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竹下裁判

高裁判決

平成16年(ネ)第2435号 損害賠償請求控訴事件(原審・静岡地方裁判所平成8年(ワ)第102号)
平成18年3月6日口頭弁論終結

判         決

静岡市 ○ ○ ○
控訴人兼被控訴人  竹  下  勇  子
(以下「第1審原告」という。)
控訴代理人弁護士  渡  邉  彰  悟
            福  地  直  樹
静岡市 ○ ○ ○
被控訴人兼控訴人  静    岡    市
(以下「第1審被告静岡市」という。)
代表者市長     小  嶋  善  吉
静岡市 ○ ○ ○
被控訴人兼控訴人   小  坂  昭  夫
(以下「第1審被告小坂」という。)
2名訴訟代理人弁護士 高  芝  利  仁

主          文

1 第1審被告らの控訴に基づき、原判決中第1審被告ら敗訴部分を取り消す。
2 第1審原告の請求をいずれも棄却する。
3 第1審原告の控訴を棄却する。
4 訴訟費用は、第1、2審とも、第1審原告の負担とする。

事 実 及 び 理 由

第1 控訴の趣旨
  第1審原告
  (1) 原判決を次のとおり変更する。
  (2)  ア(主位的請求)
     第1審被告らは、第1審原告に対し、連帯して、1億1037万5278円及びこれに対する平成15年12月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
     イ(予備的請求)
     第1審被告らは、第1審原告に対し、連帯して、6197万5278円及びこれに対する第1審被告静岡市は平成8年3月5日から、第1審被告小坂は同月3日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 第1審被告ら
  主文1,2項と同旨

第2 事案の概要
  本件は、清水市(平成15年4月に静岡市と合併して、第1審被告静岡市となる。)が設置・運営している清水市立病院(合併後、静岡市立清水病院となる。以下「清水病院」という。)に医師として勤務する第1審被告小坂において、第1審原告が真実は乳癌に罹患していないのに、これを偽って乳癌である旨告知した上、乳癌摘出手術(非定型的乳癌根治術)をして、第1審原告の右乳房を切除した旨主張(主位的請求)し、仮に、第1審原告が乳癌に罹患していたとしても、より侵襲の少ない乳房温存療法を選択しなかった過失、拙劣な手術手技により不要な身体的侵襲を受けた過失、患者である第1審原告の了解なく不要な抗癌剤を投与し続けた過失、リハビリテーションに関する説明、指導、適切な施行を怠った過失及び乳癌手術に当たっての説明義務を怠り、術式選択権を侵害した過失があるなどと主張(予備的請求)して、第1審被告らに対し、不法行為ないし債務不履行に基づく損害賠償金と遅延損害金の支払を求めた事案である。
   原審は、乳房切除手術に当たっての説明義務違反を認定して予備的請求の一部(250万円とその遅延損害金の支払)を認容したが、主位的請求及びその余の予備的請求を棄却した。当事者双方は、その敗訴部分を不服として、それぞれ控訴した。

 2 争いのない事実等
  (1) 清水市は、清水病院を設置していた。第1審被告小坂は、清水病院に勤務する医師(当時外科部長)であった。なお、清水市は、平成15年4月1日に静岡市と合併して、第1審被告静岡市となった。
  (2) 第1審原告(昭和24年2月21日生まれ)は、平成3年12月ころ、右胸のしこりが気になるとして、同月26日、清水病院の乳腺外来を受診した。
  (3) 第1審被告小坂は、同日、第1審原告に対し、触診し、マンモグラフィー(レントゲン検査)及び乳腺エコー(超音波検査)の各検査を行った上で、しこりを採取して顕微鏡的に調べる必要があることを説明して承諾を得、翌日(同月27日)、自ら執刀して生検手術をした。
  (4) 第1審被告小坂は、同月28日、来院した第1審原告に対し、右胸のしこりは癌である可能性が高い旨及び生検よりも大きな手術を受けなければならない可能性が大きい旨を告げ、第1審原告に、乳癌切除の手術を受けるために平成4年1月4日に入院するように指示した。
  (5) 第1審原告は、平成4年1月4日、清水病院に入院し、同月6日夕刻、家族 (夫、長男及び実姉) と共に、診察室で、第1審被告小坂から、乳癌に対する外科手術につき説明を受け、翌日午後までに、非定型的乳癌根治術と乳房温存療法とのどちらの術式を選ぶかを決めるように告げられた(その際の説明が十分なものであるかについては、争いがある。)。
  (6) 第1審原告は、平成4年1月8日午前9時過ぎから午前11時30分ころまで、第1審被告小坂を術者として、非定型的乳癌根治術による乳癌手術(以下「本件手術」という。)を受けた。第1審原告は、同月31日に清水病院を退院した。

