資料
『月刊いのちジャーナル1999年2月号(78〜81ページ)』(さいろ社)
ルポ「あの市立病院にしてこの乱暴医療」追記
●ひどい病院が噂にならないわけ
米本和広
被害に遭う者がバカなのか?
清水市立病院の私のルポ(注/本誌11月号「訴訟5件を抱えた病院が”いい病院”?」、12月号「あの市立病院にしてこの乱暴医療」)を読まれた坂東弥生さんは1月号の投書でこんな感想を述べておられます。
「被害にあわれた方々には何と言ったらよいのかわかりませんが、普通に読んでたら涙が出るほど笑いました。でもこれだけひどい病院が人びとの噂にならなかったのか不思議です」
被害者はこれを読んで「笑えるほどひどい病院にひっかかった私たちはバカということか」と落ち込みましたが、それはともかく、確かに2回にわたって書いた同病院の医療ミスの数々を読めば、坂東さんに限らず疑問を持たれるのは当然でしょう。
疑問が生まれるのは、「ひどい病院なら人びとの噂になるはず」という考えが前提にあるからだと思いますが、はたしてその前提は正しいでしょうか。私が今回の取材で痛感したのは、ひどい病院であっても人びとの噂にはならない、ということでした。それどころか、原稿でも書いた通り、あるムック本はこの病院はいい病院と紹介し、地元のテレビは副院長である小坂昭夫氏を乳がんの名医として取り上げていました。
ある医者が「診断も死亡診断も間違い。カルテは作成されていない。そんな病院がけっこうありますよ。カルテがないから訴訟を起こすこともできない」と教えてくれました。清水市立病院よりひどい病院はたくさんあるというわけですが、そんなひどい病院を私たちは新聞や雑誌で報道される以外知らないのです。
なぜ、噂にならないのか。
医療ミスを確かめるには
膨大な努力が必要
そもそも、自分が受けた病院での処置が適切なものだったかがわかる患者はおよそ皆無に等しいでしょう。それは、知識がないことはもちろんですが、患者同士、患者と専門家との自由な情報交換の場がないからです。
スーパーで買った商品に疑問があれば、近所の人に感想を聞くことができるし、消費者センターだってあります。しかし、医療の世界には、「あの医者はろくに診察しなかった」「看護婦の言葉がぞんざいだった」程度のことは情報(噂)として伝わっても、乳房切除の手術が下手かどうか、治療が適切だったか、そんなことがわかる場がないのです。
がん摘出手術後の放射線治療は入院ではなく通院で十分。このことを知ったのは、放射線の専門医である近藤誠さんに教えてもらったからです。それがなければ、医学知識のない私は清水市立病院で行なわれている入院治療が一般的だといつまでも思い続けたでしょう。取材という形で近藤さんと「情報交換の場」がもてたからこそ、間違いに気がついたわけです。
つまり、「情報交換の場」がなければ、ひどい治療が行なわれたのか知ることはできず、噂として流しようがないのです。
確かに、ひどい治療であれば、医学知識のない素人であれ、違和感は残ります。しかし、病院が大きければ大きいほど、ましてや清水市立病院のような公的病院なら、「権威」の前に違和感は心理的にたじろいでしまう。「私の感じ方がおかしいのかもしれない」、と。それでも違和感がピンポン玉ぐらいの小さな疑問に膨らむことはある。だが、医療ミスだったのではという疑問を独力で確かめるには膨大な努力を要します。いわんや、後遺症に苦しんだり、家族を失った人たちが、心の傷を抱えながら、調査することは至難のことでしょう。
被害を認識することすら
できない
よしんば気力を振り絞って調査を開始しようとしても、立ちはだかるのは業界慣習用語と専門用語。進歩的な人を含め医者はこうした用語を、好みなのか無頓着なのかはわかりませんが、多用します。市民の側に立つような報告書でもカタカナ、英記号が目立ちます。
ある店の野菜の鮮度が気になれば、われわれは他の店に行く。あたりまえの話ですが、このことを進歩的な医者たち(一部市民運動家や専門ジヤーナリストも)はわざわざセカンド・オピニオンと表現する。いったいこの横文字の意味を何人の人が理解できるでしようか。こんな例は無数にあります。反権威の権威性と揶揄したくなりますが、ことほどさように素人が医学の世界に入り込めないようになっている。先端の医学情報を素人にもわかりやすく書いている医者は近藤誠さんを含め、数えるほどしかいません。だから、素人が医学関係の本を読みこなし、「ひどい治療が行なわれた」と認識するのは希有なことなのです。認識できなければ、噂として流しようがないではありませんか。
11月号で登場してもらった久保山甲三さんは、妻の死に納得がいかず、残された子どもの面倒を見ながら、仕事の合間をぬって図書館通いをした結果、「ひどい治療が行なわれた」と確信し、裁判に踏み切ることにしました。頭の下がる思いです。こうまでしなければ、あそこの病院はひどいとは言えないのです。
このことがいかに難しいかを、乳がんを例にもう一度繰り返しておきます。乳房の温存手術を受け、原型をとどめない形になってしまった。当然、温存手術なのにという疑問は生まれます。しかし、執刀医の手術が下手だったことを知る手だてはあるでしょうか。近所の人たちに聞くことはできないし、消費者センターの相談コーナーに出かけるわけにはいかない。調べた範囲でしかありませんが、温存療法のいい例、悪い例の両方を比較した写真資料はありませんでした。仮にわかったとしても、「こんなひどい手術を受けた」と噂に流すことができるでしょうか。
