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静岡市立清水病院・被害者の声(1)

経過説明

2004年2月19日作成
岩田 登

概要

 平成7年に清水市立病院で受けた頭蓋骨の人工骨手術(以下、手術)の後遺症で苦しんでいる。しかも手術そのものが本当に必要だったのかどうか疑問である。
 平成3年に交通事故に遭い搬送先の清水厚生病院で鞭打ち症などの治療を受けた。事故から約1ヵ月後職場復帰した。清水市立病院で交通事故から3年後の平成7年に交通事故による頭蓋骨陥没骨折で脳を圧迫していると言われ人工骨手術を受けた。その直後から後遺症(激しい頭痛・記憶障害等)に苦しみ、退職を余儀なくされた。
 手術の根拠とされた「頭蓋骨が陥没骨折して脳を圧迫」という状態が本当にあったのかどうか知りたい。そして、脳を圧迫し手術が必要なほどの陥没骨折は、本当に交通事故によるものなのか知りたい。なぜならば、陥没骨折があったとすれば事故当時(手術の3年前)にわかったはずだと思うからである。
 手術から3年後、交通事故で搬送された当時の清水厚生病院の医師から、清水市立病院で手術された部位は幼児期の古傷と言われた。その後(手術から7年後)、弁護士から愛知県内の脳外医師に面談した結果「手術部位は確かに古いもので手術の必要性はなかっただろう」という報告を受けている。両親や兄・姉・妹に確認したところ、幼い頃、橋から落下し頭を打っていたことがわかった。くぼみ(ほんの少しの陥没)があることは自分でもわかっていたが、生まれつきのものと思い、全く気にせず過ごしてきた。
 手術前、日常生活はもちろん、社会生活も何の不都合なく過ごしてきたのに、手術後は後遺症のため睡眠もままならず、職も失った。
 現在、後遺症(激しい頭痛・記憶障害等)と、人工骨の所に触れると痛みがある。手術以来、後遺症治療のため数ヶ所の病院を受診したが、手術をした病院の責任と言われて受診拒否に会い清水市立病院へ戻った。しかし、清水市立病院の通院治療は平成14年9月に断わられ、今は清水厚生病院で痛み止めを処方してもらっている。
 清水病院に、圧迫があると診断した医師の受診を何度も求めたが、今現在、要求はかなえられない。
(注:平成15年4月、静岡市との合併により清水市立病院から静岡市立清水病院に名称変更)

経緯

平成03年10月
 出張帰りに交通事故(横断中、はねられた)に遭う。清水厚生病院へ搬送。頚椎捻挫等と診断された。10日間入院。約1ヶ月後に職場復帰。顔面外傷、左膝靭帯損傷がひどく、清水厚生病院と接骨院に通院。

平成04年06月
 症状固定と言われたため、示談を提示された。それまで加害者責任で保険会社の賠償金で治療費が賄われていた。まだ治療を受けていたため自己負担になると困るから示談できないと伝えたところ加害者側が鈴木弁護士を立ててきた。示談交渉に先駆け、保険会社(同和火災、渡辺氏)が身体の状態(鞭打ち症や顔面打撲による後遺症)を心配し、加害者側の鈴木弁護士が清水厚生病院に検査機器がないから清水市立病院へ行って検査してくれと言ったため、清水市立病院を受診。
 精密眼底検査により「(事故による)頭部打撲」と診断(木家医師(脳外))。他に頭部CT検査。(カルテより)
「CT結果から交通事故による頭蓋骨陥没骨折です。厚生病院でわからなかったのか」と言われた。(木家医師)
 CT検査をやったがMRI検査はやってくれなかった。

07月
 「交通事故による頭蓋骨陥没骨折。1年後手術か?」清水市立病院の木家医師。(カルテより)

08月
 「頭部単純写真、CTにて異常なし」清水厚生病院富田守医師診断書(平成4年8月21日付)。

09月
 清水市立病院で診察。(横井医師)

10月
 清水市立病院でCT検査。(横井医師)

平成05年06月
 「陥没骨折。1年後手術か?」清水市立病院早川医師。(カルテより)
 清水市立病院でCT検査。(早川医師)
 清水市立病院で診察。(早川医師)

08月
 鈴木弁護士から「清水市立病院へMRI予約しましたから検査を受けて下さい。」と言われて検査を受けた。その結果、「交通事故による頭蓋骨陥没骨折」と診断された(横井医師)。当時、鞭打ち症の痛みが我慢できる状態で、勤務にも支障がなかったため様子をみさせて欲しいと告げた。

平成07年02月
 清水市立病院受診時、「骨折で脳を圧迫」と言われ手術をすすめられた。(藤沢医師)
 それまで交通事故による頭蓋骨陥没骨折と診断されても勤務に支障がなかったため様子をみていたが、「骨折で脳を圧迫」と言われ、鞭打ち症の痛みもあり、恐怖から手術に応じてしまった。カルテに「強く手術を希望」と記載されているが、正しい説明がされていれば手術に応じなかったはずである。