 3 第1審原告の主張
  (1) 第1審原告は、真実は、乳癌ではなかったのにもかかわらず、第1審被告小坂は、これを癌である旨偽り、必要のない本件手術を行った。
   第1審被告小坂は、問診、触診、マンモグラフィー検査、超音波検査の結果、乳癌と診断するだけの客観的な根拠がないにもかかわらず、初診の段階でこれを乳癌と決めつけ、初診日当日に生検手術を決定している。さらに、生検の永久標本についての病理診断を経ないまま、第1審原告に乳癌の告知を行い、入院日や手術日(切除日)の日程を決め、乳房切除術に向けての諸検査を実施し、抗癌剤の処方をしている。しかし、清水病院の診療記録上、第1審原告を乳癌であると疑うだけの根拠は何ら存在しない。
  (2) 仮に、第1審原告が乳癌に罹患していたとしても、第1審被告小坂は、より患者に対する侵襲の度合いの少ない乳房温存療法を選択しなかった過失がある。また、非定型的乳癌根治術を行うにしても、その術式の特色は、大・小胸筋に分布する神経の温存にあり、これらの神経の温存のために繊細な手術操作が要求され、これらについて細心の注意義務が要求される。しかしながら、本件手術は拙劣な手術手技に終始しており、第1審原告の術創はいまだに醜状を残したままである。第1審被告小坂には、上記注意義務を怠った過失がある。また、第1審被告小坂及び清水病院は、第1審原告に対し、リハビリテーションに関する説明及び指導をせず、適切な施行を怠った過失がある。さらに、患者である第1審原告の了解なく不要な抗癌剤の投与を続けさせた過失がある。
  (3) 説明義務違反(患者の選択権侵害を含む。)
ア 本件において、第1審被告小坂による生検実施日や説明日の設定は一方的であり、その説明の方法も第1審原告の治療方法の選択権を尊重しなかった。第1審被告小坂は、第1審原告の右胸のしこりにつき、第T期の乳癌であると診断し、第1審原告に対し、乳房を残す方法もあると言いながらも、胸筋保存乳房全切除術(非定型的乳癌根治術)を強く勧めている。この場合、第1審被告小坂には、<1> その手術が、リンパ節を切除するため、手術後、腕の浮腫が発生しやすく、これを防止するため、マッサージを含むリハビリテーションを定期的かつ積極的に行う必要があること、<2> 
  リンパ節切除の際に付近の神経を傷つけ、術後に肩や腕の運動障害やしびれ、痛みが発生する危険があること、<3> これら障害が一生残るものであること、<4> 術後抗癌剤とホルモン剤を投与することになるがこれらには副作用があること、少なくとも以上の事項を説明しなければならない。しかし、第1審被告小坂は、上記<1>から<4>を全く説明していない。
イ 第1審原告の乳癌を治療する方法としては、上記の非定型的乳癌根治術のほかに、癌組織を含むその周囲の乳腺を切除するだけで、乳房を残す方法、リンパ節について切除する方法と切除しない方法、切除はしないが放射線を照射する方法がある(この場合、残存する乳房に対し放射線を照射し、かつ、抗癌剤を使用する。) 。第1審被告小坂は、これらの術式 (乳房温存療法)もあること、非定型的乳癌根治術と乳房温存療法とでは再発率・生存率に差異はないこと、欧米では乳房温存療法が主流となっており、日本でもこの療法が普及し始めており、可能な限りこの療法を選択する病院も存在すること、など重要な点を説明しなかった。
ウ 第1審原告が乳癌であったとしても、ごく初期のものであり、確定診断が出てから入院、手術のスケジュールを決めても手遅れになる心配は全くなかった。にもかかわらず、第1審被告小坂は、先へ先へと急ぎ、その結果、第1審原告の選択権を実質的に奪ってしまった。これは、第1審原告に対する債務不履行又は不法行為を構成する。
  (4) 第一審原告の損害
  第1審原告は、第1審被告小坂による拙劣な本件手術の結果、家事労働などの日常生活に多大な影響を受け、抗癌剤による後遺障害も受けている。
  (金額明細について略)
  (5) よって、第1審原告は、第1審被告静岡市に対し債務不履行による、第1審被告小坂に対し不法行為による損害賠償請求金として連帯して1億1037万5278円及びこれに対する不法行為日又は催告日の後である平成15年12月5日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
   仮に、第1審被告小坂の故意が認められないとしても、第1審被告らに対し、上記の損害賠償金として連帯して6197万5278円及びこれに対する第1審被告静岡市は平成8年3月5日(催告日の翌日)から、第1審被告小坂は同月3日(不法行為日後の日)から、各支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

