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竹下裁判

控訴審準備書面(3)

平成16年(ネ)第2435号 損害賠償請求事件
控訴人(一審原告) 竹下勇子
被控訴人(一審被告)静岡市 外1名

2006(平成18)年3月6日

控訴人訴訟代理人 弁護士 渡  邉  彰  悟
同            福  地  直  樹

東京高等裁判所 第5民事部 御中

控訴審準備書面(3)
〜損害について〜

 原審判決は、被控訴人小坂の手術及び手術の「治療」によって受けた控訴人竹下の損害に関する主張をすべて否定した。しかも、以下の論述で指摘している甲号証の内容を何も吟味することなく、一方的に被控訴人の主張を採用するという極めて偏頗な認定を行っている。
 本準備書面では、改めて控訴人竹下が受けた損害または後遺障害の内容について、手術によるもの、抗ガン剤によるものを分けて論じ、現在控訴人竹下が日常生活において、どのような後遺障害を負っているかを、甲号証を引用しながら論じることとする。

1.手術を受けたこと自体による損害
  控訴人竹下は、平成4年1月8日、被告病院において、被控訴人小坂の執刀による「非定型乳房切除術」を受けた(診療記録上は「非定型的乳癌根治術」と記載されている。乙2号証11頁、17頁、21頁)。
  控訴人竹下が主張しているとおり、控訴人竹下に対する乳癌との診断は誤りであり、控訴人竹下は、被控訴人小坂によって乳癌患者に仕立て上げられ手術を余儀なくされたものである。よって、乳癌との確定診断のないままに「非定型乳房切除術」を受けさせられたこと自体が控訴人竹下にとっての被害である。

2.手術手技の拙劣さによる損害
 (1) しかも上記手術は、被控訴人小坂の拙劣な手術手技に基づくものであったため、控訴人竹下の術創はいまだに醜状を残したままの状態である。
    控訴人竹下の術創は、乙3号証(被告病院理学療法科の診療記録)4枚目に図に描かれているとおりである。同号証には「OPE 非定型的乳房切断術創は下図参照」と記載され、その下に右胸の術創が描かれている。その術創は、皮膚が大きくとられ、傷口が十分に塞がっていないこと、縫合が雑なことが明確に描かれたものである。
    甲31号証は、平成8年11月25日に控訴人竹下の夫によって撮影された、控訴人竹下の術創である。術後4年10か月以上経過した時点においても、控訴人竹下の術創は醜状を残したままの状態であり、現在に至っている。
    以上のとおり、診療記録に記載された図によっても、また術後4年10か月以上経過した控訴人竹下の術創写真によっても、被控訴人小坂の手術手技の拙劣さは明らかであり、控訴人竹下の被った損害は甚大である。

 (2) 甲30号証(近藤誠医師意見書)では以下のように指摘されている。
    近藤誠医師は清水市立病院に勤務経験があり、小坂手術後の患者の放射線治療のため手術創を直に見ていての意見であることに留意願いたい。意見を述べる前提として近藤医師は以下のように述べている。
    「わたしは清水市立病院につとめるようになって、小坂医師が手術した傷あとを見て、本当にびっくりしたからです。これほど下手な外科医が日本にいるんだ、それが公立病院の要職にあると知って驚いたのです。(中略)いずれ病院側や清水市も気づいて、何か手を打つだろうと考えていたからです。」と、前置きされている。
    「ケース1の写真は乳房切除後の術創です。乳房を切除したあと、皮膚を寄せて縫い合わせるわけですが、このケースでは創が閉じていません。それは、寄せた皮膚が壊死し・脱落していることを意味しています。この場合、創の下から肉芽が新生して盛り上がってくるのを待つしかありません。そして肉芽が盛り上がって創が一応治っても、それはいわゆる瘢痕組織になるわけで、通常の皮膚の状態とは程遠い、美容的に劣った状態になります。(中略)したがって、縫い合わせた皮膚が壊死状態になるのは、外科医が通常備えているべき技術をもたないことの証拠になります。もちろん、通常の技術をもつ外科医であっても、まれに創の一部が壊死することはありますが、これほど広範な壊死をみることはありません。」
    「ケース2は、乳房温存手術をうけた患者さんの術創です。この場合には乳腺と皮膚が壊死に陥って、潰瘍が生じたわけです。(中略)いずれにしろ、この術創の様子から、外科医に乳房温存手術をするうえで必要な基本的な知識ないし技術がないことがわかります。(中略)小坂医師は、どうもきちんとした知識なしに温存療法の手術を始めたようで、このケース以外にも、術創が壊死して潰瘍が生じた患者さんを何人も診ています。」
     