「噂」が広がるルート
久保山さんが提訴し、乳がんの手術に疑問を抱いた竹下勇子さんが久保山さんの存在を知り、「ひどい手術を受けた」とやはり裁判に踏み切りました。法廷には比較の写真も提出したそうですから、勇気ある行動だと思います。こうした2人の動きがきっかけとなって、他の原告とも連携できるようになり、「噂」が集まるようになりました。それが回り回って私の耳に入り、取材が可能になったわけです。
噂には文字通り根拠がなくどうでもいいものと、根拠があって社会的に意味のあるものとの2つがあります。坂東さんが疑問に思ったという噂はもちろん後者でしょうが、根拠を裏付けて情報を流す場合、このように相当の努力と時間が必要だということです。結局は、裁判を起こし、それが新聞にでも載らない限り、情報は広がらないということなのです。
民間の病院ならもう少し早く噂のネットワークができていたかもしれません。しかし、清水市立病院は「市民のための病院」です。その病院のマイナス情報を流すことは、度胸がいります。病院の責任者は市長ですから、市長、市役所、市民病院に楯を突くことになる。人口24万人の清水市には市役所と関係した市民は大勢います。それに加えて保守的な風土ですから、訴訟を起こした人たちのことを「神経質な人たち」と冷やかに見る市民もいて、5件もの訴訟が起きたというのに噂が広かっていないのが現実です。訴訟が起きてから数年が経過しますが、病院のこと医療技術のレベルについて質問した市議は今のところ1人もいません。
噂が広がるルートは、被害者以外にもあります。1つは病院の看護婦と職員(労働組合)です。しかし、生活がかかっているし、病院の縦型組織は民間よりも厳格だから、内部告発は相当の勇気が必要です。告発といっても、経営者がワンマンであるとか、幹部が使い込みをしているといった類のものではなく、「うちの医療には問題がある」ということを実例をあげて話すしかありません。それは、A社の社員がうちの製品には問題がある(うちの製品を買ってはだめだ)と職場を全面否定するのに等しく、勇気だけでは……。退職した看護婦が情報を伝えることはできそうですが、情報範囲には自ずと限界があるし、それに辞めたところを悪く言うのは美徳とされない風潮もあります。一部の方が匿名を条件に取材に応じてくれましたが、噂として広がるルートにはなりえません。噂を流すことよりは、内部改革に取り組んでもらうことを期待します。
もう1つのルートは医者です。ところが、医者が他の医者の腕前について批判することはしないそうです。竹下勇子さんの裁判では他の病院の良心のある医者が証言台に立ちましたが、小坂氏の医療技術には触れないことが条件でした。近藤さんが「内部批判はタブーになっているが」と断りを入れながら、小坂氏の手術は下手であるとの意見書を裁判所に提出しました。画期的なことだそうですが、同じ職業にある者同士がその仕事ぶりを批判し合わないというのは、いろいろな職業を思い浮かべても、医者の世界だけでしょう。「化石業界」と呼ばれる所以ですね。
ひどい病院の情報が必要
こんなわけで、ひどい病院であっても、噂とはならないのです。今でも、清水市立病院の乳腺外来は盛況だといいますから、雑誌で2回書いたからといって、この病院の実態が清水市民に広く知られるにはまだまだ時間がかかりそうです。少々暗澹たる気持ちになってしまいますが、久保山さんや竹下さんたちの行動が何らかの形になって表れることを期待するしかありません。
いい病院か悪い病院か、そんな情報はどこにもないから、11月号で書いたように日本医療機能評価機構という財団がつくられ、病院の評価をしようという動きにつながったわけです。この財団のインチキぶりについてはすでに記事に書きましたので触れませんが、私はいい病院に行きたいというよりも、ひどい病院(ヤブ医者の多い)にだけは行きたくないと考えています。だから、ひどい例の噂を欲しています。しかし、耳をそばだてても、あまり聞こえてこない。
今回の取材で思ったのは、医療訴訟が起きている病院名、訴訟件数、訴訟内容を開示することはできないものかということでした。「訴訟が起きている病院はカルテがあるだけでもまとも」であるとしても、1つの目安にはなります。アメリカのコンビニエンスストアのフランチャイザーは加盟店を募集するにあたって、訴訟件数を開示しているそうです。
もう1つは仰々しい評価機構などではなく、消費者センターのような苦情センターがつくられないかということです。毎年、苦情件数のベスト10を年末に発表する。そうなれば、日本の病院の質はたちどころに向上するでしょう。
こんなことを夢想していると、すぐにある医者の言葉が蘇ってきます。「化石業界だから、戦争でも起きなきゃあ、日本の医学界は変わらんよ。戦争はいかんから、あとは医療訴訟がどんどん増えることを期待するしかないな」
そうでした。ないものねだりをしてもしかたがありません。ひどい病院の噂を聞いたら、それをせっせと流すことにいたしましょう。
よねもと・かずひろ◆1950年島根県生まれ。ルポライター。著書に『大川隆法の霊言』(宝島社)、『平成サラリーマン白書』(講談社)、『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』(洋泉社)などがある。「巨大カルト集団 ヤマギシ”超洗脳″体験ルポ」で97年に日本ジャーナリズム賞を受賞。
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