運営者に
メールを送る
>>
Top
当会について
会の活動
病院との交渉
被害者の声
会報
No.01-2000/03/06
No.02-2000/04/10
No.03-2000/05/02
No.04-2000/10/22
No.05-2001/02/09
No.06-2001/05/15
No.07-2001/08/10
No.08-2001/10/10
No.09-2001/12/25
No.10-2002/02/05
No.11-2002/04/30
No.12-2002/09/30
No.13-2003/02/28
No.14-2003/06/14
No.15-2004/04/30
No.16-2005/05/25
No.17-2007/06/21
資料
竹下裁判
読者の感想
リンク集
更新履歴

会報 No.17-2007/06/21


(1) 口腔外科の裁判が始まりました

 報道された記事にあるとおり5月31日に第1回口頭弁論が開かれました【資料1】。平成16年7月、原告は市内の開業医の紹介で清水病院へ通院し始め、適切な処置がされないまま約半年後に「悪性繊維性組織球腫」と病名を告げられました。そして、転院先で行われた検査で、がん細胞がすでに頭蓋骨にまで及んでいることが判明しました。その結果、転院先で大手術となり、右眼球摘出、鼻半分切除等、顔面外見を大きく損ない、聴覚機能等にも重篤な後遺症が残りました。
 その後、原告の家族と清水病院の重野院長や担当医(佐藤豊彦口腔外科医)との直接の話し合いが行われましたが、原告が裁判せざるを得ない状況に至ったことは、更なる負担を負わせることになり、病院側はそのことを深く重く受け止めるべきだと思います。
 次回は8月20日に静岡地裁で弁論準備が行われます。今後の裁判の進展に伴い、裁判の傍聴をお願いすることもあると思いますが、応援よろしくお願いします。

(2)小坂昭夫元副院長のその後――セクハラで示談交渉

 『乳がんの名医』小坂昭夫元副院長は清水病院を退職後、リハビリ病院を転々としていますが、現在、八王子北部病院(東京)に院長として勤務しています。
 今年、2月に同病院の看護師に対してのセクハラ行為の相談を勤務先の職員から受けました。被害を受けた看護師と弁護士との相談に同席しましたが、彼女が退職せざるを得ない状況にまで精神的に追い詰められたことに、こちらも被害をくい止められなかった責任を感じました。
 セクハラ・ストーカー行為の証拠となる小坂医師からの約400通のメールや数通の手紙をもとに3月に刑事告訴をしましたが、その段階ではすでに行為が終わっていたため不受理となりました。メールのひとつに「今年は美佳(看護師の仮名)と会えたことが一番です」とあります。勝手に思い込まれた美佳さんにとってはとんでもない災難の年でした。セクハラ・ストーカー行為はメールの嵐ばかりでなく、夜中に電話があったり、用もないのに院長室に呼び出されたり、いきなり手を握られたりなど・・・。
 経過については被害者を取材したルポライター米本和広氏の原稿をホームページに掲載しています。なお、美佳さんは弁護士を立て、小坂医師ならびに病院側と示談交渉を行ってきましたが、近く両者が解決金を払うことで決着がつく見通しとなったため、ホームページに掲載している原稿は6月30日をもって削除することにしますので、今のうちに印刷することをおすすめします。
 なお、小坂医師は解雇されることなくそのまま院長を続けるようです。

(3)竹下裁判は最高裁へ

 提訴から11年経った竹下裁判は東京高裁で癌標本の再度のDNA鑑定を行いました(=ティーエスエル鑑定)が、地裁DNA鑑定についての地裁判決を検証する目的(ミトコンドリアDNAを使って、塩基配列の違いが癌によるものであることの証明)を果たすことはできませんでした。
 このティーエスエル鑑定結果について竹下さん側は鑑定人の問題点を指摘し、ティーエスエルによる鑑定は信用できないと主張しましたが、見直されることなく控訴審は終結しました。終結後にも新たな証拠を基に、ティーエスエル鑑定は証拠価値ゼロであると主張し弁論再開を申し立てたにも関わらず、判決となりました。
 東京高裁判決はティーエスエル鑑定結果に全面的に依拠したものとなり、竹下さん側の主張は完全に退けられました。
 高裁判決後、複数の弁護士の意見を仰いだ結果、一・二審とも裁判所を説得できなかった原因は裁判所の理解を超えたひどさであり、最高裁に上告すべき事件であるとの一致した見解を受けて上告しました。昨年7月に最高裁へ上告理由書、上告受理申立書を提出し、最高裁の結果(2〜3年後)を待つことになりました。
 上告に際し、裁判官経験10年以上の女性弁護士(大阪)が弁護団に加わりましたが、あらためてこの事件のひどさに驚かれていました。
なお、地裁高裁判決文上告理由書は会のホームページに掲載しています。

