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竹下裁判

竹下勇子さん 意見陳述 2003年10月9日 静岡地裁

原告意見陳述
2003年10月9日
竹下勇子

 今回、私の意見陳述をするよう先週末に突然言われました。
 今までの思いを表現しようとパソコンに向かうのですが、涙があふれてまったくまとまらず、月曜日になってしまいました。
 そして月曜日に、被告書面が送られてきました。
 今までの繰り返しが書かれ、何の反省もない書面を読んで、私は憤りを覚えましたが、気を取り直し、今の気持をまとめることにしました。
 提訴から来年2月で8年になります。
 手術からはもうじき12年になります。
 最近、私の人生は何だったんだろうと思うことがよくあります。
 小坂と出会ってしまったことは、私にとってとても不幸なことでしたが、小坂被害をくい止めるために私に与えられた使命だと思っています。
 小坂被害をくい止めたい、その思いでがんばってきました。
 一日のほとんどの時間を病院問題に費やしています。
 無意識のうちに自分の身体のことを考える時間を作らないようにしているんだなと思っています。

 小坂手術の後遺症の苦しさは言葉で表現できるものではありません。
 いっときでもいいからこの苦しさから解放されたいと常に思っています。
 外見ではわからないようにしていますが、提訴して裁判所通いが始まってから、裁判所のトイレや部屋のドアの重さ、椅子を引く時の重さはこたえます。
 何の説明もなく、一生、利き腕が使えなくなる、右上半身がコンクリートで固められたような、常に引っ張られたような苦しい手術がどうして許されるのでしょうか。しびれや痛みも伴い、右上半身が腐ってくる恐怖感があります。腕の重苦しさは表現の仕様がありません。
 後遺症の苦しさは昼間、起きている時だけではありません。
 手術以来、夜は、仰向けで右腕の下に枕を当てて腕を高くした状態でしか寝られません。身体を横向きにして右腕が下になったり、仰向けで右腕を水平状態で寝れば、リンパ浮腫によるむくみが出現してしまいます。
 自由に寝返りを打って、思う存分自由に寝ることができたらと叶わぬことを思い描いています。

 後遺症は外見ではわからないようにしているため、日常生活で外見と身体の不自由さとのギャップにも苦しんでいます。
 コンサートに出かけて、演奏に感動しても拍手はできません。
 草取りや、下水掃除、運動会など町内会の活動にも参加できません。
 スーパーマーケットで買い物をしても、レジから袋詰をするための台まで、買い物篭を持ち上げることができません。
 なぜできないのか、人から理由を聞かれれば、口と外見だけが元気なだけですからと、答えるようにしています。
 それ以上はつらすぎて自分では言えません。

 つらくなると同じ手術を受けた手術仲間に電話します。
 身体のゆがみをどうやって矯正しているかとか、腕が思うように動かないけどどうしたらいいか、背中の苦しさはどうやったら楽になるかとか、小坂手術を受けた人でしかわからない苦しさを慰め合って、気持を支えています。
 何年経っても苦しさに変わりがないことをお互い確認しあって、自分だけではないんだと、お互いに励まし合っています。
 小坂から癌の説明を何も聞いていないのは私だけではありません。
 小坂が説明しなかったということは癌ではないから、再発の心配をしないだけ、気持が楽になるねと自嘲気味に言っている人もいます。
 後遺症は手術によるものだけではありません。
 抗癌剤による後遺症にも苦しんでいます。
 抗癌剤を飲んでいた時の副作用の怖さを思う時、あのまま小坂や若い医者から強要されるままに飲んでいたら命はなかったと、つくづく思います。
 副作用に苦しんでいた私の状態を知っている夫ともしみじみ話し合うことがあります。
 癌患者を仕立て上げ、無断で抗癌剤の投与試験をやっていたことは到底許される問題ではないのです。

 副作用死が報道されたUFTで、健康な身体を痛めつけていたわけですから、身体がSOSを発信して当たり前でした。
 苦しさのあまりにUFTの錠剤がドクロマークに見えたのは当たり前だったと思っています。
 自分から身の危険を感じて飲むのを止めたため、半年くらいしか抗癌剤を飲んでいなかったのですが、抗癌剤に苦しめられた身体には後遺症がしっかりと残ってしまっています。
 元々薬に敏感な身体なので、副作用の苦しさを訴えていたにも関わらず脅され、強要され飲まされていたことによる後遺症は手術同様、私の身体を蝕んでいます。
 歯や喉などの炎症がおきた時、治療で処方される炎症止めを飲むと、抗癌剤で苦しめられた時のとんでもない下痢を起こしてしまうのです。
 自分の身体がそうなってしまっていることに気付いてから、一番弱い薬を処方してもらうのですが、それでも身体は拒絶反応を起こすようになってしまって飲むことができません。抗生物質が使えない身体になってしまったのです。
 虫歯予防のキシリトールを含んだガムでもひどい下痢を起こすようになってしまっています。