    今回提出する証拠写真(甲121)は,控訴人竹下が2002年10月24日に旧清水市市議会議長に小坂の手術の酷さを説明する際にみせたものであるが,これら写真を一目見るだけで,その手技の劣悪さが際立っていることが理解できるのである。

 (3) 次に、甲29号証(いのちのジャーナル1998年12月号)による抜粋を紹介する。
   「(中略)元看護婦が証言する『縫い方がバッバッバッと雑なんですよ。ですから皮膚がなかなかくっつかない。術後に縫ったところが裂けてしまうこともしょっちゅうありました。また、多めに切り取るから、肉が盛り上がり、傷跡がケロイド状になってしまう。乳房の形を損なわないはずの乳房温存療法でもそうなんです。看護婦の間では乳がんになったらよその病院に行くというのは常識になっていました』傷口がくっつかないというのだから、患者の入院日数も当然長くなる。(中略)慶応大学の近藤誠氏によれば、『アメリカなら専門医の資格を剥奪されるでしょうね。慰謝料請求?うーん、アメリカなら裁判になると思いますよ』という。(中略)執刀するのは小坂氏だけ、傷跡も入院の長さも同じだから、小坂氏の手術が下手かどうか患者にはわからない。ところが、日赤外科部長を務めたこともある東泉東一氏が開業した東泉クリニックが同じ市内にあり、手術が必要な患者が来ると、東泉氏は執刀する場所として清水市立病院を利用する。開業医が総合病院の施設を利用して手術を行うのはそれほど特殊なことではないという。東泉氏が執刀した患者も当然清水市立病院に入院する。そこで、東泉氏の患者と小坂氏の患者が対面することになる。『ゲッ、ウソッ、どうしてそんなにきれいなの』小坂氏の患者はショックを受ける。再び看護婦の話。『ですから、東泉先生の患者と小坂先生の患者を一緒にするなという指示が出されたことがあります。』」(同号証19〜20頁)

   控訴人竹下は、被控訴人小坂に傷が汚いと直接文句を言った患者から話を聞いたことがある。その患者は被控訴人小坂の手術を受けて入院中に、東泉医師の手術を受けた患者の手術痕を診て、あまりの違いにショックを受け、驚いて、なぜ私のはこんなに汚いのかと被控訴人小坂に文句を言ったということであった。そのとき、被控訴人小坂は笑っていたと言った。

 (4) その他、被控訴人小坂の手術手技が劣悪であることは、甲73号証(月刊現代2003年1月号)によっても明らかである。
被控訴人小坂の手術手技の劣悪さに関する記述を抜粋する。
「では、肝心の腕前はどうか。外科医の腕のみせどころは手術が上手いか否か。それは術後の入院日数でわかる。メスさばきの見事な外科医の患者ほど退院は早い。乳癌患者の入院日数は平均で1週間(長くて2週間)である。高野静さん(仮名)はエコーで0.9mmという極小のしこりが見つかっただけで、乳房を丸ごと取ってしまう全摘出の手術を勧められた。91年のことだ。彼女のようなケースであれば『乳房温存療法、1週間程度で退院』で済むはずだが、高野さんは41日間も入院していた。なぜそんなに長いのか『縫ったあとに傷口がいつまで経っても塞がらないからです。私の場合、完全に塞がったのはちょうど1年後でした。入院仲間に聞いても、塞がるのが早い人で6ケ月、1年以上かかった人も少なくないですよ。』」
   控訴人竹下の入院日数は4週間であった。しかも、控訴人竹下は被控訴人小坂に対して、早期退院を催促していたにもかかわらずである。

 (5) 以上の各号証記載内容からもわかるとおり、被控訴人小坂の手術手技は資格をもった外科医とは思えない程の拙劣さであり、被控訴人小坂の手術によって被った術創の醜状も本件損害に該当するといわざるを得ない。

