読者の感想
●投稿「再反論。20代の医師さんへ」 米本和広 2009.09.12
医者側の論理
反論ありがとうござました。
再三、再四、熟読いたしました。とても興味深かったのは、医師側の報酬や労働時間など労働条件のことは長々と繰り返し書かれているのに、患者側の立場、医療事故で被害を受けた患者側(遺族側)の立場に立って物事を考える姿勢が皆無だったことです。
「人の命を救うんだ」という燐とした矜持がまるで感じられず、相変わらずのルサンチマン医師という印象を拭えませんでした。
20代医師さん(以下、あなた)の言いたいことの一つは、(1)勤務医たちは医療事故が起きても不思議ではない劣悪な環境下にある。(2)だから、現場を責めても何の解決も生まれない、(3)患者に不満があるのであれば、現場ではなく行政に働きかけるしかない−ということにあるようです。
この主張が私には不思議でならない。
医師が置かれた劣悪な環境を改善するのは、患者側ではなく、現場に精通している医師たちがやるべきことです。そして、患者側には協力を求めればいい。患者だって、医師から劣悪な環境を訴えられれば、署名活動に協力するぐらいのことはするでしょう。
このあたりまえのことは、医師の側からも声があがっています。本田宏医師(済生会栗橋病院)たちは『誰が日本の医療を殺すのか』『医療崩壊はこうすれば防げる!』(洋泉社)で積極的に発言し、医師たちも声をあげるべきだ、勤労医組合を結成すべきだと主張しています。
あなたは、こんな例を出されている。
「飛行機や、バスの運転士などは、徹夜で勤務させた、雇い主側に責任があるとされますが、なぜ、医師は徹夜勤務で、事故がおこらないほうがおかしいのに、 40度の熱があってふらふらでも心臓の手術でさえ先生方は遅延なく行わなくてはいけないのに、研修医は、まだ未熟で、上司の監督のもとに医療を行いたくて もいつも恵まれた条件で医療を行えるほど暇はなく、一人で経験が少ないのに治療をして事故が起きた場合なども、すべて個人の責任にされてきたのでしょう? そういう体制が問題だと思っています」
過労による交通事故の場合、「雇い主側に責任がある」というのは間違いで、「雇い主側にも責任がある」が正しい。交通労働者が酷使されての事故であっても、責任は労働者と雇い主の両者にあります。交通事故で家族を亡くし悲嘆に暮れている遺族に、交通労働者側が「俺たちを責めても何にもならない」と主張した例は、これまで皆無でしょう。
全国の勤務医諸君、団結せよ!
医療事故が起きた場合でも、事故を起こした医師と雇い主が責任を負うのは当然のことです。
医療過誤訴訟を起こしている人たちはたいがいの場合、病院長もしくは経営者を相手取って訴えています。現場の医師のみを訴えている原告はほとんどないと思います。
だから、「すべて個人の責任にされてきたのでしょう?」というのは事実誤認です。ほとんどすべてといっていいほど、雇い主の使用者責任も追及しています。
それにもかかわらず、あなたは「現場を責めても」「現場に文句を言っても」としきりに医師を擁護する。医療労働者は交通労働者と違うというのでしょうか。あなたの投稿を読んでいると、「井の中の蛙」という陳腐な言葉を思い出します。社会のことを知っているつもりでも、まったく知らないのではないか。
では、公立病院の勤務医の場合、雇っているのは一体誰なのか。
慶応など大学の医局なのか、勤務しているところの自治体の長なのか。
交通労働者と少しばかり違うのは、公立病院は大学の医局に再三頭を下げて、医者を派遣してもらい、そして雇用契約は役所との間で結ぶ。
派遣元は医局であり、派遣先は公立病院。派遣労働者と似たところがあります。
過労などによって交通事故を起こした労働者は、雇用主とともに、刑事責任を追及されます。どんなに劣悪な環境下にあったとしても運転手個人の責任は免れません。しかし、労働組合がしっかりしたところは、仲間たちが団結して経営者を追及します。「彼は加害者だけど、同時に被害者でもある」と。
医療労働者も同じことをやればいいのです。医療事故で家族を亡くしたり、後遺症で苦しむ人たちが集まって結成した「清水病院から被害をなくす会」のサイトに投稿するひまがあるのであれば、仲間に呼びかけ、勤務医を組織し、「彼(彼女)が事故を起こしたのは劣悪な環境のせいだ。真の責任はおまえたち(医局のボスあるいは自治体の長)だ」と追及すればいいのです。
自治体−大学医局−勤務医の構造にメスを
『医療崩壊はこうすれば防げる!』(洋泉社)で、地域医療に従事しているという樋口紘医師は公立病院問題について、次のように書いています。
「自治体病院の経営悪化の最大の悪要因は、生ぬるい公務員体質にあるのではないか。医療環境が厳しく複雑な時代に、医療経営に疎い事業管理者が県庁、市役所、町村役場から二年くらいの持ち回りで就任し、問題を先送りするだけで誰も責任を取らないお役所体質、さらに民間的発想による経営を一心同体となって真正面から取り組まない職員組合と事業管理者の親方日の丸的な馴れ合いなどが、全国共通で指摘されている」
これに付け加えれば、こうなります。
