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「清水病院 医師確保「めど」」報道記事を読んで    
                            2026年9月9日
                   
<難波市長は医師の確保について、派遣を受けている大学病院に継続を求めた上で、難しい場合は他大学へも派遣を打診するとした。>と報道されました。


1. 医師であれば誰でもいいのか―問題医でも退職には医局への根回し
2. 外科医の技量―手術が下手でも身内のかばい合い
          外部に漏れない隠蔽体質
3. 市民の命を守るために―過去から学ぶ姿勢

 

1. 医師であれば誰でもいいのか―問題医でも退職には医局への根回し

 清水病院で2人から提訴された小坂医師退職を巡って、市と医局との関係を取り上げたルポを紹介します。

 清水病院副院長を務めた小坂医師の<突然の退職の背景とその後の足どりを探ることを通して、大学病院の医局と公立病院の歪な関係を明らかにする>と、月刊『現代』2003年1月号273頁∼284頁に米本和広氏の『追跡ルポ・虚像の名医・乳がんを切りまくった医師に問う』が掲載されています。なお、米本氏は市や病院側からいっさい抗議を受けていません。

 ルポでは、慶応医局出身の小坂医師が清水病院へ赴任し、腹部手術から乳がんを手掛けるようになって地元テレビ局の協力や、市役所も呼応するかのように検診をすすめて、清水病院は患者がどっと増え、病院の収支が改善された経緯が詳細に書かれています。 

 累積赤字を圧縮した清水病院の功労者である小坂医師が退職した(2000年春)きっかけが、1999年の別冊宝島『病院に殺される!』の記事が関係していると米本氏が知ったことから行方を調べて医局が絡むことが明かされました。
(以下、<>内は月刊『現代』記事引用)
 
<その当時の様子を、ある市会議員が明かしてくれた。
 「じつは、あなたの記事がきっかけになって、99年の初秋ごろ市長が直々に医者や看護婦たちを集めてヒアリング調査を行ったんだよ。その結果、小坂さんは”問題あり“となり、退職処分にしたということです。
 しかし、小坂が退職したのは、正確には2000年の春である。
「退職を翌年の春まで延ばしたのは、あの時点で退職させると、あなたの記事が正しかったと市側が認めたことになる。だから定期異動の時期を狙って目立たなくした。それともう一つ、小坂さんが所属する慶応医局への根回しに手間取ったからだとも聞いている」
 慶応医局が絡むのである。>(月刊『現代』2003年1月号275頁)

 <そもそも、慶応医局と清水市立病院はどのような関係にあったのか。それを象徴するのは、小坂の退職の際に清水市長が1回、同病院の院長と事務部長が1回、わざわざ慶応大学に出向き、外科医局教授で医学部長の北島正樹氏に退職の了承を取り付けていたという事実だ。人口24万人の地方都市とはいえ、市長が大学の一教授に頭を下げる。しかも問題医の退職の了解を求めるために。にわかには信じがたい話だろう。
 だが、大学医局(教授)は地方の公立病院に対して絶大な影響力をもっている。>
(月刊『現代』2003年1月号283頁)

 市当局が退職の了承を取り付けた際に、医局のボスは小坂医師が問題のある医者だと以前から知っていたことが文中で明かされています。(月刊現代2003年1月号284頁)

<市の職員が語る。
 「慶応医局に医者の派遣を頼んだところ、『小坂一人を守れなかった病院に、皆、行くのを嫌がっているんだ』って、言われたらしいですよ」>
(月刊『現代』2002年1月号284頁)


2. 外科医の技量―手術が下手でも身内のかばい合い
          外部に漏れない隠蔽体質

 難波市長会見報道記事では、救急医療は年間を通じて外科を中心に24時間対応予定とあります。

 外科医の技量について、手術が下手かどうか市民は知るすべがありません。
 「市でやっている病院」「乳がん名医」に何の疑いも持たずに清水病院で乳がん手術を受けてしまった私は、手術後、小坂医師からがんについての説明が「神のみぞ知る」のみでした。

 その後、後遺症のきつさ、逃げ出した先の医師の手術痕を診た時の驚き、その後の裁判での近藤誠医師の意見書によって、けた外れの下手な手術を受けてしまったことを思い知らされました。

 近藤誠医師は清水病院放射線科に勤務し、小坂医師の手術痕を直に診たお立場から、「これほど下手な外科医が日本にいるんだ、それが公立病院の要職にある、と知って驚いたのです」と裁判所に意見書を提出しました。