3.本件手術による障害
 (1) 被控訴人小坂による控訴人竹下に対する本件手術は、乳癌及び乳房を取り巻くリンパ節を切除する術式である。
    特に、被控訴人小坂は、横切開と言うが傷痕は一直線ではないし、胸中央左から右腋の下まで22cmに及ぶ。これは、控訴人竹下の胸回り73cmの30%が切断されたことになる。控訴人竹下のリンパ節(腋の下及び鎖骨上下)及び大胸筋の筋膜を切除し、縫い合わせるための皮膚を残さないため、鎖骨側と腹部の皮膚を引っ張り、むりやり線路状態に縫い合わせているのである。そのため、肩が前に引っ張られて前屈みに落ち、それにつれて肩胛骨が背骨を引っ張り、腰まで歪めてしまうのである。そのため、腰痛の出現及び股関節も痛める結果になっている。
    また、無断でヘモクリップを多数使用し、控訴人竹下の体内に金属を残存させている。
    甲99号証(日本臨床外科学会雑誌 平成10年59巻増刊号)は、リンパ節及び大胸筋を切除する手術において大胸筋萎縮に対する危惧から、できるだけ大胸筋が支配する神経を残すよう推奨している医学文献である。同号証は以下のように論じている。
    「【目的】大胸筋の支配神経は上、中間および下胸筋神経とされ、これらを術中に損傷すれば支配領域の大胸筋萎縮が当然危惧される。当科ではBt+Ax手術において、可及的にこれら神経を温存するように努めてきており、胸筋神経温存と大胸筋萎縮の関連について検討した。
                (中略)
    【結果】上、中間および下胸筋神経を全て温存した32例では、大胸筋の萎縮なし。(中略)下胸筋神経を切断した症例は3例とも下胸肋部までの萎縮が認められた。
    【結論】大胸筋の萎縮からみると、上胸筋神経だけでなく、中間および下胸筋神経の温存は意義があると考えられた。」

また、甲15号証(乳癌の診断と治療)には、「非定型乳房切除術の術式の要点は大・小胸筋に分布する神経の温存にある。・・しかし、中・下胸筋神経は手術操作で損傷することがあり、この結果大胸筋の下外側が萎縮し、美容効果が半減する。したがってこれら神経温存のために、繊細な手術操作が要求される。」(同号証109頁)

この点、原審判決は「しびれについては他覚的な所見が得られていない。また、浮腫については、リンパ節を切除したことが原因で発生したものであろうと考えられるものの、乳癌手術を行えば、乳房切除術であれ、温存療法であれ、リンパ節の切除をせざるを得ず、その不可避的合併症として、浮腫が生ずるものである」と判断している。
しかしながら、近藤誠医師の意見書(甲30号証)にも指摘されているとおり、被応訴人小坂の手術手技の拙劣さが控訴人竹下の後遺症の残存につながっていることは明らかである。原審判決は、乳房切除術を実施すればしびれは浮腫などの後遺障害は当然の合併症であると指摘しているが、手術を受けた患者がすべて控訴人竹下のような障害7級に相当するような後遺障害を負うわけでないこともまた明らかである。
   また「しびれについて他覚的な所見が得られていない」という判断は誤りで、
   他覚的所見が得られていないのは「麻痺」である(甲16号)
そうであれば、控訴人竹下の被った後遺障害は被控訴人小坂の手術手技の拙劣さに起因するものであると判断することが合理的なのである。

 (2) 被控訴人小坂の本件手術によって被った障害は、たとえて言うならば、「身体が常に絞られている状態(雑巾をひねって絞ったような状態)」になっているのである。そして、そのような状態を戻そうとする力が必要であり、そのような力は控訴人竹下の生涯にわたって要求されるものである。
    控訴人竹下が現在2週間毎に受診しているカイロプラティックの施術師は「右側の力をすべて左で受け止めた状態である」と控訴人竹下に説明しているところである。
    このような症状が出現するのは、控訴人竹下一人ではなく、控訴人竹下と同様に被控訴人小坂によって手術を受けた患者すべてが、このような症状に苦しんでいるのである。このことも、被控訴人小坂の手術手技の拙劣さを原因としていることの証である。
    以下、控訴人竹下が具体的に被った障害について、順次論じることとする。

 (3) リンパ節切除による障害
   本件手術後、控訴人竹下は右腕による採血及び血圧測定などを受けることができなくなった。控訴人竹下が術後入院中に、被告病院看護婦より「どっち手術した?」と尋ねられたことの意味が当初理解できずにいたところ、「もう右腕には注射できない」「採血も血圧測定も左腕だ」と言われて初めて、リンパ節切除による後遺障害を負わされたことを知るに至ったのである。またリンパ節切除によっておきるリンパ浮腫については、手術から1年後に転院した国立静岡病院の馬場医師から説明を受け、初めて知ったのである。
    リンパ節切除による後遺症は生涯に渡るもので、リンパ浮腫を予防するためには一生ケア(ハドマーによるマッサージや、腕の挙上、重いものを持てないなど腕の使用制限)が必要である。リンパ浮腫予防は起きている時だけでなく、夜、寝ている時にも腕の挙上が必要である。
   このことは、必要のない手術により控訴人竹下が被った被害・損害といわざるを得ない。