03月
 人工骨手術(藤沢医師)。手術直後から激しい痛み、吐き気、記憶障害が症状として現われ、今日まで続いている。

10月
 後遺症のため休職。
(10月31日付藤沢和久医師診断書「自宅療養が必要です」)

11月
 激しい後遺症のため勤務先で紹介された静岡済生会病院受診。「事故から3年も経って、交通事故による陥没骨折の圧迫なんて」と診断と手術に疑問を呈された。清水市立病院の責任と言われ、静岡済生会病院での治療を断わられた。

12月
 JAの保健婦の紹介で磐田市立病院受診。「圧迫はない。人工骨の拒絶反応」と診断され、再手術をすすめられた。

平成08年01月
 磐田市立病院で再手術の紹介状を出された。
 紹介状を持って清水厚生病院→清水市立病院→清水厚生病院→清水市立病院へ。たらい回しにされ結局、清水市立病院受診。

02月
 市民相談室へ相談(交通事故関係)。

03月
 清水市立病院で再手術決定(藤沢医師)。形成外科中島医師から腰部の骨を使用すると説明を受けたがリスクが大きく効果は少ないとの理由で手術中止。藤沢医師から転任電話連絡有り。カルテに記録残すので心配するなと。

04月
 自宅にて後遺症について聴き取り調査2回。(病院職員である飯島部長、大橋、勝岡)
 院長室にて院長、尾内医師、岩田の3人での話し合い。院長から大学病院受診を勧められたが、尾内医師(脳外)から、「私はレーザー治療の経験がある。毎日、3〜4ヶ月通院して下さい」と言われ通院治療受ける。

07月
 自賠責の関係で自動車保険料率算定会静岡調査事務所の磯口氏から自動車事故に係わる請求関係書類提出を依頼され(平成8年7月11日付)、清水厚生病院と清水市立病院の頭部レントゲン写真・CT・MRI写真を送ったところ、自賠責が認められなかった。

12月
 尾内医師(清水市立病院)による「交通事故による頭蓋骨陥没骨折と後遺症」の診断で労災認定された(平成8年12月31日)。

平成09年03月
 後遺症改善せず、やむなく退職。

09月
 市民相談室へ相談(交通事故関係)。

平成10年03月
 高野弁護士(倉田事務所)に相談(交通事故関係)。
 病院の帰りに弁護士事務所へ行く予定で持っていた弁護士費用30万を清水市立病院で紛失(カルテに記載)。後遺症による記憶障害の影響としか思えない。

06月
 長谷川式知能評価スケールで記憶力低下と診断された。(尾内医師)

09月
 市民相談室へ相談(交通事故関係)。

10月
 市民相談室へ相談(同上)。
 西ヶ谷市議に相談。清水弁護士を紹介された。清水弁護士が交通事故の関係だからと医療費や休業補償等を保険会社(同和火災)へ請求した。その過程(清水厚生病院へ問合せ等)で「交通事故の因果関係は無い。幼児期の陥没」と診断されていて、頭蓋骨陥没が幼児期の事故(橋から落下)によるものと初めて知った。

平成11年05月
 頭蓋骨陥没が幼児期のものと診断されていたことを確認するため清水厚生病院受診。受付で説明を希望する旨を伝えたところ泉屋医師(清水厚生病院)から説明を受けることができた(平成11年5月11日と17日)。泉屋医師はこのように話された。
「幼児期の陥没である。手術を行なっては悪い部位であるため、後遺症が出たことが考えられる。交通事故で搬送された時のCT写真を何処の先生が診ても同じ所見される。」
その説明をもとに調べたところ、交通事故搬送時2〜3時間意識がなかったことと、その間に両親と妻が医師より「頭蓋骨に陥没があるが、事故とは関係ない」と説明を受けていたことがわかった。両親は幼児頃からのくぼみは知っていたが、交通事故でさらに陥没したのかと心配しながらすでに他界(母平成6年、父平成8年没)。

07月
 清水市立病院職員鉄事務部長他との話し合い(市立病院にて)。
 「交通事故による陥没・圧迫」との説明を受ける。

11月
 鉄事務部長他との話し合い(きつい後遺症のため、市立病院へ行くことも道中危険のため市役所にて)。前回と同じ説明内容。市広報課職員が立会い録音。

12月
 阿部弁護士に相談。

平成12年01月
 尾内医師(脳外)が後遺症は蓄膿症が原因かと疑って耳鼻科(清水市立病院)受診。MRI検査。結果、異常なし。

11月
 入谷医師(脳外)から精神科受診をすすめられた。精神科(清水市立病院)で診察を受ける。精神科で「何でも精神科では困る」と言われ、問診の結果、「脳外科の治療が必要」と言われた。

