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竹下裁判

弁論再開申立補充書(1)

平成16年(ネ)第2435号 損害賠償請求事件
控訴人 竹下勇子
被控訴人 静岡市 外1名

2006(平成18)年4月24日

控訴人訴訟代理人 弁護士 渡  邉  彰  悟
同            福  地  直  樹

東京高等裁判所 第5民事部 御中

弁論再開申立補充書(1)

はじめに

 先の弁論再開申立書において,控訴人はティーエスエル鑑定がその客観性において非常に問題があることを新しい証拠を示して主張しました。結審前に控訴人が指摘したティーエスエル社の鑑定人としての適格性の問題と合わせて考えると,ティーエスエル鑑定を前提にした事実判断は避けなければならない状態にあると確信します。
 本書面では,この私たちの確信を事実を整理しながら裁判所にご理解をいただきたく,先の弁論再開申立書を補充する趣旨で提出するものです。
 本件において,控訴人の主張の最大の眼目は控訴人が乳癌であるという証拠はなにもないということです。この控訴人の主張を支える根拠は事実の経過の中にも十分にみることができます。
 そこで,第1に,原判決が,多田医師の永久標本診断を1月6日にあったとしたのは,明らかに事実認定の誤りです。この点も明らかにしておきます。第2に,喜納診断が100%ありえないと確信に基づいて事実関係の見直しをいま一度しておきたいと思います。
 迅速及び永久の両喜納診断が存在しないこと,及び多田診断が1月6日ではなく1月7日であったということを得心いただければ,病理診断は1月6日の小坂の説明の前には存在していなかったことになります。
以上の点を事実として確認していただければ,癌の標本が竹下のものであるのか、DNAの鑑定評価にこだわる控訴人の理由もより一層ご理解をいただけるものと信じますし,ティーエスエル鑑定の不思議さも浮き彫りになるものと考えます。
 そして以上の点を理解していただければ,ティーエスエル鑑定に依拠する事実認定はあってはならないし,これを前提にした裁判所の判断そのものも過ちを犯すことになることははっきりしています。
  ぜひ慎重なるご検討のうえ,先に申し立てた弁論再開の申立をお認めいただきたく申し立てる次第です。

第1 1月6日の多田医師による永久標本診断は存在しないこと
(1) 原判決の判断内容
 原判決は、多田伸彦医師による病理診断について、以下のように判示しています。すなわち、
 「また、東海大学助教授の多田伸彦医師(同医師も清水病院に非常勤で勤務していた)も、原告の永久標本によって、浸潤性乳管癌、乳頭腺管癌、上皮の異型増殖で、乳頭腺管構造を示し、一部間質への浸潤を認めると判断し、同日原告らへの説明が予定されていたことから、直ちにその結果を被告小坂に連絡し、翌7日付でその診断書面を作成した(乙1p36)。」(原判決6〜7頁)
 「本件手術に至る時間的経過は、これを要約すると・・・平成4年1月6日多田医師・・・によって乳癌と診断・・・」(原判決27頁)
 つまり、原判決は、多田医師は1月6日に病理診断を行い、翌7日付けで病理診断書を作成したと事実認定しています。

(2)  原判決は被控訴人の主張にも反すること
 しかしながら、1月6日に多田医師が病理標本をみたとの事実認定は明らかに事実誤認です。1月6日に多田医師が病理診断をしたとの事実は被告(被控訴人小坂ら)も主張していない事実です。
 一例を挙げれば,被告小坂は次にように法廷で述べています。

 「1月6日は喜納教授が診断してくれたわけです。1月7日は多田教授が診断してくれたということでございます」(小坂調書A77項)。
 また、何ら証拠に基づかない事実であるにもかかわらず、原判決は1月7日の多田診断を前日(1月6日)に行われた説明の根拠として認定していますが、これは明らかに誤った事実認定です。
 つまり、1月6日に実施された説明の際には病理診断結果は存在しなかったのであり、それにもかかわらず原判決は上記のような誤った事実認定をしているのです。

(3) 結論
 以上の事実及び後述する喜納教授による病理診断の存在しなかったという事実から、控訴人に対しての病理診断は存在しなかったといわざるを得ません。そのことは、原審で実施された支倉鑑定(DNA鑑定)が正に裏付けているわけであります。

第2 喜納診断が迅速・永久標本の双方において存在していないことについて

1 喜納診断に関する原判決の判断
 この問題に関する原判決の判示の内容は以下のとおりです。
 
「小坂は,この迅速標本(迅速標本は複数作製)を浜松医大に持参し,同大学教授の喜納医師に診てもらったところ,稲田医師と同意見の診断であった」。
「確かに、同教授(喜納教授)が診断をした結果としての診断書等の書面は存在しない。しかしながら、この点の被告小坂の供述等(説明)は筋が通っており、これを虚偽であるとする根拠はない。」(原判決22頁)