4.控訴人竹下の社会生活上の支障
  控訴人竹下が社会生活上行っていた内容は、1997年7月11日付原告(控訴人竹下)準備書面に記載したとおりである。すなわち、控訴人竹下は夫とともに会社経営を行っていたが、当時、@従業員に対するお茶だし、A工場の掃除、B運転業務、C現場の手伝いや後かたづけ、Dペンキ塗り、E荷造り、F物の運搬、G修理品等をビニール袋に入れる、H納品・配達、I経理事務・ハンコ押し・チェックライターの使用、などの業務を行っていたが、本件手術後は、これらの業務を「手のむくみ」「身体のだるさ」「力が入らない」「身体のゆがみ」などを理由として、まったくできない状態、あるいは制限せざるを得ない状態に陥った。
  これらのことは、上記原告(控訴人竹下)準備書面添付の一覧表(一)に記載したとおりであるが、こうした支障は、現在においてもまったく変わることがないため、仕事においては経理事務をやるのみである。

5.控訴人竹下の日常生活上の支障
  甲16号証は、平成8年6月に国立静岡病院内科医師によって作成された身体障害者診断書・意見書である。同号証には、障害名として「右上肢リンパ浮腫」と診断されており、「現症」として「術後、右上肢の浮腫、しびれが持続」と記載されている。「感覚障害」として、感覚麻痺及び異常感覚があることが明記されている。そして、「日常生活動作で不可能であることはあまりないが、日常生活における使用においても、浮腫が助長されるため、あまり使用しないようにしている」と記載されており、控訴人竹下が術後の日常生活において著しくその動作を制限せざるを得ない状態であることが明らかになっている。
被告は、平成15年10月9日付準備書面40頁において、「甲16号証の『障害名』としては、運動障害名を記載することになっている。しかし、甲16号証に『障害名』として記載されている『右上肢リンパ浮腫』は症状名であって、運動障害名ではない。」「甲16号証の診療担当科名は『内科』となっているが、『身体障害者診断書・意見書(肢体不自由障害用)』の作成は、手術後の肩関節の運動が中心となるので、『整形外科』が行うことが一般的と聞いている。」と主張している。
しかしながら、身体障害者診断書の取扱いについて(昭和59年9月28日 社更第128号 各都道府県知事・指定都市市長あて 厚生省社会局長通知)によれば「診断書 1.障害名 部位とその部分の機能の障害を記載する。」とされており、被告が主張するような「運動障害名」の記載が求められているものではない。また身体障害者福祉法施行規則第3条第1項の規定による医師の指定基準について(昭和59年9月29日 社更第130号 各都道府県知事・各指定都市市長あて 厚生省社会局長通知)によれば、「肢体不自由の医療に関係ある診療科名」として、「整形外科、外科、内科、小児科、神経科、呼吸器科、脳神経外科、呼吸器外科、小児外科、理学診療科、放射線科」が挙げられているのであり、診断書を作成するのが「整形外科」に限られているとの被告主張には、何ら根拠のないものである。(甲100号証)
  なお、診断書による申請先が被告である市であるため、控訴人竹下は市への提出を躊躇し、裁判の資料とした。よって、障害者認定は受けていない(平成15年10月9日付被告準備書面第9、6、G)。

  日常生活上の支障については、控訴人竹下1997年(平成9年)7月11日付準備書面4頁及び同準備書面添付の一覧表(二)にも記載したとおりであり、現在においても控訴人竹下の被った被害は変わっていない。
  以下には、主な「家事労働」「その他の日常生活」における控訴人竹下の負担や支障について論じるにとどめる。