 4 第1審被告らの主張
  (1) 第1審原告の主張は争う。
  (2) 第1審原告が当時乳癌に罹患していなかったとはいえない。むしろ、証拠上、第1審原告が乳癌に罹患していたことは明らかである。
  (3) 本件において、第1審被告小坂は、平成3年12月28日、第1審原告に対する説明の後、家族に説明するので第1審原告の自宅を訪問することを申し出ており、また、平成4年1月6日の第1審原告とその家族に対する説明を一通り終了した後も、不明な点は翌日再度説明する旨述べるなどの対応をし、さらに、翌7日午後まで家族らと相談して術式を選択する機会を与えていたのであって、乳癌を告知して手術予定で入院させ、術式を決定し、手術を実施するまでの時間は9日間あった。第1審被告小坂による第1審原告の自己決定権の侵害はなかったというべきである。また、第1審被告小坂は、第1審原告に対し、乳房温存療法を含む乳癌手術の方式、適応基準、長所・短所、補助療法等について説明している。平成3年当時、日本においては、乳房温存療法の適応基準、手術の方式、補助療法について、確立した見解は存在しなかった。清水病院では、乳房温存療法の適用について、癌を残存させないために、癌研究会付属病院のプロトコール(乙6)を参考にしていたが、その基準は、当時においては相当な基準であり、第1審被告小坂もこれを基準に判断し、第1審原告や家族にも説明しているのである。

 5 主要な争点
  (1) 第1審原告は乳癌に罹患していたか。
  (2) 第1審被告に乳癌温存療法を選択しなかった過失があったか。手術に当たって注意義務を果たしたか(不要な身体的侵襲を与えたといえるか)。不要な抗癌剤の投与をしたり、必要なリハビリテーションの指導・施術を怠ったといえるか。
  (3) 第1審被告小坂が、本件手術の実施に際し、説明義務を怠ったり、患者である第1審原告の自己決定権を侵害したといえるか。