 小坂から受けた手術や治療のつらさを家族にも言えず、私が裁判を起こしていることを知って、私に思いの丈を話して亡くなった人がいます。
 癌に疑問をもち、しかも抗癌剤で小坂にモルモットにされたとご主人に言い続けて亡くなった人もいます。今、外見上元気でいる人も小坂から受けた手術で悩み苦しんでいる人たちがいます。
 小坂被害者に会えば、言っていることはみんな共通しています。
 下手な手術による肉体的な苦しさと、説明をしてもらえなかった、話を聞いてもらえなかった、抗癌剤を強要された精神的な苦しさです。疑問を持っていても諦めるしかない、声を上げられない苦しさが加わっています。中には癌を見落とされて苦しんでいる人もいます。いかに診断がデタラメだったかと思います。
 私にはその人たちの苦しさを伝えていく義務があると思っています。

 小坂自身も小坂の家族も市長も院長もみんな小坂に切られて、抗癌剤で苦しむべきです。
 小坂には1回の死では許されないと、何百回でも死んでもらいたいと言っている被害者家族もいます。
 小坂から苦しめられた人たちはいっぱいいるのです。
 小坂被害をくい止めたくて私が市に対して初めて声を上げたのは平成6年でした。今から9年も前のことでした。市は耳を傾けてくれませんでした。その時、被害をくい止められなかったことは、本当に残念なことです。
 小坂のひどさを知っていて名医をあおり、メスを持たせ続けた市の責任は問われて当然です。

 小坂が副院長だった時、被害をくい止めたくて地元のある県議会議員に面会したことがありました。議員からは「僕たちは何も困っていない。あなたたちの運動は迷惑だ」と言われました。
 ある市会議員は小坂被害者から相談を受けた時、私に連絡してきました。
 被害をくい止めるために、問題を表面に出して欲しいという私の願いは聞き入れられず、数回の電話での相談の後、「上から動くなと言われた」と言い、連絡が途絶えました。いずれも保守系の現役の議員です。

 結局、小坂は私が声を上げ続けてきたことによってマスコミに取り上げられ、それがきっかけで平成12年4月に退職しました。退職理由については定期の退職となっていますが、平成11年7月に出された別冊宝島『病院に殺される!』の中で、内部告発!「危ない医師たちの巣くう清水市立病院のデタラメ医療」という記事が書かれたのをきっかけに、現静岡市の副市長である旧清水市の宮城島前市長が病院の医師や看護婦、技師など部門別に直接ヒヤリング調査をした結果、小坂の医療が「検査漬け」であることが判明し、急遽10月から医療現場から外し、翌12年4月に退職させたと現役の市会議員や、病院内部の職員から聞いています。

 その宮城島前市長から、平成12年5月に非公開で話し合いたいと言われ、31日に市長応接室で話し合いを持ったことがありました。小坂が退職して約2ヶ月経った時でした。
 その席で私は市立病院の経営優先の考え方を改めて欲しいと願い出ました。それに対して宮城島前市長は「経営を考えない市長がどこにいるか、1日100万の赤字だからな。」「よその病院はみんな儲かっているじゃないか」「(開業医は)高額所得者にみんな載ってるじゃないか」と、とんでもないピント外れの答えが返ってきました。市のトップである市長がこんな考え方では売り上げを上げる小坂がいれば市は安泰だったんだなと思いました。

 しかし、小坂のデタラメ医療を病院内部の医師たちが知らなかったわけがないのです。今年になって、病院に長くいる慶應医局出身の医師が近藤誠医師に「当時、小坂は病理に関係なく切っていた。若い医者たちはみんなそれを知っていた」と電話をかけてきたそうです。近藤誠医師はその医師に対して、市が小坂を訴えるべきだと言って下さったと聞いています。
 市は、市長が退職させるほど問題があった医者の医療を受けた患者に対して、どう考えているのでしょうか。小坂は辞めても患者や患者の遺族のキズは永久に残るのです。
 この平和な日本で、医師免許を持った犯罪医者の暴走を誰も止めることができませんでした。外からの圧力で退職まで追いやったものの、小坂が君臨していた22年間、問題が表面に出なかったことこそが大きな問題だと思っています。
 私が声を上げなければ、まだまだ被害は拡大していたはずですし、現実に、小坂が院長を勤めている今の病院の職員から、売り上げ強要のつらさを訴える投稿が私のところにはきています。

 初診当日、小坂が主張するとおり当日の検査結果を示しながら説明を受けたとすれば、触診結果はカルテに記載されていないし、マンモグラフィー結果もカルテに記載されていないのを見せられたことになります。
 そんなカルテを見せられたら、何のために検査を受けたのかわからず、私は当然、あきれて質問したはずです。
 それだけで不信を抱き、帰宅していたはずです。二度と小坂のところには行かなかったと思います。

 エコー結果は技師によってしこりの大きさと、良性の腫瘍と思われますが定期チェックをと書かれているわけですから、それを見れば4ヶ月前の健康診断結果で心配ないと言われていたこともあったし、私は安心して帰宅していたはずです。
 それでも良悪性の判断のため、念のため生検をやると言われ、それが局所であれ、麻酔をして、メスで組織を切り取る手術だと説明されれば、すぐに応じるわけがありませんでした。
 当時、夫は足を骨折し、車椅子でしか移動できませんでした。しかも年末だし、お正月を控えていて、従業員を抱えた会社の仕事も家事も1年のうちで一番大忙しの時でした。
 そんな時に私が、定期チェックをしなくてもいいです。明日の朝、すぐに生検をして下さいと言うでしょうか。