 (1) 家事労働
  @ 掃除
    掃除機は重い物が持てないため、軽量のものに変えざるを得なかった。
    拭き掃除については、腕を引く力が出ないため、左手を使ってトイレと調理台の拭き掃除をやるだけで、床を拭く必要がある時は腕の代わりに足を使ったり、左手を使ったりしながら行っている状態である。
  A ごみ出し
    右手の動きがぎこちないことと力が入らないため、ビニール袋を縛るのが控訴人竹下にとっては大変な作業である。したがって、術後は夫の力を借りざるを得ない。夫の手を借りられない場合には控訴人竹下自らが行っているが、重い場合は台車を使い、軽い場合は左腕を使って休みながらごみ出しをしている状態である。
  B 買い物
    購入した荷物が持てないため、買い物に行くときには、控訴人竹下の夫または姉に同行してもらい、持ってもらうしかない。左手で無理して持ってしまうと身体をずらしてしまうので絶対に持たない。右手で持てばリンパ浮腫を増長させてしまうため持つことはできない。
  C 食事の支度
    大根おろしなど、従来控訴人竹下が右手で力を入れながら行っていたことは、術後まったくできなくなった。炒め物のように、常に腕を動かしながら行う調理は、夫に手伝ってもらっている。硬い野菜などの皮むきなども、腕を休ませながらでなければできない状態である。
  D 後かたづけ
    腕の負担を軽減するため銘々に運んでもらい、食器洗い器の手を借りたり、鍋などのひどい汚れは夫に手伝ってもらっている。
  E アイロンがけ
    アイロンを持つ、押す、引く、というそれぞれの動作に非常に大きな負担がかかるため、ほとんど使わなくなった。
  F 引き戸・ドアの開閉
    左手を使用して行っているが、引き戸やドアの位置関係によっては右手を使わざるを得ないこともあり、右手を使って開閉を行った後は大きな負担がかかることがしばしばである。

 (2) その他の日常生活上の動作
  @ 歯磨き
    腕をうまく動かすことができない(細かい動きが不自由)ため、電動歯ブラシを使用している。
  A ドライヤーの使用
    術前は毎日ドライヤーを使用していたが、右腕の負担が大きいことと、うまく動かせなくなったため術後はドライヤーの使用にかなり制限がある。
  B 車の運転
    控訴人竹下が居住している地理的な環境のため、控訴人竹下の日常生活に車は欠くことのできない存在である。実際、術前は夫との外出時には控訴人竹下が運転することがほとんどであった。しかし、術後は右腕だけでハンドルを支えられないため、マニュアル車の運転は不可能となった。また、カーブを切るハンドル操作が右腕に負担となるため必要最小限の運転にとどめざるを得ず、運転するときにはほとんど左手のみを使用しての運転になっている状態である。
  C 庭仕事
    庭仕事に軍手は不可欠の存在であるが、術後は軍手をはめることによってリンパ浮腫が生じるため使うことができず、草を引き抜く力も出ないため、ビニール製の手袋を使用して、せいぜい落ち葉をかき集める程度の動作しかできない状態である。
  D フルート演奏
    フルート演奏は、控訴人竹下が長年趣味にしてきたことであり、術前には、演奏グループの演奏会や合宿にも積極的に参加してきた。しかし、楽器と譜面台を両手に持って移動することができなくなったし、細かい指使いができないため、演奏会や合宿には思うように参加できなくなった。フルート演奏は両手を使用するが、1曲演奏し終わると腕を上げて休ませないと、あとの演奏が続けられなくなっている。練習中も、フルートを継続的に手に持つことができないため、演奏していない間はフルートをいすの上に置いて自分の演奏を待つという状態を強いられていた。呼吸状態が悪いため、音を支えるなど、フルート演奏にとって基本的な技術が使えない状態である。現在は休止中である。
  E 犬の散歩
    甲33号証は、術後5年経過した時点で控訴人竹下が犬を散歩させている写真である。右腕はまったく使えないため、左腕一本によって散歩させるしかない状態である。しかし本来のペットは山羊であり、控訴人竹下の手術によって世話ができなくなり、退院後手放さなくてはならなくなったのである。
  F アームの使用
    控訴人竹下は、術後、右腕を支えていなければ日常生活を送ることができない。事務仕事をするときには、アームを使用して右腕を支えることが不可欠となっている。甲34号証は、控訴人竹下がアームを使用して仕事及び食事をしている写真である。

6.抗癌剤使用による後遺障害
 (1) 控訴人竹下は、被告病院に入院中、抗ガン剤UFTを処方され、それを服用してきた。しかも,抗ガン剤の処方については,被控訴人小坂から何の説明も受けぬままに,控訴人竹下の知らない間に投与試験対象者とされ、処方されていたのである。
    抗ガン剤の強い副作用については、周知の事実であり(甲60号証、67号証、69号証など)、ましてや控訴人竹下が主張するように、控訴人竹下はそもそも乳がんではなかたのであるから、被控訴人小坂はもともと健常者であった控訴人竹下に副作用の強い抗ガン剤を処方し服用させていたことになる。極めて悪質な、人体実験,あるいは犯罪行為ともいえる被控訴人小坂の行為によって、控訴人竹下は現在においても抗ガン剤服用時の下痢の出現に苦しめられているのである。