「時間的に喜納教授と小坂が出会えないはずであるとの竹下や竹下代理人の報告書(甲72・85・86)も確定されていない事実を前提にして一方的な推測をしているもので,採用できない」(原判決22頁)。

 原判決の認定は,結局のところ,「小坂の供述等(説明)は筋が通っており」,控訴人の主張は「確定されていない事実を前提にして一方的な推測をしている」ものであるとして控訴人の主張を排斥したのであります。
 しかし,控訴人としてはかかる原審の判断を到底受容れることはできません。特に,原審の「確定されていない事実を前提にして一方的な推測」を控訴人がしているとの表現には言いようのない怒りを覚えます。原審は自らの事実認定の偏頗さを,上記表現で原告主張を切り捨てることによって正当化しようとしたのです。控訴人が原審において提出した多くの客観的な資料は,「一方的な推測」をするためではなく,合理的な心証を裁判所に抱いていただきたいために提出したものにほかなりません。これらの証拠をも原審は「確定されていない事実」だと考えたとしか言いようがありません。

 以下では,証拠に基づく合理的な判断をいま一度考察しお示ししたいと考えます。

2 91年12月27日の喜納迅速標本診断について

 小坂が浜松に行ったかどうかはわかりません。その客観的な証拠はありません。
 仮に行ったとしても,喜納教授と会うことはできないのです。この点を以下に詳細に検討します。

(1) 小坂の主張する行動
 まず,被控訴人小坂の主張する事実関係を明確にしておきます。

 10:25 静岡発の新幹線(甲76・小坂調書A127項以下)
 11:02頃 浜松駅到着(甲76)
 タクシーで浜松医大へ(約30分・小坂調書A130項以下)

 これによれば11:40頃、浜医大着となります(小坂も11:30を過ぎていると認めています 調書A141項)。小坂の到着した時点で午前中は残り20分ほどしかないのです。

(2) 喜納教授の27日の行動

 他方,喜納教授の27日の行動(この日は仕事納めで浜松から東京に帰省する日でしかも,御殿場では雪になっている状況=甲77)を残っている「客観的」な資料から示します。
 
 喜納教授の27日の日誌(甲61)
 「am イワタへ」
 喜納教授の27日の手帳(甲63)
 「10 イワタ」
 となっています。

 この「am イワタへ」の合理的な解釈はどうあるべきなのでしょうか。ここが肝心な点です。なぜなら,原判決は不当にもこの点の判断を明らかに回避しているからです。
 喜納教授の日誌等への書き方として,「am イワタへ」という場合には,午前中に磐田に「いる」ことを示しています。つまり,その時間帯の居場所・行動場所(或いは行動内容)を示しているのです(甲82・喜納日誌参照)

 以上のとおり,日誌と手帳と合わせて読むと,午前10時に磐田総合病院に到着していたと見るのがもっとも自然であります。10時ではないとしても,少なくとも午前中に磐田総合病院に到着していた以外の事実認定は存在し得ないのです。これが常識的で合理的な判断です。そうすると,浜松医大から磐田総合病院まで小1時間はかかることは明らかですから,喜納教授は,遅くとも11時頃には浜松医大を出発していることになります。11時半を回って喜納教授が浜松医大を出発しているということはありえないのです。11時40分頃に浜医大に到着したという被告小坂とはすれ違うことすら不可能です。

(3) 27日の喜納教授による迅速診断は存在しない

 このように小坂の主張と喜納教授が遺された「客観的」なメモ等を比較すれば,小坂の主張する時間で会うことは絶対に不可能なのであります。
 なお,この27日,喜納教授は年末の仕事納めの日で,磐田総合病院で19例の病理診断を行い(甲81),午後2時前には病院を「とび出」して(甲63手帳),急いで東京への帰路についていることにも留意してください。喜納教授は帰京を急いでいました。御殿場付近での雪情報を知っていたからです(甲77参照)。
 以上のように,竹下は,客観的に残っている証拠を持って裁判所に事実認定を迫ったに過ぎません。これに対して「確定されていない事実を前提にして一方的な推測をしているもの」と表現した裁判所の判断はまったく理解できません。
 そして,以上のような客観的な事実判断は,常識的な判断に適い自然であり合理的です。例えば,年末の仕事納めのときに事前の連絡もなく病理診断(しかも迅速標本)を突然依頼することなどあり得ないことであり、誰の目から見ても非常識(アポなしであったことは小坂も認めています 調書A-175)であります。また,そもそも迅速標本診断というのは,手術時(例えば温存や非定型手術)に行われる迅速な標本診断を指しているのであって,今回のような手術の前の生検において,迅速標本診断は通常考えられていないことでもあります。結局,非常識なことは起こらなかったということなのです。
 さらに,小坂は標本を廃棄することを喜納教授に委ね、しかも記録を残さない、仕事始めの日に永久標本の病理診断までも約束させられるなど、喜納教授にすれば常識を逸した行動を求められたということです。これも社会常識として到底ありえない話であって,事実として存在しなかったということに帰結します。