第3 当裁判所の判断
  当裁判所は、第1審原告の請求はいすれも理由がないものと判断する。その理由は以下のとおりである。
 2 事実認定等
  (1)  争いのない事実等、証拠(甲1、54、64、66、101、乙1〜3、7、8の1・2、13の1ないし4、14の1・2、16、20〜22、26、27、31、原審証人斉藤裕子、同馬場國男、原審における第1審被告小坂[第1回、第2回]、同じく第1審原告、原審における鑑定人支倉逸人による鑑定、同じく鑑定人並木恒夫による鑑定、当審における鑑定、検乙1)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
    第1審原告(昭和24年2月21日生まれ)は、平成3年12月ころ、右胸のしこりが気になるとして、同月26日、清水病院の乳腺外来を受診し、同病院に勤務する第1審被告小坂(当時外科部長)が、第1審原告を診察した。なお、第1審原告と  原文ママ第1審小坂は、互いの自宅が近いことから、面識があった。
    第1審被告小坂は、第1審原告を触診し、右乳腺外上領域に約2センチメートル大のしこりがあり乳癌の疑いを持ったので、マンモグラフィー(レントゲン検査)と乳腺エコー(超音波検査)を行った。その結果、右乳腺外上の腫瘤印影とスピキュラ様の所見(悪性のときに見られる所見で、腫瘤辺縁から放射状に伸びる小突起)を認めたとして、乳癌の疑いを強めた。第1審被告小坂は、しこりを採取して顕微鏡(組織学)的に調べる必要があることを説明し、第1審原告の承諾を得た上、翌日(平成3年12月27日)午前、同第1審被告の執刀により生検手術(局麻)を行った。同第1審被告は、摘出した組織を検査科(病理)に回し、迅速及び永久の2種の標本の作製(パラフィン包埋ブロック作製)と検査を依頼した。迅速標本は同日(27日)午前中に作製され、永久標本は、平成4年1月6日までに作製された。
    第1審被告小坂は、生検によって得られた迅速標本の病理診断結果や触診等の結果から、第1審原告の右胸のしこりは癌である旨を仮に診断(最終診断は、永久標本で決定する。)し、平成3年12月28日に、生検手術の結果を聞きに来た第1審原告に対し、この旨と生検よりも大きな手術を受けなければならない可能性が大きい旨を告げた。すなわち、<1> 最終的診断は永久標本で決定するが、迅速標本の結果と摘出した腫瘤の肉眼的所見(腫瘤の割面の色 [灰白色]、硬さ )、マンモグラフィー及び触診からみて90パーセント以上の確率で乳癌が疑われること、<2> 摘出した腫瘤の肉眼的所見では第1審原告の臨床病期は、1期(ステージT、比較的初期の段階)に入ること、<3> 生検よりも大きな手術が必要になる可能性が大きいので、その準備を進めておく方がよいと思うこと、<4> 第1審原告の場合は外科的治療法として、筋肉を残して乳房を全部取る術式である非定型的乳癌根治術と原則として乳腺の4分の1の切除と腋窩リンパ節郭清(レベルUまで[小胸筋の外側から下をくぐって内縁まで])をし 、乳頭を残す乳房温存療法とがあること、<5> 日本では、乳房温存療法について、ここ2、3年のものしか分かっておらず、5年生存率のデータが出ていないこと、<6> 乳房温存療法の場合、乳腺が残り、再発の可能性が大きくなるので手術後放射線照射が必要となること、<7> 抗癌剤について、乳癌は全身病で全身に転移している可能性があるところ、非定型的乳癌根治術の場合は強い抗癌剤を使用する可能性は低いのに対し、乳房温存療法の場合は腋窩リンパ節に転移があれば強い抗癌剤を使用せざるを得ないことなどを説明した。そして、第1審被告小坂は、この旨を第1審原告の家族に説明に赴いてもよいと申し出たが、第1審原告はこれを断った。第1審被告小坂は、第1審原告の入院日を平成4年1月4日と、家族への説明日を同月6日とし、その場で第1審原告に告げたが、第1審原告から質問等はなかった。
    清水病院では、平成元年から、癌研究所付属病院のプロトコール(乙6)を参考に、乳房温存療法の適応基準を設けており、<1> 腫瘤の大きさが2センチメートル以下であること、<2> 腫瘤が限局していること、<3> 乳頭と腫瘤間の距離が5センチメートル以上であること、<4> 発生部位が外上であること、<5> 治療成績が良好と考えられる組織型を持った乳癌であること、<6>