 (2) 控訴人竹下は、被控訴人小坂から処方されたUFTと5FUを半年ほど服用していたが、控訴人竹下自らが身の危険を感じ、抗癌剤の服用を自らの手で止めたのであるが、半年間服用し続けたことによる副作用が出ており、その副作用によって現在でも控訴人竹下は苦しめられている。
    たとえば、歯や喉に炎症が生じたとき、治療で処方される消炎剤を服用すると必ず下痢を起こすようになるため、受診する医療機関に依頼して最も弱い薬剤を処方してもらっている。また、抗生物質によっても同様の症状が出現するため、抗生物質を使えなくなっている。さらには、虫歯予防のキシリトールを含んだガムを噛むだけでも、同様のひどい下痢症状を起こしてしまうのである。(以上、甲98号証「控訴人竹下意見陳述」より)
   甲73号証278〜279頁には、被控訴人小坂の患者に対する抗癌剤処方に関する以下のような記述がある。
「劇薬であるはずの抗癌剤についても一切説明されることなく、患者はのんでいた。抗癌剤だと知った患者がのむのをいやがると、小坂は『命が惜しければのめ』と怒鳴った。疑問を抱く患者もいたようだが、何しろ名医の発言である。従うしかなかった。後に『癌の予防のためにのめ』『ビタミン剤だと思ってのめ』と、表現を変えて言うようにはなったが、それにしても劇薬をビタミン剤とは・・・。前出の高野さんが回想する。『入院仲間がけっこう亡くなりましてね。悪質な癌だったのかもしれませんが、隣のベッドの人はものすごく元気だったのに抗癌剤の投与が始まってから急に元気をなくされ、亡くなった。隣の部屋で亡くなった方は二十数種類もの薬をのんでいました。』

7.ハドマーの使用
  本件手術後約1年が経過した頃、控訴人竹下は国立静岡病院の馬場医師より、右腕全体の浮腫について指摘を受けた。そこで、控訴人竹下は外来受診のときに、右腕の浮腫を治療するため「ハドマー」という機械を用いてマッサージを受けていた(甲102号証)。その後、平成11年8月に突然右手の甲から指先まで浮腫が出現したため(甲105号証)、控訴人竹下は馬場医師の紹介で家庭用の「ハドマー」を購入し自宅にてマッサージを行い、また、弾性手袋を購入して浮腫の予防に努めたのである。
  甲101号証(馬場國男医師作成による診断書)は、控訴人竹下が弾性手袋を購入する際に馬場医師が作成した診断書である。
  控訴人竹下は、現在においても毎日30分間にわたって、自宅でハドマーを使用してマッサージを行い、夜、就寝時は右腕の下に枕を置き、水平より高くした状態で浮腫予防を行なっている状態である。

8.カイロプラティックへの通院
  控訴人竹下は、本件手術により「肩が前に引っ張られて前屈みに落ち、それにつれて肩胛骨が背骨を引っ張り」という状態になっていることは、2003年11月20日付準備書面5頁で主張したところである。そのため、控訴人竹下は現在2週間毎にカイロプラティックに通院していることも、同準備書面で論じたところである。
  甲103号証は、控訴人竹下が通院していたカイロプラティックの施術記録カードであり、甲104号証は、控訴人竹下が現在に至るまで通院しているカイロプラティックの通院証明書である。
  いずれも、今後、生涯に渡って治療、予防が必要である。

9.まとめ
  以上論じてきたとおり、被控訴人小坂の手術、及び抗ガン剤の処方によって、控訴人竹下は生涯癒えることのない肉体的・精神的損害を被ったのである。しかも、控訴人竹下が主張しているとおり、被控訴人小坂は控訴人竹下が乳癌ではないことを知りながら、ことさら控訴人竹下を乳癌患者に仕立て上げ、乳房切除術(腋の下及び鎖骨上下リンパ節の切除、大胸筋膜切除を含む)を実施し、不要な抗ガン剤を投与試験のために脅迫的な言辞を加えながら控訴人竹下に処方したのである。

以上

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