 生検の意味がわかっていなかったから応じてしまったのです。
 いかにうまく騙され誘導されたのかと本当に悔やみますが、この初診翌日の生検は小坂の手口だったことを後から知りました。同様に初診翌日の生検にベルトコンベア式に誘導されたと感じて悔やんでいる人は私だけではありません。
 小坂は28日の説明について、「最終的診断は永久標本で決まりますが、迅速診断の結果では乳癌でした」と、言っていると主張しています。
 もし、小坂主張どおりであれば、患者とすれば最終的診断を待ちたいと言うのが当たり前です。そして当然、永久標本とは何か、迅速標本とは何か聞くはずだし、病気の説明を求めるはずです。

 仮の報告書であればなおのこと正式な結果を待つのが当たり前です。
 なぜ仮の報告書の段階で手術方法ばかりを聞かされなければならないのでしょうか。
 迅速標本を稲田医師と小坂が診て、しかも私の標本を浜医大まで持参し、アポなしで喜納教授に診ていただくほど特別扱いしたのならば、私に説明があって当然だと思います。小坂主張が正しければ、東海大から病理医を清水市立病院に派遣してもらっていた意味がないことになります。
 小坂尋問を傍聴していた人からは、竹下さんは天皇陛下並みの扱いだったんだねと言われました。

 28日にがん告知し、入院日と手術日を決めてしまっていたための辻褄合わせとしか考えられません。1月4日の入院は「手術目的の入院」となっていますから。
 私は3人兄弟の末っ子としてかわいがられ、恵まれた環境で育ってきました。
 結婚してからは夫にも大事にされ、人を疑うことなく平穏無事な生活を過ごしてきました。
 ふたりの息子たちも大学と高校に入学し、子育ても一段落し、さあ、私の人生はこれからという40代に入ったばかりの時に小坂に出会ってしまいました。
 まさか病院で、しかも市でやっている公立病院で、目の前の医者が嘘を言うとは考えてもみなかったことでした。そして裁判になってからも亡くなられた喜納教授に癌診断を転嫁してしまうとは、人間の心はどこに存在するのでしょうか。

 喜納教授の奥様に出会い、喜納教授が克明に記載されていた手帳と日記があったから、小坂主張の嘘が解明されましたが、そうでなければ私は癌患者にされ、喜納教授は小坂に利用されたままで終わるところでした。
 喜納様に対して市や小坂はどう考えているのでしょうか。
 奥様はこれで裁判所が認めなければ私は裁判を起こしますとおっしゃっています。
 初診の時から小坂の対応に疑問をもったものの、小坂というより医者を信じてしまったことを本当に悔いています。
 まさか、まさかと湧いてくる疑問を解明していく度に、私の思い違いがなかったことが証明されて、ここまできました。

 私は癌ではないのに、癌患者に仕立て上げられ、手術と抗癌剤で売り上げに貢献させられたと思っています。
 裁判所が癌であるという前提で論ずるとすれば、私が裁判を起こし、今まで立証してきたことは無意味なことになります。
 病院という建物の中で、こういう犯罪行為があるということをどうぞわかって下さい。
 癌の見落としについては勝訴判決があります。小坂主張を裁判所が認めるようなことがあれば、医者たちは見落としで責任追求されるより、手術を選ぶようになるでしょう。「怪しきは切ってしまえ」が横行することになります。

 DNA鑑定も塩基配列の違いを癌による変異だと認めてしまえば、いくらでも他人の癌の標本で癌患者が作られることになります。
 手術の技量についても、罰せられるべきです。
 医師免許を持っていさえすれば、どんな切り方でも許されるとはとんでもなく恐ろしいことです。下手さに歯止めを掛けるべきです。
 私の事件のことがマスコミで取り上げられ、私の口からは話せなかったことをマスコミを通して両親が知った時、今年86歳になる父から「おまえも苦労したなあ」と言われ、あとは言葉になりませんでした。

 81歳の母は、何でよそで診てもらわなかったのかと、娘が傷つけられたことを悔やんでいます。
 両親の家系に癌で亡くなった人は1人もいません。私を何も傷つけることなく、何不自由なく育ててくれた両親からすれば、今回の私の事件はどれほどつらく悲しいことかと思います。

 日本では医療被害にあうと救済方法も解決方法もありません。
 最終的な決着は裁判でしかありません。
 私のしこりは癌ではなかった。
 8年近くかけて解明してきた、小坂が私を癌患者に仕立て上げた手口を裁判所が認めて、小坂の暴走を許してきた市と小坂に謝罪を求めるよう強く要望いたします。
 ご心労をお掛けした喜納教授の奥様にも謝罪すべきです。
 私は証拠保全を申し出た陳述書(甲1号証)で、病院ぐるみの詐欺にあったと思っていると陳述いたしましたが、8年かけて立証してきたことが正にそのことを証明していると思っています。

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