  乳房を4分の1切除することによって乳房の変形がないこと、がその基準であった。第1審被告小坂は、それまでも乳房温存療法による手術を複数経験しており、第1審原告の場合は、上記<2>、<3>、<5>及び<6>の点において乳房温存療法を選択するのに不利な面があると判断したが、全く不適応であるとは判断しなかった。
  なお、平成3年当時の日本における乳癌の術式には、乳癌の進行状況に応じて、乳房温存療法と非定型的乳癌完治術のほかに、より身体への侵襲の度合いの強いハルステッド手術(乳房、大胸筋、小胸筋、腋窩リンパ節をすべて切除する術式)及びこの術式に加えて胸骨傍リンパ節郭清を行う術式が存在していた。
    第1審原告は、清水病院で、生検手術の予後につき、平成3年12月30日に包帯の交換を、平成4年1月2日に包帯の交換と抜糸をしてもらった。そして、同月4日に、乳癌切除の手術を受けるために清水病院に来院した。
    第1審被告小坂は、平成4年1月6日午後5時30分ころから、診察室で、第1審原告とその家族(夫、長男、実姉)同席のもとで、乳癌の外科的治療に向けての説明を行った。そして、第1審原告から採取した永久標本の組織検査によれば乳癌であること、ステージTの段階であること、今の段階では、乳房温存療法と非定型的乳癌根治術の2つが選べる。それぞれ長所と短所がある。乳房温存療法では、治療成績がここ2,3年のものしか分かっておらず、強い抗癌剤の使用が必要で、再発の可能性もあるため、医師としては非定型的乳癌根治術を勧める旨説明した。第1審原告は、乳房は残したいが、強い抗癌剤も避けたい旨の希望を表明し、これに対し、第1審被告小坂からさらに細かい説明がなされた。そして、第1審被告小坂は、分からないことがあれば明日(同月7日)説明する旨、家族ともよく相談して明日の午後3時までにどちらの術式にするか決定してほしい旨を告げた。
    第1審原告は、平成4年1月7日午後3時ころに原文ママ非定型的乳房根治術を選択し、この手術を受ける旨の同意書を作製したので、第1審被告小坂は、翌8日午前9時30分から同手術を行うと決定し、第1審原告に対し手術のためのマーキングなどが行われた。
    第1審原告は、平成4年1月8日午前9時過ぎから午前11時30分ころまで、第1審被告小坂を術者として、原文ママ非定型的乳房根治術による乳癌手術(本件手術)が行われた。第1審被告小坂は、術後、家族に対し、手術は順調に行われたこと、切除した組織を標本化し、病理学的に詳しく調べること、その結果によって補助療法としての抗癌剤、ホルモン剤の量や期間を決めることなどを話した。そして、第1審原告は、同月31日まで清水病院に入院し、同日退院した。その間、第1審原告は、本件手術後3日目からパンフレットに沿ったリハビリテーションを開始した。本件手術後2週間目(抜糸後)からは、リハビリテーション室において乳癌手術後のプログラムに則ったリハビリテーションを開始した。その実施に当たっては、清水病院の医師、看護師によって説明され、本件手術後2週間目からの分では理学療法士も関わって説明した。その結果、第1審原告は、リハビリテーションにおいて良好な成績を治め、その後更に改善の傾向がみられた。
    第1審原告は、術後のリハビリテーション中、頑張ったのに体調が悪くなっていくと感じ、このような不安を看護師に訴えたが、「大きな手術をしたので元通りにはならない」旨言われ、かえって気が滅入り、このころから清水病院や第1審被告小坂に対する不審を抱くようになった。
コ 第1審被告小坂は、第1審原告に対する抗癌剤としてUFT(入院時と外来時)を、ホルモン剤としてタスオミン(外来時)を投与していたところ、当初は、薬物に対する訴えは受けなかったが、平成4年4月16日の通院時に不定愁訴が多かったので、抗癌剤をUFTから5FUに変更するとともにホルモン剤タスオミンの投与を一時中止し、不定愁訴の対策と免疫能の増強及び抗癌剤による副作用防止のために十全大補湯(漢方製剤)を投与した。そして、第1審原告は、同月23日の受診時には、特段異常の訴えをせず、その後、平成5年4月1日まで清水病院への通院を継続したが、次第に第1審被告小坂や清水病院の診療方針への疑問や不満を強め、投与された薬を飲まなかったり、リハビリテーションに来なかったりしたこともあった。そして、第1審原告は、平成5年4月21日、国立静岡病院外科外来を受診して、 右腕の浮腫と清水病院での投薬について相談した。