役所の病院担当者の仕事は、病院長や担当科目の部長などと一緒になって、大学の医局に頭を下げて、医師を派遣してもらう。派遣してもらえば、あとは終わり。
大学医局の教授は医局の医師に「君、すまんが、あそこの病院に行ってくれ。確かに、いい噂は聞かない公立病院だが、3、4年すれば別のいい病院に派遣するから、まあ、我慢してやってくれ」と引導を渡して、あとは終わり。
医師は、厳しい職場環境に声をあげることなく、ひたすら耐えに耐え、ときには業者から寿司でも奢ってもらって羽を延ばし、「あと何年すれば戻れるのだ」と指折り数える。
すべてが無責任体質なのです。「ひたすら耐えに耐え」ている不満を、被害者の会のサイトに投稿して憂さをはらす。あなたの投稿を読んでいると、そんな光景が浮かんできます。
公立病院問題の本質は、地方自治体−大学の医局−勤務医という構造にあり、そこに現場からメスを入れる必要があると思います。「病院長や議員に文句を言っても、医師の人数配置を増やせるように診療報酬が上がることはありません」などと言っていないで、現場から声をあげてください。
医療事故なのか合併症なのか
あなたやあなたの周囲の医師たちは、このサイトに掲載されている医療事故リストと事故が報道された新聞記事を読んで、
「医師側の意見として、避けられない合併症であろう事項も医療ミスと並列に並んでいるサイトと評価されています」
「新聞報道やマスコミは、そう(医師の過失)とは確定していないのに医療ミス(医療過誤)と書きたがる傾向も、危険なことだと思います」
と書く。
いったい、どの事故例(新聞記事)が合併症だと断定できるのでしょうか。あなたの表現によれば「評価されている」「不特定多数の医師側に思われるケース」といった類のものばかりで、証拠に基づいたものではなく、たんなる類推に過ぎません。
いったいに、新聞記者は医療事故(事故と思われる事件)が発生した場合、被害者、加害者、使用者(病院長など)に取材をかけます。そこで、加害者とされる医師が「避けられない合併症だった。医療事故ではない」と主張すれば、その根拠となる証拠を求めます。それが説得力あるものだったら、記事にはしません。
よしんば、いい加減な記事だったら、旧清水市(現静岡市)、病院長は抗議をします。しかしながら、病院側のサイト、議会議事録などを読んでも、「合併症なのに、過失事故だと書かれている」といった記述は一切見当たりません。
なにを根拠に、合併症と思われるとするのか。
事実を探求せずに、最初に「医師の庇い合い」ありきで、患者の気持ちなどまったく考えずに、「このケースは合併症の可能性が高い」とおしゃべりをしているだけではないかと思えます。なんだか、哀れな感じがしてならない。
患者に説明する時間もないのか
ひょっとすれば、事故一覧のケースの中には合併症があったのかもしれません(会の事務局は資料を豊富にもっており、迂闊なことはいえませんが)。
しかし、避けられない合併症であっても、医療裁判になることがあることは覚えておいたほうがいいでしょう。
それは前の投稿で書いたことですが、「この施術をすれば、こういう合併症になる場合もある」ということを事前に説明していたかどうかです。説明がなければ、民法の委任法によって、説明義務を怠ったとして損害賠償責任が発生します。
この点に関して、あなたの記述はきわめて曖昧です。
インフォームドコンセントは当然やっていますと言いながら、「一日一食」「一日中トイレにも行けない」「2日間完全徹夜」「数日泊まり込み」といった例を書いたうえで、
「(インフォームドコンセント)ぐらいと患者さんが常識的に思われる時間であっても現実はとても忙しい現場です」
「手術以外などについても、一般的にリスクが低いと考えられている治療に関しては、患者さんのご希望されるだけの時間は、外来はもちろん、入院中であっても、確保できないこともあるのが医療の現状だということを、患者さん側にもご理解いただき・・・」
と愚痴る。
あなたが書いていることを端的に言えば、「私たちはとても忙しい。だから、患者さんに治療の説明は十分にはできない」と言ってるのと同じです。
患者は、忙しい医者たちの言うなりになるしかないのでしょうか。
少なくとも、私はあなたの治療を受けたくはありません。怖くてしかたがない。
先の本田宏さんたちの本でも「医師不足」「忙しさ」については具体的に書いてありますが、「患者に説明する時間さえないのだ」といった記述はありません。むろん、医師の忙しさは自殺も考えたことがある(医師全体の6%)ほどであることは理解しているつもりです。
主に医師が書いている患者悪口掲示板を読むと、「俺たちは忙しい」と言いながら、のべつ幕なしで、モンスタークレイマーのことを書いています。よくそれだけの時間があるものだと感心するほどです。医師を批判する患者がモンスタークレイマーなら、掲示板にせっせと書き込む医師はモンスタールサンチマンだと思います。
掲示板への投稿者は卑怯にもすべて匿名。この拙文に反論したいルサンチマン医師は大勢いらっしゃると思いますが、その場合には実名でお願いいたします。
患者が求める医者とは?