平成13年01月
 入谷医師から「治ることはありません」と言われた。

12月
 入谷医師から「治療方法もないし、治ることもありません」と言われた。

平成14年03月
 証拠保全した資料を元に阿部弁護士が愛知県内の脳外科医師に面談した結果、「手術の部位は確かに古いもので、手術の必要性はなかった」との報告を書面で受け取った。

07月
 監督署(労災)から、治療が長引きこのままでは困るとのことで検査とか他の病院での受診をすすめられた。そこで妻とふたりで入谷医師にMRI検査をお願いしたところ「必要ありません」と断わられた。清水市立病院で受診時、痛み止めの処方を希望したにもかかわらずカルテに「本人がいらない」と勝手に記載され、胃薬のみ処方された。

09月
 入谷医師に痛み止めを処方しない理由を尋ねると、その後の診察を断わられた。静岡新聞誌上で紹介されていた高次脳機能障害専門医療相談に予約し(中部健康福祉センター(中部保健所))、30日(月)15時15分に会場(はーとぴあ清水3階会議室)で専門医に相談した。その専門医からこのように言われた。「高次脳機能障害は最近わかったことで社会問題になっています。手術を受けてからのことやMRI検査結果をみなくては分かりませんが、MRI検査結果をみながら治療したり、痛みがあるのだから薬で痛みを緩和する必要があります。清水市立病院で薬を出されないのなら他の病院で出してもらったらどうでしょうか」。

12月
 清水市立病院で痛み止めは処方してもらえないし、受診も断わられていたため、清水厚生病院受診。痛み止めを出してもらうようにした。市民相談室で「静岡市立清水病院から被害をなくす会」を紹介される。

平成15年03月
 「静岡市立清水病院から被害をなくす会」へ相談。

05月
 会から重野院長に電話し、人工骨の材質について質問。

06月
 会が同席し、カルテ等のコピー要求。入手。
 藤井医師(脳外)と家族との話し合い。藤井医師は、「これまでのことはわかりません。前のことと別にして受診されてもかまわないです。治療します」と言った。しかし、前のことと別ではないし、また、いつまで藤井医師が清水病院に勤務しているか不安なため断わる。

12月
 院長、副院長、医事課職員と家族との話し合いが行なわれた。手術の根拠となった圧迫について問いただしたところ、「圧迫はカルテにない。圧迫はない」と、強調される。(平成11年7月に清水市立病院で鉄事務部長他から受けた説明と矛盾)

平成16年01月
 院長、副院長、医事課職員との話し合い。手術の後遺症で勤務できなくなったと言ったら、「病院の責任ではない」と言われた。当時の診断について院長と副院長は「ここ(清水病院)では(事故から)8ヵ月後の診察です。骨が動いているし、わからない」と言った。「あなたが希望したから(手術を)行なった。(カルテを見せながら)これは嘘なのか」と激しく責め立てられた。記憶障害とショックで帰路がわからなくなり、病院玄関まで送ってもらった。
 話し合いに同席した医事課職員がつい高い声になって悪かったと翌日、自宅へ謝りに来た。

平成16年02月09日
 清水病院(医事課)より電話あり。「12日に診察する」と。

12日
 圧迫はあると診断した医師の受診で説明を受けたいとお願いしてあったのに、重野院長の診察だった。重野院長は診察してこのように言った。「私は神経内科の専門医で教官にも当る立場です。これだけ検査(記憶力テスト等)しました。他の病院でこれだけの検査は受けられません。検査の結果、異常はありません。こんなことばかり考えていると脳梗塞になってしまいます。早く忘れて下さい。あなたのためです。」

訴え

 私は重野院長がやったような診察を受けたかったのではない。清水病院での手術の根拠とされた交通事故の陥没骨折、圧迫などについて医学的な説明を診断した医師から受けたかった。厚生病院の泉屋医師が説明したような、「ここが頭皮で頭蓋骨はここ。ここに膜があります。この下に脳が。ここに白く見えるでしょう。これは幼児頃の陥没が・・・」。このような医学的な説明が清水病院ではできないのかと思う。なぜ交通事故から3年後に「交通事故による陥没骨折、圧迫」と診断したのか診断した医師の説明を受けたい。
 今年1月に説明を求めた私に「骨が動いていてわからない」と言った院長と副院長の説明はおかしいし、到底納得できるものではない。
 私の手元に交通事故から10ヵ月後の平成4年8月21日付、清水厚生病院の診断書(富田守医師)がある。それには主たる検査所見として「頭部単純写真、CTにて異常なし」と書かれている。
 交通事故の示談の成り行きから清水市立病院へ検査のために行かされ市立病院の医師から「交通事故による頭蓋骨陥没骨折」と診断された。その後、「骨折で脳を圧迫している」と手術を勧められ手術に応じてしまった。
 重野院長に、交通事故から3年後に受けた手術は必要のない手術だと、絶対に清水病院の誤診だと言いたい。
 議員のみなさまに私が受けた手術について調査願いたい。

岩田 登

 → 調停申立書

 

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