  (2) 第1審原告の主張に対する判断
    乳癌に罹患していない旨の主張について
     第1審原告は、「第1審原告は乳癌には罹患していなかった」旨主張し、「癌である旨の診断をした永久標本は、第1審原告由来のものではなく、全く他人の組織標本である」旨指摘するので検討する。
    (ア) 当審における鑑定(鑑定人は、株式会社ティーエスエル[以下「TSL」という。]の鑑定人神山清文 )の結果及び弁論の全趣旨によれば、       <1> 鑑定人神山清文は、当審の進行協議期日において第1審原告本人から採取されたDNA検体と清水病院が保管していたパラフィン包埋標本(検乙1の 「年’92.1.7No3817」とあるもの )から検出されるDNA検体との同一性の有無及び程度について、核DNAについてSTR法による検査と、ミトコンドリアDNAについてHV−1領域及びHV−2領域において検査をしたこと、<2> 上記検査のうちミトコンドリアDNAに関する検査は、上記パラフィン包埋標本からその塩基配列を解析することができず、その部分の鑑定結果は得られなかったこと、<3> しかしながら、STR法による検査では同標本の正常細胞部分から、6箇所(6ローカス)のSTR型の検出に成功し、それらのSTR型と第1審原告のSTR型は一致したこと( 検出されたSTR型の不一致はなかった 。)、日本人の非血縁者間において偶然に第1審原告と同じSTR型が検出される確率は922万分の1と算出され、上記パラフィン包埋標本(永久標本)は第1審原告由来のものであると強く推定できること、以上の事実が認められる。そして、第1審被告らは、上記永久標本は、平成3年12月27日の生検手術の際に第1審原告の右乳房から摘出した腫瘤のパラフィンブロックであると主張してきたが、上記鑑定の結果は、これを十分に裏付けるものである。
    (イ) 第1審原告は、「TSLは、清水病院との関係(TSLの親会社が清水病院から依頼された検査をしたことがあること)や鑑定技量や資質の面から鑑定人としての適格性がなかった」旨主張する。
        しかしながら、TSLの親会社が清水病院から依頼された検査をしたことがあるというだけでは、鑑定不適格となる事由にはなり得ないし、TSLがSTR法によるDNA鑑定の技量が劣っていることをうかがわせるに足りる客観的な事情を見出すことはできない。そして、他に当審の鑑定結果の信用性を左右するに足りる証拠はない(甲119号証の永井淳作成の「 ご質問に対する回答 」には、「同一試料において、STRのタイプが一致して、ミトコンドリアDNAのタイプが不一致ということは、特に検出されたSTRのタイプの出現頻度が高いタイプでは十分に考えられる」旨の記載がある。しかし 、上記鑑定のルーカス出現頻度は、「D3S1358」が0.0298、「vWA」が0.117、「D8S1179」が0.0298 、「 D19S433」が0.0726、「TH01」が0.141、「D5S818」が0.105であって、いずれも相当低い出現頻度であることが認められるので、これらがすべて一致する頻度はさらに低くなることは明らかであるから、上記指摘は当たらず、上記鑑定の証明力を何ら左右しない。)。
    (ウ) そして、原審における鑑定人支倉逸人の鑑定の結論(上記永久標本から、核DNAの判定は不能である。ミトコンドリアDNA型は、検査可能であったが、3箇所の塩基で異なった型を示し、永久標本が第1審原告から摘出された組織ではない可能性が疑われたが、ミトコンドリアDNAに突然変異が生じた可能性も否定できず、確定できない。) も、鑑定の標本が第1審原告とは別人のものであると結論づけているわけではないから、上記認定を左右するものではなく、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない)。第1審原告の上記主張は採用することができない。