あなたは、私の「平均」の表現にこだわっています。理解されると思っていたのですが、偏差値世代ゆえか、あるいは私の言葉が舌足らずだったのか・・。
私がいう「平均」とは「標準」のことです。
私たちは特別レベルの高い医師を求めてはいません。患者の気持ちを理解できる、標準的なレベルの医師にかかりたいと思っているだけです。(民法第644条を読んでください)
研修医や新米の医師は能力ではなく経験不足から標準に達しないレベルの医師と言えるでしょう。難しい治療に直面すれば、指導医の指示に従って治療を行うべきでしょう。そうして経験を積んで、標準的なレベルの医師になっていけばいい。しかし、医師不足の現状では指導医−研修医という体制が組めていない。それゆえ、「研修医・新米医師の医療事故の個人を責めても、意味がありません」と指摘されるのは、その通りだと思います。
しかしながら、清水病院でかつて行われてきた治療はデタラメにもほどがあった。
「あの市立病院にしてこの乱暴医療」と題して‘98年12月号の『いのちジャーナル』に書いた拙文を引用しておきましょう。
「清水市立病院の産婦人科に入院していたGさんは85年2月の夜、突然力みが来て分娩室に入った。その時、慶応から派遣された研修医の青木大輔氏は近所のスナック「キャッツアイ」で飲んでいた。20分ぐらいしてやってきた青木氏は会陰部切開手術を行った。切った瞬間、高圧電流に触れたようなしびれと痛みが走り、ギャッと叫んでしまった。
Gさんは青木氏がどの程度飲み、どんな手術をしたのか質問するために裁判への出廷を求めたが、病院側は拒否した。Gさん側は会陰部を切開しただけでなく、会陰腱中心、肛門筋挙筋、骨の膜まで切断してしまったと見ている。
入院中も退院してからも、座ると痛いし、歩くと下腹部に電流が走ったような痛みを感じる。それは13年が経過した今でも続き、取材中もGさんは持参のドーナツクッションの片方に重心を置いて座っていた。肛門筋が働かないから、排便もままならず、今も下剤が欠かせない状態だ。
彼女は病院を次々と訪ね歩いた。県立総合、浜松医科大、慶応大学病院、東大附属、清水市の今井産婦人科・・・・・。ハワイの病院まで足を運んだこともある。病院側は裁判で真っ向から否定しているが、それほど青木氏がやった手術は医学の常識では解明できにくいほどデタラメだったということだ。手術から9年経った94年に膣口から7ミリ大のたこ糸が2本出てきたことがあった。Gさんは「まだ糸は出てきそう」と寂しく笑う。縫合も杜撰だったようだ。
退院2ヵ月後に性生活をもったが、バシッと中が切れたような痛みが走った。赤ちゃんは授かったものの、このとき以来今日まで性生活はない。」
あなたがこのGさんのように、酔っぱらった研修医の手によって、膣をメチャクチャに縫合された場合、「研修医個人を責めても意味がない」と思われるのでしょうか。
この病院で行われてきたのは、まさに乱暴医療そのものでした。拙文を読んでいただけたら、どんなに医師だけの論理でしか物事を考えられないあなただって理解できるでしょう。
医療事故一覧に医師の名前が書かれています。
実名はあげませんが、この中にリピーターが少なくとも3人はいます。ある医師の場合、この病院に異動が決まった際、前の病院の職員たちは「これで事故は少なくなる」と拍手喝采したそうです。
この病院で行われてきたあまりにも乱暴医療に、耐えに耐えてきた被害者たちは勇気を出してついに声をあげました。2000年2月に「清水市立病院から被害をなくす会」を結成し、そしてホームページで被害の実態を公開することにしたのです。設立総会には病院の職員も参加し、会という外圧によって、よりよい病院になることを願ったのです。
ルサンチマンのたまり場である掲示板で、「被害をなくす会ではなく、病院をなくす会だ」などと揶揄している暇があるのであれば、どんな乱暴医療が行われてきたか、反面教師として学んでください。
忙しくて雑誌のバックナンバーを探す時間はないでしょうから、会の事務局に頼んで、これまでの記事をすべてアップしてもらうつもりです。ぜひ、読んでみてください。
※会事務局注:現在、表紙のみ掲載。記事のアップ作業準備中です。
記事全文をアップしました。(2009.9.18)
月刊『いのちジャーナル』(さいろ社)1998年11月号(6〜14ページ)
1998年12月号(14〜26ページ)
1999年2月号(78〜81ページ)
宝島社文庫『病院に殺される!』(宝島社)(134ページ〜171ページ)
2000年6月8日第1刷発行
※会設立までの経緯は宝島社文庫『病院に殺される!』をご参照下さい。
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