竹下裁判の意義――同様事案の存在

 上告理由書では裁判を起こした理由や特徴を「はじめに」で述べています。この裁判は乳がんであることを示す事実が何ら存在しないのに乳がんであると告知して手術したという事案で、清水病院では同じようなことが竹下裁判提訴前にも提訴後にも存在していたことを示しました。
 提訴前の事案は、当時係争中だった久保山まち子さんのカルテの中にある初診の「乳房精密検査表(1)」が偶然の一致と言うにはあまりにも同様に、視診所見では乳房(イ)変形−無(ロ)左右−無(ハ)乳房皮下脂肪−少、乳頭・乳輪(イ)高さの左右差−無(ロ)paget氏病変化−無(ハ)陥凹・萎縮・高挙−無、皮膚および皮下組織(イ)変化なし(ロ)えくぼ症状dimpling−無(ハ)陥凹Delle−無(ニ)発赤・変色−無(ホ)浸潤および潰瘍−無(へ)浮腫−無、分泌異常−無となっており、すべて「異常なし」です。触診所見については、腫瘤−右、リンパ節腫張−無、にマルがついているほかは、数、大きさ、形等はすべて空白です【資料2】
 腫瘤の大きさについて記載がないことについて小坂医師は法廷での尋問で「記載漏れ」と答え、形状とか硬度など他の触診所見について記載がないことについては「乳腺外来は週300人ぐらい来るので全部書かなかった」と答えています。つまり、患者が多くて忙しくて書いてないと証言していますが、視診所見には全項目にマルが記されています。
 提訴後の事案は、小坂医師に乳がんだと診断され、手術を受けた患者について、手術後病理組織検査をしたところ、乳がんが否定され、放射線治療をしなかった症例の存在が、当時清水病院に勤務していた慶應大学病院近藤誠医師によって証明されています。同様な問題の存在は市議会でも紹介されています。「市立病院で乳がんと言われ、他の病院へ行ったら乳がんではない。今、元気に暮らしている方が3名おり、…」(清水市議会議事録平成11年第3回定例会4-2)とあり、病院職員の間で「清水の風土病」と言われるほど乳がん患者が多かったことを物語っています。
 しかし、小坂医師が清水病院を去った後は、「風土病」説が消失していることも上告理由書には付言しました。

竹下裁判の解説書

 単純な問題(癌ではないのに癌だとして手術した)が、提訴後に病院側が主張し出した証拠によって複雑な裁判へと変貌していった経緯をわかりやすく会話形式にして解説書をつくりました。すでに会のホームページに掲載していますので、ぜひ読んでください。

(4)会計報告

(2005年3月から2007年2月まで)
収入 年会費と寄付金       支出 通信事務費・HP管理費    
     計  119,000円          計  253,285円     
収入−支出=△134,285円
前々年度繰越金△13,835円      今年度繰越残高△148,120円 

 一昨年度の通信発行は1回でした。その後はホームページでの情報提供を活用していくため通信の発行は見送る予定と前回の通信でお知らせし、昨年度は発行しなかったため、会計報告は2年度分の合計になっています。
 年会費及びご寄付を寄せられた皆様、本当にありがとうございます。この場をお借りして心より感謝申し上げます。尚、ご寄付いただいたみなさまのお名前を記載いたしませんが、どうぞご了承ください。

(5)カンパ納入のお願い

 おかげさまで2000年2月の会設立から丸7年を迎えました。今後も病院から被害をなくすために会として可能な活動を継続していきますが、今後は年会費としてではなく、ご寄付のみでの運営とさせていただきます。ホームページの維持管理等、活動継続には費用がかかります。つきましては、随時ご厚意を同封の振込み用紙でお送りいただければ幸いです。
       振込先=郵便振替口座番号:00810−1−94254
            加入者名:「静岡市立清水病院から被害をなくす会」

(6)お知らせ

 今年度は会計報告を含む今回の通信をもって総会に代えさせていただきます。今後は会のホームページで活動を続けていきます。

1/2ページ | 次ページへ >>

 

Copyright(C) 1997-2025. 静岡市立清水病院から被害をなくす会