    (エ) なお、第1審原告の上記主張には、第1審被告小坂が、乳癌であると診断するだけの医学的な判断材料がないのに、本件手術を行ったことをも、独自の責任原因と主張する趣旨が含まれるとも解しうるが、その点は、後記説明義務違反や選択権侵害の問題として論ずる余地があるとしても、第1審原告は真実に乳癌であった本件においては、これを独自の責任原因とする余地はない。したがって、第1審原告が原審から問題としてきた、迅速標本、永久標本に基づく病理診断(特に、浜松医科大学の喜納勇教授による病理診断)の有無、時期については、第1審被告らの責任判断に影響するものではないから、これにつき判断しない。
   イ 非定型的乳癌根治術の採用を誤りとする主張について
  第1審原告は、その乳癌に対して同術式を採用したこと自体が誤りであると主張する。しかし、証拠(乙1、8の1・2、原審における鑑定人並木恒夫による鑑定結果)によれば、第1審原告は、浸潤性乳管癌(乳管内成分が優位な浸潤性乳管癌)であり、腫瘍全体の面積が最大割面で12×7の84o2であったことが認められるのであり、上記並木鑑定によれば、この乳癌に対して乳房温存術も十分に適応があるということができるが、他方、証拠(甲23)によれば、浸潤型は転移しやすい傾向があることが認められ、また、証拠(甲4、23、乙16)によれば、当時、一般的な乳癌切除術として非定型的乳癌根治術が広く採用されていたことが認められるのであって、第1審原告に対してこれを採用したこと自体が誤りであると認めるに足りる証拠はない。第1審原告の上記主張は採用することができない。
   ウ 拙劣な手術手技の主張について
     第1審原告は、「 本件手術の特色は大 ・ 小胸筋に分布する神経の温存にあり、これらの神経の温存のために繊細な手術操作が要求され、これらについて細心の注意義務が要求されるにもかかわらず、第1審被告小坂は、この義務を怠り、拙劣な手術手技に終始した」旨主張する。
     そして、甲30号証(放射線医近藤誠作成の回答書)には、第1審被告小坂による乳癌切除による術創の数例を見分した同医師の感想として、同第1審被告の手技が劣るために、創部の壊死や潰瘍が生じている例が見られるとの指摘があり、このことからすると、一般論として、乳癌切除術に関し、第1審被告小坂の手技は必ずしも巧みではなかったとみる余地はある。しかしながら、個別具体的な第1審原告に対する本件手術について、その手技が拙劣であったために、第1審原告に不必要な侵襲を与えたとの証拠は、第1審原告の供述(陳述書を含む 。)だけであって、甲31号証(平成8年11月撮影の第1審原告の右胸部の写真)はこれを裏付けるに足りるものではないから、この供述は客観的な裏付けを欠く主観的な非難を内容とするものに止まると評価せざるを得ず、採用することは困難であって、他にこれを証するに足りる証拠はない。なお、第1審原告は、本件手術に際し、創部に金属が遺留されたことも問題にするが、証拠(乙16,38)によれば、これは、胸筋の神経・血管を温存するために結紮用のチタニウム製ヘモクリップが使用され残置されたものであって、日常生活上はもとよりMRI検査等の支障にもならないことが認められるから、これを手術手技上の過失とみることはできない。
     結局、第1審原告の上記主張は採用することができない。
   エ リハビリテーションの不指導等及び不要な抗癌剤投与に関する主張について
     第1審原告は、「第1審被告小坂及び清水病院は、第1審原告に対し、リハビリテーションに関する説明及び指導をせず、適切な施行を怠った過失があり、さらに、患者である第1審原告の了解なく、不要な抗癌剤の投与を続けさせた過失がある」旨主張する。
     しかしながら、清水病院におけるリハビリテーションに関する説明、実施については、前記認定事実のとおりであって、これらが不適切で不法行為又は債務不履行を構成するものであるとはいえないし、第1審原告の病状からすれば、投与した抗癌剤が不要であるとは認められない。すなわち、前記認定事実のとおり、第1審被告小坂は、乳癌が全身病であり、転移している可能性を否定できない以上、副作用の弊害があるとしても、抗癌剤の投与を勧めたものであって、第1審被告小坂のこの判断が誤りであることを認めるに足りる的確な証拠はない。第1審原告の上記主張は採用することができない。