 しかし、裁判所は近藤意見書には触れず、私のカルテに書かれた清水病院外科現在非常勤M他医師の「clear」(きれい)を根拠に「手術創はきれい」と事実認定しました。
*事実認定した裁判長は静岡県病院協会主催「医療事故防止対策研修会」で講師として講演(2002年9月9日)。この裁判長が担当していた竹下裁判は当時係争中で講演会は地裁判決2年前のことでした。講演会会場で久保山さんはじめ清水病院被害者原告たちの市側代理人弁護士たちを見かけました。)

小坂医師の手術痕を診た他院の医師たちは、
「これほど下手な外科医が日本にいたことに驚いた」
           (近藤誠医師:竹下裁判意見書)
「2・30年前のやり方だ。こんなひどい手術、ここ何年も見たことがない。これじゃ中はメチャメチャだ」
          (国立静岡病院外科医:竹下裁判「裁判の原点」
「患者さんのレントゲン写真を撮って驚いた。内部がクリップ
   (ホッチキスのようなもの)で縫合されていた」
          (蒲原病院外科医:月刊『現代』2003年1月号)

 他院の医師たちを驚かせた「下手な手術」が院外にいっさい伝わらない清水病院の隠蔽体質・身内のかばい合いを裁判を通して痛感しました。

 小坂医師の手術痕を「clear」(きれい)と診断して身内をかばい、「下手な手術」を隠蔽した医師が現在も在籍している清水病院外科で、市民の命を守る責任を負わせることが市にできるのでしょうか。現院長も科は違っていても1996年から清水病院に勤務しており、小坂医師の所業をご存じのはずです。


3. 市民の命を守るために―過去から学ぶ姿勢

 赤字が膨らみ清水病院が立ち行かなくなった今の状態は、被害者を置き去りにして過去から学ぶ姿勢をもたず、問題を先送りして市民の信頼を失ってきたことが大きな要因ではないでしょうか。(参照:「医療事故一覧」

 近藤誠医師が清水病院の医療現場で体験したことを一般書籍に「がん患者を作り出す病院」「「医療詐欺」のカラクリ」「がんを作り出す病院を司法は野放し」と、米本和広氏はルポライターとして清水病院関係者・被害者他多くの関係者を取材して清水病院の実態を記事にしました。 どこからもいっさい抗議を受けていないので、市や清水病院はすべて認めたことになります。

 「乳がんは清水の風土病」といわれるほど乳がんが蔓延したことについて、小坂医師を辞めさせたことで収束させ、市を上げて市民に検診を呼びかけてきた責任をいっさい誰も負わずに曖昧なままにしてきたことが市民の信頼を甚だしく失わせていることに気付いていないのであれば、女性蔑視・人権無視も甚だしい

 新病院に向けて「医師確保めど」報道に接し、指定管理制度導入前に、けじめとして市と清水病院が被害者の存在を認めて謝罪・被害実態から学ぶ姿勢を怠ることがないよう記します。

                    竹下勇子(2026年9月9日)

追記:清水病院の実態が書かれた資料再掲
ルポライター米本和広氏執筆
訴訟5件を抱える病院が「いい病院?」(『いのちジャーナル1998年11月号』)
あの市立病院にしてこの乱暴医療(『いのちジャーナル1998年12月号』)
ひどい病院が噂にならないわけ(『いのちジャーナル1999年2月号』)
内部告発!「危ない」医師たちの巣くう清水市立病院のデタラメ医療(『別冊宝島452病院に殺される!』1999年8月)→院内職員宛院長通達(1999年10月)
院長通達米本反論(1999年11月)
内部告発!「危ない」医師たちの巣くう清水市立病院のデタラメ医療文庫版(『別冊宝島社文庫657』2000年6月)
追跡ルポ 虚像の名医乳癌を切りまくった医師に問う(『月刊現代2003年1月号)
寄稿『判決の真実』(2004年3月18日付竹下裁判地裁判決を受けて会のHPに寄稿)

近藤誠医師執筆
これほど下手な外科医が日本にいるんだ。それが公立病院の要職にあると知って驚いた(竹下裁判近藤誠意見書1998年12月)
がん患者を作り出す病院(『あなたの癌は、がんもどき』38頁・2010年12月)
「医療詐欺」のカラクリ(同上42頁)
がん医療の現場で“犯罪的”な診療行為 手術で摘出した組織にがんがみつからなかった、診断根拠となる病理組織標本が日本人ではないがん患者だった…(日刊ゲンダイ2011年3月1日)
がんを作り出す病院を司法は野放し(『近藤誠の「女性の医学」』23頁・2015年1月)

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