明らかにして欲しいと裁判所へ訴えました。

4.いつどこで誰が診断
 清水病院乳腺外科で小坂医師は初診翌日生検をして、次の日がん告知でした。生検を急いだ目的が、がんではない証拠を隠滅するためと、「がん標本」を登場させるアリバイづくりとしか考えられず、翌日のがん告知まで時間的に病理診断が介在したとは考え難いため、「いつどこで誰が診断したのか」を市側に問いました。その答えとして唐突に登場させてきたのが、当時すでに亡くなられていた浜医大K病理教授でした。

5.「乳がん診断」市側主張のおさらい
「迅速標本診断」―生検手術後、小坂医師は迅速標本をもって清水病院からタクシーで静岡駅へ。静岡駅10時26分発「こだま」で浜松駅へ。アポなしで浜医大K教授に初めての診断依頼で「がん」と診断してもらった。その際、永久標本ができた時の診断も頼んだ。

「永久標本診断」―小坂医師は年始回りに来た塩野義製薬の営業マンに頼んで永久標本をK教授に届けてもらい、電話でK教授から「がん」だと診断結果を聞いて竹下家族に伝えた。

6.清水病院と浜医の関係―竹下裁判に利用
 初診翌日の生検から「がん告知」まで1日しかありません。「がん診断したのは浜医大K教授」という市側主張に、「標本が空を飛んだのか…」と、弁護士とキツネにつままれた思いでした。説明を求めたところ、「小坂医師が生検手術後に迅速標本をもって、アポなしで浜医大K教授に初めての診断を頼んだ」となりました。

 浜医関係者から「迅速標本で診断するものは賛成できないはずです」「本来は自分の病院の担当病理に依頼するのが通常のやり方です」と教えていただきました。清水病院の場合は浜医ではなく、東海大病理でした。

 浜医大までの交通費・診断費用等いっさい生じず、請求なし支払いなし。そして、肝心のK教授の病理診断レポートなし。つまり、K教授が診断した証拠はいっさいないのに裁判所は「K教授が診断した」と認めました。

 しかし、K教授夫人も浜医大関係者もK教授が裁判に登場していたことを私が伝えるまでまったくご存知ではありませんでした。市が無断で利用したならば、K教授を甚だしく冒涜し、権威を傷つける行為で到底許されることではありません。

 電話で敗訴のご報告を差し上げた際、「なんとかならないでしょうか」とおっしゃっていたK夫人の悲痛なお声が何年たっても耳に残り、お気の毒で申し訳ない気持ちと、市側の非情さに言葉に表せない感情におそわれます。

 市(旧清水市)は、売上げと小坂医師を守るため、あまりにも大きな多くの人権侵害を続けてきました。「乳がんは清水の風土病」あらため、「乳がん生産工場」でした。しかも、「これほど下手な外科医が日本にいたことに驚いた」(近藤誠意見書参照)ほどの下手な手術(手術写真参照)
 私が手術を受けた平成3年度の手術件数は乳がん90件、その他乳腺手術161件。翌平成4年度の手術件数は乳がん94件、その他乳腺手術238件(清水病院年報より)

 以上、清水病院の浜医利用が如実に表れた忘れてはならない事件を記しました。隠し事は信頼関係を損ないます。

K教授のご冥福を心からお祈り申し上げます。

*参考記事
 ルポライター米本和広氏寄稿
   「判決の真実」「65万分の1」  「死人に口なし」
           


                    竹下勇子(2026年3月18日)

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