3 92年1月6日の喜納永久標本診断について

(1) 結論
 この永久標本に関する喜納診断は12月27日の迅速診断が以上のように存在していないということになれば,その論理的帰結として当然に存在しないことになります。なぜなら,1月6日の永久標本についての喜納診断は27日に迅速標本を診てもらった際に,被告小坂が永久標本診断も依頼をしたことが前提だからです。ですから,永久標本に関する事実判断はその意味で喜納迅速標本診断の帰趨によって解決がなされるべき問題であります。

 そして,2で述べたように,迅速標本診断が存在しないことが客観的な証拠に照らして合理的な事実認定であることは疑いがないのですから,永久標本に関する喜納診断も存在しないということが論理的で合理的な結論であります。

(2) 武内浩三の動きと診断との関係
 被控訴人小坂の主張によれば,1月6日に永久標本を届けたのが,塩野義の武内氏であるということで,武内氏についてどのような事実認定をするかが影響をします。
 この点でも,原判決は当事者の主張と異なる独自の事実認定を行っています。
 <原判決>の認定は以下のとおりです。
「武内浩三氏に,内容物の説明をすることなく,配達を委託して,喜納教授に届けてもらった。喜納教授はこの永久標本によって,浸潤性乳管癌,乳頭腺管癌と診断し,その結果を電話で小坂に連絡」。

 ここで原判決は,「内容物を説明することなく」と認定をしました。武内氏の存在は被控訴人小坂から出てきたものであるのに,小坂が届け物は何であるかを説明していると主張していること(乙18,小坂調書A-431・436項)を無視して,原判決は虫食い的な事実認定を試みたのです。しかし,これ自体がおかしなことです。存在(武内氏に標本を持たせたこと)そのものを認定しながら,その内容物の説明もしたという小坂の主張を排斥する。おかしな事実認定とは思われないでしょうか。

 他方,武内氏が,いつの時点かわかりませんが,「小坂医師から預かったもの」を喜納教授に届けたことはあったと思料されます。しかしそれは「茶封筒(大きさはA4よりも大きくなかったと思います)に入れられており」,「その中身については、説明も受けておりませんし、私から内容を確認したこともありません。その中身がなんであるか特に意識しないまま助手席にその封筒をおいて浜松に行」ったというものです(甲87・武内氏による陳述書)。
 武内氏が何かを持参したというのであれば,それは標本であるのかという問題がありますが,このときに武内氏は持参する内容物の説明を受けていないのです。これはこの内容物が標本ではないことを示しています。逆に考えれば標本であれば,その旨の説明を受けているはずだからです。

(3) 1月6日の喜納教授の行動について
 すでに決着はついているようなものであるが念のため,ここでも「客観的に」判断できるその日の喜納教授の行動を確認し,1月6日の喜納教授による永久標本も存在しないことを裁判所に確認していただきたいと存じます。
甲63には1月6日の手帳があります。
1月6日の記載は以下のとおりです。

「富士宮へ 8半着 仕事さすがに少なく10発
 ひるめし 教室で
 午後   雑用の山あり
 4時   Dr. Dr.    来
 新年宴会  8時頃まで」(甲62及び63)

 このような記載からみると,午後に学外の用件をこなしているという理解はできません。大切なことはこの日が仕事始めの日だということです。12月27日が仕事納めの日であり,この日が仕事始め。仕事納めと仕事始めの時に仕事を依頼する人間はいないでしょう。仮に本当に,武内氏が小坂の依頼で12月27日のときの流れで来たのであれば,あまりの非常識さに,手帳に書き込みがあって然るべきです(これは12月27日の方も同様です)。

 控訴人としては,被控訴人小坂の苦し紛れの虚構(喜納診断)を裁判所がいとも簡単に事実として認定してしまった理由がまったくわかりません。苦し紛れというのは,喜納教授が亡くなっていることを利用したという意味も含まれています。喜納教授が生きていれば,控訴人がこの書面で主張しているとおりのことを証言されるでしょう。それは私たちの単なる「推測」ではなく,以上見てきたような客観証拠の合理的な評価なのであります。

 ましてや,12月27日も1月6日のいずれも喜納教授による病理診断の記録は存在しないのです。これらすべての非常識と何の客観性もない判断を控訴審裁判所は維持されるのでしょうか。

まとめ

以上の事実関係をみるとき,原告を乳がんと指摘する病理診断が1月6日の被告小坂の説明のときになかったことは明白です。この事実は,原審判断の誤りの明白さとともに,弁論の再開を大きく根拠付けるものと控訴人は考えます。

以上

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