運営者に
メールを送る
>>
Top
当会について
会の活動
病院との交渉
被害者の声
会報
資料
医療事故一覧
旧清水市立病院決算と患者数の推移
清水病院の弁明書
第5回 清水市立病院懇話会議事録
第6回 清水市立病院懇話会議事録
清水市立病院の手術件数(平成12年度版)
清水市立病院の手術件数(平成4・11年度)
麻酔科医師不足の現状の報告と解決への提案
総会で出された声(平成13年6月30日)
病院からの回答に対する、会員アンケート集計結果
▼マスコミ報道
主要雑誌記事
静岡新聞
毎日新聞
ニッポン消費者新聞
テレビ朝日「ザ・スクープ スペシャル」
『月刊現代』
03年1月号
近藤誠の「女性の医学」
 
竹下裁判
読者の感想
リンク集
更新履歴

資料

病院からの回答に対する、会員アンケート集計結果(3)

3.院長との話し合いについて-2

Eさん:

2.被害者を出席させない「公平な立場での発言」などは、ありえません。医療は、患者・被害者の参加に耐える公開性を確保すべきだ、というのは、もはや常識に属します。回答2のような姿勢を取り続ける限り、貴病院の改善は進まず、市民の信頼を回復することは、あり得ません。

3.時間制限をすることは、しかも「1時間以内」というのは、非常識です。

 この回答は、現在の病院・医療機関に求められる医療倫理や、患者 の権利の尊重、公開性の水準に比べて、あまりに低い水準に留まって おり、このような姿勢を公開されれば、貴病院にとっては、大きなマ イナスになることでしょう。

Fさん:

 院長先生は教養の高い方ですから、集英社から出版された・2000年9月・鎌田實著『がんばらない』をお読みになったことと思います。諏訪中央病院の医師として、鎌田氏は在宅のお年寄りやその家族、患者やその家族、看護婦たちの声に徹底して耳を傾け、地域医療を実践しておられますね。こうした病院側の患者や地域へ"寄り添う姿勢"はとても大切だと思います。

 再三再四の会からの要望書に、「市立病院懇話会は非公開」との回答は、とても残念に思います。

 回答の2に、"貴会が「被害者」としての認識に立たれている以上・・・お受けできません"とありますが、はじめから「被害者」との認識をもっている人は居ません。前院長の下で「治療」を受け、その後の病院側の誠意のない対応に深く傷つけられ、「被害者」との認識に至ったものです。

 本当に開かれた、良い市立病院にするために、どんどん公開し、懇話委員会にももっと様々な人を参加させるべきだと思います。その日の来ることを信じている一市民です。      かつて宝島社から『病院に殺される!』が出版され、清水市立病院を取り上げられた時、私の友人はしみじみと「市立病院をいい病院にしたいね」と言いました。私たちはかつて市立病院で出産させて頂き、それ以後もずっと家族の健康を守ってきて頂いた者です。だからこそ「よい病院にしたい!」との思いを強くもちます。

Gさん:

ここで受けた被害は、あまりにもすごすぎます。もっともっと被害者の声を聞いて、反省すべき点は反省して、直して、よい病院になって下さい。その為には、被害者のことばに耳を傾けて下さい。 又、懇話会へのこの会からの委員参加は、被害者の、つらい思いをしている人の話を直接聞けて、反映してもらえるので、ぜひ参加を認めるべきである。

Hさん:

 政治家、社長、大学教授、医師などの職業が社会的地位が高いとされるのには社会に対する貢献度の点でそれなりの理由があるものですが、その地位を保つためには選挙による審判や定期的な業績評価など、やはり社会的尊敬を受けるに値するだけの努力が必要とされています。

 この中で医師だけは少し違うように思います。ひとたびその地位につくや莫大な報酬と絶対的な権力が保証されることになります。激痛を取り除き、昔なら救えなかった病から人を救うことのできる医師にはそれだけの報酬を得る資格がありますし、患者にはふつうの生活に戻れる喜びを与えてくれた医師・看護婦には絶対的信頼と感謝の想いがあります。医療と患者が信頼と感謝で結ばれている限り、医師はこの世で最も崇高な職業といえるでしょう。

 しかし、医師が技術も理念も持たず、自分を省みる謙虚さも持たないとき、医師は悪魔の手先に変わります。また、そうした医師が組織を牛耳る立場に立ったとき、良心は抑圧され、組織全体が悪魔の暗躍する地獄となります。たった一人の非人間的医師のために・・・。

 私のいっているのはもちろん小坂(敬称をつける価値もありません)のことですが、彼の手術の写真、追求されたときの傲慢な態度をみれば「悪魔」ということばが決して大げさでないことがおわかりいただけると思います。

 犯罪者小坂がいなくなっても問題は解決していません。問題の解決を妨げているのは「正義よりも組織」「良心よりも仲間意識」を重視する日本的メンタリティです。「新しい院長は正義のわかる人らしい」というのは私たちにとって大きな希望ではありますが、たとえ長といえども自由にならぬのが私たちの体にしみこんだこの「日本的メンタリティ」で、これを正すのは並大抵のことではありません。

 清水市立病院は、そのメスによって物言えぬ患者の人生を刻み続けた小坂という悪魔によって怨念の渦巻く場となってしまいました。小坂がいなくなっても過ちに目をつぶり、身内でかばいあう限り、また、すべての職員が患者の喜びに生き甲斐を感じながら医療を推進する気持ちを持たない限り、改善への希望をもつことはできません。

 清水市立病院には「市立であること」「医師が短期間で交代する」などからくる「体質」があるように思えます。この体質は日本的メンタリティに裏打ちされているものですから改善は容易ではないと思いますが、改善されない限り「被害者」(手術写真を見ればまさに被害者であることがわかります)の怨念も消えることはないでしょう。

 「日本的体質」といっても清水市立病院のケースは全国的に見ても少数でしょう。また、「どこにでもあること」で納得できるものでもありません。なんとか改善していただきたいと思います。そのためには過去の、特に小坂の犯罪行為に目を背けないことです。市民が安心して通えない市立病院などおかしくありませんか。時間を掛けてもいい、少しずつでもいい、清水市立病院が清水市民のためのオープンな病院に変わっていくよう、心から期待しています。

<< 前ページへ | 3/6ページ | 次ページへ >>

 

Copyright(C) 1997-2024. 静岡市立清水病院から被害をなくす会