会報 No.11-2002/04/30
(9)総会に寄せられ、当日読み上げたメッセージの紹介
☆会員より☆ メッセージそのV.
「清水市立病院から被害をなくしより良い病院にする会」の第3回総会の開催、おめでとうございます。
正直申しますと、会がここまで続くとは思っていませんでした。会が発足した2000年2月のことを思い出します。発足会のあとの懇親会で、竹下さんが今後のことに不安の言葉を述べたとき、何人かが「竹下さんたちの頑張りによって会ができた。もう十分に力を発揮し、病院にアピールすることができた。このまま会が自然消滅してもいいじゃないの」と慰めていました。実際、何人かはほんとうに自然消滅すると思っていたと思います。
それがこの2年間で、市と病院に数回にわたって要望書をつきつけ、通信は10号発刊し、ホームページを立ち上げ、メーリングリストによって情報交換できる体制をつくりました。発足当日38人だった会員は82人に増え、新たに被害を訴える人が現れてきています。獅子奮迅の活躍ぶりです。
こうした活動によって、病院の外来患者数は外科を中心に1999年度の403,549人から2000年度の388,206人(入院患者は166,537人から148,410人)にまで減った。つまり、会の活動、会の情報提供をベースにしたテレビ、大阪毎日放送やサンデープロジェクトをはじめとするメディアの報道によって、以前から「市立病院の医療には問題がある」のではないかとうすうす思っていた15,000人余の人たちが、病院の門をくぐることをやめたわけです。
たとえまだ小さな会であったとしても、会の活動は直接、間接的に市民に大きな影響を与えているのだと思います。会の活動に参加された方は大いに自信をもたれてもいいのではないでしょうか。同時に、それだけ、市立病院が抱えている問題は根が深く、広がりをもっているのだと思います。そうでなければ、小さな会の地道な活動によって入院患者数、外来患者数がここまで極端に減ることはありえないことです。
市と病院にとって、会員のみなさんが想像する以上に、会の存在は脅威になっています。そのことは、新しい院長が会に対して、会の名前から「被害」という言葉を外して欲しいと懇願していることでも明らかだと思います。
現在、病院は新しい院長のもと、増改築をきっかけに、過去つまり被害を忘れて、新生・市立病院を必死にアピールしようとしています。
これはどう考えたらいいのでしょうか。
私は医療業界の特殊性を思うとき、他の業界だったらこんな場合どうするのだろうかと考えます。今の病院の動きを百貨店業界をあてはめてみると、こんな風になります。
デパートで買った商品に欠陥があれば、消費者たちは文句を言います。ところが、デパートは店長の首をすげ替え、そして新しい店長はいかにも善良風に、不満を述べる顧客にこう述べます。「これからはいいデパートにします。ですから、過去に不良品を売ったことはもう忘れてください」
こんなデパートがあれば、顧客はそっぽを向くし、メディアは社会面で大きく報じるでしょう。
こんなことが許されないから、雪印食品は消えてなくなるのです。他の業界では信じられないことを、いま清水市立病院はやろうとしているのです。
病院内部の動きに目を転じると、竹下さん、久保山さん、また最近亡くなられた望月さんたちの担当医だった小坂外科医は退職し、現在行方不明という異状事態です。Yさんの担当医、山口脳外科医は退職して自分の病院を開業。風間さんの担当医、河村内科医もやはり退職して開業。抗がん剤の投与ミスで女性を死亡させた三井外科医、四方外科医は異動、健康そのものだった牧田さんの身体をメチャクチャにした西村内科医も異動しました。またTさんの身体に重大な後遺症をもたらした青木産婦人科医は慶応大学に戻っている。問題を起こした医者たちは誰一人、何の責任も取らずに、別の病院で、今日も患者の診察にあたっている。こんなことが許されていいはずがありません。
過去の医療事故、医療事件の原因を分析し、責任をはっきりさせ、その分析に基づいて病院を改善しない限り、いい病院にはなりませんし、新体制のもとで新たな被害者を生み出していくのは必然でしょう。
私が調べた97年度段階で、市立病院の医者の平均勤務年数はわずか4年でした。病院に長くいた院長の石原、小坂、四方、河村、山口らが退職したため、この年数はいまでは3年ぐらいになっているのではないでしょうか。
医者不足に悩んでいる清水市は大学の医局に医者の派遣を頼んでいます。医局は経験のない若手医師に「一,二年でいいから清水に行ってくれ」と人事を発令しています。医局で小間使い扱いだった若手医師は、清水市立病院に来れば、たとえば慶応大学から来た優秀な医者として先生扱いをされます。若手医師は大学の医局時代にはやらせてもらえなかった手術や技能を要する検査を、ここぞとばかり、やりたがります。その結果が心臓カテーテル検査ミス、抗がん剤投与ミスなどにつながり、患者の身体を無茶苦茶にしてしまいます。しかし、患者や患者の家族が医療被害に気づき、問題にする頃には、担当医は病院にはもういません。Tさんの裁判では、慶応から派遣されてきていた青木医師は一度も裁判に顔を出していません。
こんなことをこれまで繰り返し、これからも繰り返そうとしているのです。
だから、小さな会が小さな動きをすれば、波紋は予想以上に広がるのです。
みんなが無理をせずにやれる範囲で地道な活動を続けていけば、清水市立病院から被害をなくすことは可能だと思います。「やれる範囲で地道な活動」。それを今後とも期待しております。大変なのは言い出しっぺの竹下さんでしょうが、喜んだり、落ち込んだりと、いろいろあるでしょうが、おてんとうさんは見ています。力にはなれませんが、陰ながら応援しています。
会員のみなさん、どうかがんばってください。
米本和広 |
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