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がん診断の問題は病院と裁判のセットで      2017年1月21日


 読者から寄せられた「自著の紹介」を、「読者の感想に掲載しましたが、『がんの半分はニセがん(IDLE)。だから医師の私はがん治療は受けない』(木川芳春著・主婦の友社)の第5章に「乳がんは清水の風土病なのか」と、病理診断がなされない過剰診断の典型例として旧清水市で乳がん患者が多発したことが取り上げられていました。

 その本に引用されていた書籍、『その「がん宣告」を疑え』(福嶋敬宜著・講談社+α新書)を調べたところ、著者は病理医で、冒頭に「乳がんは清水の風土病」のことが書かれていました。参考文献に『追跡ルポ/虚像の名医・乳がんを切りまくった医師に問う』(月刊現代2003年1月号米本和広)とあるので、私の地裁判決(2004年3月)前のルポを参考にされたと思われます。

 病理医のお立場から枚方市の病院の誤診訴訟もとりあげて、<病理診断を完全に無視して手術をしたことは重大な問題と言えますが、現在の日本では、病理診断をしなかったからといって病院や医師に特別な罰則規定はないのです。>(同22頁終わりから23頁1行目>と、「つくられたがん患者」を生み出す要因を指摘されています。

 私が清水病院で乳がん手術を受けて(1992年1月)から四半世紀経ちました。事件を繰り返さないため、世に伝えていくことはとても大事なことだと思っているので、お二人の医師が「乳がんは清水の風土病」問題をご著書に取り上げて下さったことに感謝しています。

 しかし、私が経験したことは、<「つくられたがん患者」を生み出す要因>として、病院の問題だけを取り上げたのでは、なんとも片手落ちで、とても落ち着かない気持ちになるのです。
 つまり、「つくられたがん患者」を生み出した病院の後押しをした裁判の問題も取り上げる必要があるのです。両者の問題をセットにして世に伝えることで「がん患者づくり」に警鐘を鳴らしたいのです。

 判決では、カルテにはなかった亡き高名な病理医(国立医科大学教授)ががんと診断したという病院側の主張(言い分のみ、病理レポートなし)を認め、非常勤病理医が書いた病理レポートの日付の帳尻合わせを創作し、挙句の果てに、提訴後に病院側が出したがん病理標本のDNAの塩基配列の違いについて突然変異の可能性をもちだし、「がん患者づくり」の後押しをしっかりと果たしました。

 がん患者に仕立て上げる手引のような裁判のキーポイントは、病院(市)側弁護士の存在でした。(下記注参照)

 今後、同様な事件が繰り返されないよう、私の事件で病院と裁判の問題がわかりやすく書かれている書籍を以下に紹介します。近藤先生の許可をいただいて転載しますので、ぜひ多くの人に読まれることを期待します。


『近藤誠の「女性の医学」』(近藤誠著・集英社)23頁から26頁転載

がんを作り出す病院を司法は野放し

 Iさんは逆転勝訴しましたが、実は医療裁判では被害にあった患者側がしばしば敗訴します。明らかに医者のほうにミスや責任があっても、です。
 僕は、『患者の権利法をつくる会』および『医療事故調査会』の世話人となり、医療被害にあった患者さんの救済活動にも力を注ぐようになりました。それらの活動の中でも、医療における女性たちの不遇をたびたび目の当たりにしました。

 1991年、静岡県在住の竹下勇子さん(当時42歳)は、乳房にしこりを感じ、乳腺外科の名医がいると評判の清水市立病院(現・静岡市立清水病院)を受診しました。
 乳がんかどうかは触診、エコー(超音波)、マンモグラフィ(乳房のX線撮影)で多くは見当がつきます。それでもはっきりわからない場合は、しこり部分の細胞を注射器で吸引する細胞診を行い、それでも確定できない場合に組織を切り取る生検を行います。
 しかし、勇子さんの担当医は、細胞診をすっとばし、初診の翌日、説明もなくいきなり生検をして、その翌日に「乳がん」と診断を下しました。そして、「乳房温存療法はデータがない。命をとるか、危険をとるか」と迫った。おびえきった勇子さんは乳房全摘術に同意するしかなく、せかされるように初診から13日目には手術が行われました。
 手術の腕前は、評判とは裏腹にひどいものでした。術後、傷あとがふさがらずジュクジュクに。腕には機能障害が残りました。切り取ったがんについての説明を求めても、担当医は「神のみぞ知る」とまともに答えない。勇子さんは悩んだ末に、説明義務違反と機能を損なったことへの賠償を求め、1996年に民事訴訟を起こしました。

やがて、裁判上明らかになった諸事情から、「本当に乳がんだったのか」という疑問がわきました。診断に使った組織標本を他人の標本と間違えたのではないかと疑ったのです。
 そこで東京医科歯科大学の法医学教室に依頼してDNA鑑定が行われたのですが、驚きの結果が出ました。DNA配列が3ヵ所も異なっており、病院が提出した標本は他人のものであることがほぼ確実。ということは、生検で得た勇子さんの組織は、どこかの時点で他人のがん組織とすり替えられたとしか考えられないのです。
 ところが判決は意外なものでした。突然変異の可能性を否定できないなどの理由をつけて、鑑定結果は無視されたのです(インフォームド・コンセント違反があったとして一部勝訴)。控訴審でも鑑定結果は無視され、2007年、上告は棄却されました。
 奇妙なことに、提訴した時点では、DNAは争点になっていなかったにもかかわらず、被告人の弁護士には、最初から、東京のDNA鑑定訴訟の第一人者がすえられていました。おそらく病院幹部が選任したと思われる。つまりは病院側も乳腺外科医の所業を知っていて、組織ぐるみで隠蔽工作をはかったのでしょう。
 裁判には負けましたが、もし泣き寝入りしていたら、竹下さんはただただかわいそうな被害女性として、一生悔やみながら生きていかなければならなかったでしょう。
 竹下さんは裁判を通して、自分の人生を取り戻したのだと、僕は思います。
 彼女が勇気をもって声をあげたことで、同様の被害にあった女性たちが続々と現れました。竹下さんは自分のような被害者を出さないためにと、『静岡市立清水病院から被害をなくす会』を設立し、医療被害をなくすための活動を地道に続けています
(以上、転載終わり)


注:病院(市)側代理人は高芝利仁弁護士です。
  高芝弁護士は、「ヒトゲノム解析研究に関する共通指針(案)検討委員会」19名のう   ち弁護士としてただ一人、「戦没者遺骨のDNA鑑定連絡会議メンバー」7人のうち弁 護士としてただ一人選任されていました。


                              竹下勇子(2017年1月21日)



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