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静岡市立清水病院・被害者の声(4)

交通事故後、3年半に6回の手術

 私は交通事故で右足骨折し、清水市立病院に約1年入院、その間3回の手術、退院後1年通院しました。その後他の病院に転院し、2回の手術と半年の入院生活を経験しました。

 私が清水市立病院で疑問に思ったことは、

・入院・通院中の2年間の間に3人も主治医が代わったこと

・退院後に3人目の主治医となった研修医が、最初は『長い時間はかかりますが骨の方は順調にいっています』 と言っておいて、なぜ急に『先が見えないので、今後症状固定もありえます』などと無責任なことを言われたのかの2点でした。

 私が3人目の研修医に「先が見えません」と言われた時は目の前が真っ暗になりました。思い余って「それはどういうことですか?」と突っ込むと、次回の診察日では翻って「超音波の機械を使用してみましょう」「他の医師とも相談して、骨移植の方法も検討しています」と言うようになりました。

 何故それなら、前回の診察時にそのことを言ってくれなかったのか。その研修医に代わってから半年間の通院期間の間に、真剣に治療方法を検討してくれなかったのか。してくれたのなら、何故それを伝えてくれなかったのか。その態度の豹変ぶりに不信感を感じ、他の病院への転院を決意しました。

 最初の半年の通院は2人目の主治医が担当でしたが、それも含めて退院後1年近くも通院させ、最初は希望を持たせた言い方をしておいて、いきなり「症状固定の可能性」と言われた時の身を切られるような気持ちを、どう考えておられたのか。私がわらにもすがる思いで色々と考えられることを言っても、何を言っても「それは駄目でしょう」「先が見えません」・・・の繰り返しでした。「先は見えません」「教科書に載っていない症例だから」という言い方は例え怪我の程度なり症状に照らして事実であってとしても、あまりにも無責任です。

 確かに私の場合、遷延骨折の治療の難しい症状で、いわゆる一般的な骨折の治癒過程から大きくはずれていること、骨の形成の問題なので治癒の見通しも時期もなかなか判断が難しいという状況でした。それでもK研修医だけの「裁量権の範囲で」そう言ったのでしょうか。
私は入院中、看護婦さんから「ここは基本的にチームで医療に当たっている」と聞いていたので、研修医が困っているのなら他の経験の深い先生が何とかしてくれると思っていました。

 その時は、それなら待合室にでかでかと「日本臨床整形外科医会.」発行の、「我々は骨折の治療のプロです。骨折を復帰させます」なるポスターを貼り、患者に幻想を与えることは止めて欲しいとさえ思いました。途中で治療をあきらめてしまうような医師は、果たしてプロと呼べるのでしょうか。

 転院先の病院では、単純X線の他に断層X線、骨シンチグラフィなど放射線を使った検査を受けました。(ちなみに清水の方でも確か地下に核医学検査の施設があったように思うのですが、そのような検査はしませんでした。必要な検査なら、どんどんやって欲しいし、その結果考えられる治療方法を模索して欲しかったです。もしこの病院では治療は無理と判断したなら、せめて他の医療機関などの情報だけでも与えて欲しかったと思います)

 転院先では、整形外科の部長さんに担当していただき、2回の手術と延べ半年の入院後も、同じ主治医が引き続き責任を持って治療にあたってくれています。

 月2回は診察日をとることができ、万一骨ができない場合でも「他にも方法があるから」と励まして下さいます。おかげさまで現在はやっと骨の回復が進み、歩き方もだいぶ良くなってきました。8月に最後の抜釘(ばってい)手術を行う予定です。
しかしここに至るまで事故後から約3年半かかり6回の手術を行うことになってしまいました。

 整形外科の部長さんでさえこんなに時間と手のかかる治療を、なぜ清水市立病院では来たばかりの研修医に任せたのかと 改めて怒りが込み上げてきます。

 ただ上記のことをひとことで言えば「ある病院で治らなかったから、他の病院に替わったということでは?」「そんな人は他にも大勢いるよ」「では客観的にどんな被害をこうむったのか?」「その証拠は?」と言われると言葉に詰まってしまいます。

 単に主治医あるいは整形外科チームの力量不足だった、怪我のダメージが大きすぎたのでは、と言われるかもしれません。医師がころころ替わる、替わる要因を作った病院の体質そのものが問題であると言われるかも知れません。

 ただやはり、こうなってしまった大きな要因のひとつに「主治医がころころ代わる」ということがあるのではと思います。これについては、私だけでなく一緒に入院していた患者さん共々大きな不安を共有しておりました。

 私の主治医は若い先生が多く、ほぼ1年間で他の病院へ移っていきました。最初は「主治医が代わることは考えられることだし、現状はこんなものなのかなあ」とあきらめていましたが、「宝島 病院に殺される」という本にある、医師の病院の異動データを見て清水市立病院の異常さが分かり、愕然としました。

 私は、医師と患者が信頼関係を築いてお互いが協力しあってこそ良い治療ができると信じていますし、それにはそれなりの時間がかかると思っています。実際私には小さい頃から診ていただいている内科系のかかりつけの医院がありますので、その存在をかみしめています。

 病院の現状を考えると、たしかに医師は外来診療、手術、カンファレンズ等々の激務で患者と接する時間は本当に限られていると思います。患者数の多い病院はなおさらです。それだけにたった1年間という期間で、患者との密接な関係が築けるのでしょうか。
それとも研修というだけで派遣しているのでしょうか。

 清水市立病院の院内には「研修認定施設です」なる認定証を見かけますが、患者さんにとってはここは命を預ける場所であって、決して研修施設でもなんでもありません。

 清水市立病院は今後は2人主治医制にすることも検討する、と考えているようですが、こんな状態でそんなことが可能なのか、疑問に思います。お金のかかる院内の案内システムを充実させたり回転ドアを作ることも大事かもしれませんが、それよりもそのお金で医師を増やしてひとりひとりの患者さんに十分時間を掛けていただける体制を作ってもらえないのでしょうか。

 ただ私は、正直に申し上げますが、清水市立病院の存在のすべてを否定してはいません。
 私が遭った事故は、ほっておかれたら死んでもおかしくないほどの事故でしたし、最初にここの病院に運ばれていなかったら、この世にいなかったのかもしれません。身を削って治療に励んでいらっしゃる先生方もたくさんおいでになるかと思います。

 また、私が小さい時には、清水市立病院は清水の万世町というところにあり、私は目の病気や扁桃腺の手術でとてもお世話になりました。それだけにここの病院にはとても愛着を感じていたのです。

 それだけに、この病院で起きている色々な問題を見聞きするたびにとても悲しく、複雑な思いをいたします。現在この病院の門をくぐることに躊躇するようになったことはとても不幸なことであると思っています。今よりも「よりよい」病院になってほしい、という気持ちは人一倍感じています。

 私など及びもつかない大きな被害を受けられている方々のお話を伺うたびに、いたたまれない気持ちと病院に対する強い怒りを覚えます。私がお世話になった時、とても良心的だったあの時のように、もっとしっかりしてくれ、というのが本音です。

 市民が本当に信頼できる病院になるためには、少なくとも被害を与えたことを認識し、被害者の方々にしっかりと謝罪することが病院として医師として、あるいは人間として最低のモラルではないでしょうか。カルテ改ざんを平気で行うような所に、誰も命を預けようとはしないでしょう。

 

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