 3 法的評価等
   前記の事実認定、判断によれば、第1審原告の請求のうち、第1審原告が乳癌に罹患していなかったことを前提とする主位的請求は理由がなく、また、拙劣な手術手技、リハビリテーションや抗ガン剤等の投与の不当を前提とする予備的請求についてはその前提を欠くから、その余を判断するまでもなく理由がないことになる。
   そこで、第1審原告が乳癌に罹患していたことを前提に、第1審原告の予備的請求に係る自己決定権の侵害ないし説明義務違反の主張(以下「自己決定権侵害の主張等」という。)を検討する。
  イ 非定型的乳癌根治術に関する自己決定権侵害の主張等について
   (ア) 第1審原告は、「第1審被告小坂は、第1審原告の右胸のしこりにつき、第T期の乳癌であると診断し、第1審原告に対し、乳房を残す方法もあると言いながら、非定型的乳房切除術を強く勧めている。この場合、第1審被告小坂には、その手術が、リンパ節を切除するため、手術後、腕の浮腫が発生しやすく、これを防止するため、マッサージを含むリハビリテーションを定期的かつ積極的に行う必要があること、リンパ節切除の際に付近の神経を傷つけ、術後に肩や腕の運動障害やしびれ、痛みが発生する危険があること、これら障害が一生残るものであること、術後抗癌剤とホルモン剤を投与することになるが、これらには副作用があることを説明しなければならない。しかし、第1審被告小坂は、上記の事柄を全く説明していない」旨主張する。
   (イ) しかしながら、前記認定事実によれば、<1> 第1審被告小坂は、生検手術翌日の平成3年12月28日、第1審原告に対し、迅速標本の結果と摘出した腫瘤の肉眼的所見( 腫瘤の割面の色[灰白色]、硬さ )、マンモグラフィー及び触診からみて90パーセント以上の確率で乳癌が疑われること、摘出した腫瘤の肉眼的所見では第1審原告の臨床病期は、1期(ステージT)に入り、生検よりも大きな手術が必要になる可能性が大きいので、その準備を進めておく方がよいと思うこと、外科的な治療法として、筋肉を残して乳房を全部取る術式である非定型的乳癌根治術と原則として乳腺の4分の1の切除と腋窩リンパ節郭清をして乳頭を残す乳房温存療法とがあること、日本では、乳房温存療法について、ここ2,3年のものしか分かっておらず、5年生存率のデータが出ていないこと、乳房温存療法の場合、乳腺が残り、再発の可能性が大きくなるので手術後放射線照射が必要となること、などを説明していること、<2> 第1審被告小坂は、第1審原告が入院した後の平成4年1月6日午後5時30分ころから、診察室で、第1審原告とその家族同席のもとにおいて、第1審原告から採取した永久標本の組織検査によれば乳癌であること、ステージTの段階であること、今の段階では、乳房温存療法と非定型的乳癌根治術の2つが選べるが、それぞれ長所と短所があること、乳房温存療法では、治療成績がここ2、3年のものしか分かっておらず、強い抗癌剤の使用が必要で、再発の可能性もあるため、医師としては非定型的乳癌根治術を勧める旨説明したこと、第1審原告は、乳房は残したいが、強い抗癌剤も避けたい旨の希望がなされ、これに対し、第1審被告小坂からさらに細かい説明がなされたこと、第1審被告小坂は、必要があればさらに説明するが、家族とも相談して翌7日の午後3時までに術式を決めてほしい旨告げたことを指摘することができる。
   (ウ) そうだとすると、第1審被告小坂は、第1審原告及び家族に対し、乳癌切除の術式として乳房温存療法も選択が可能であることを明確に示した上、2つの術式の長所、短所を説明し、第1審原告の病態に即して医師としての判断を伝え、さらに、第1審原告からの希望の表明を受けて、細かな説明をしているのであり、また、第1審原告自身は、平成3年12月28日にもほぼ同様な説明を既に受けており、平成4年1月6日の家族立会いによる説明後も、翌日まで術式選択を相談する時間を与えられていたのであるから、第1審被告小坂が第1審原告に対し、その説明義務を怠ったとか、その選択権を奪ったと評価することは困難であるというべきである。なお、第1審原告は、第1審被告小坂が、「命をとるか、危険をとるか」と言って、非定型的乳癌根治術の選択を迫ったと供述するが、同第1審被告が同術式の選択が望ましいと助言する過程で、これに類する発言をし、これが第1審原告の耳に強く残ったことがあるとしても、同第1審被告の説明は上記認定のとおり両者の長所、短所に触れて具体的なものだったのであり、その場で選択することを求めたわけでもないから、この発言を捉えて、第1審原告の選択権を侵害したというのは当たらない。
   (エ) 第1審原告は、「非定型的乳癌根治術が、リンパ節を切除するため、手術後、腕の浮腫が発生しやすく、これを防止するため、マッサージを含むリハビリテーションを定期的かつ積極的に行う必要があること、リンパ節切除の際に付近の神経を傷つけ、術後に肩や腕の運動障害やしびれ、痛みが発生する危険があること、これら障害が一生残るものであること、術後抗癌剤とホルモン剤を投与することになるが、これらには副作用があることを説明しなければならない」旨主張する。しかしながら、前掲証拠によれば、第1審被告小坂は、かなりの時間をかけて第1審原告やその家族に手術内容や治療方針などを説明していること、手術時のリスクや術後の後遺症に関する詳細な説明をすべて行うことは技術的に困難である上、細部のリスクまで説明することはかえって患者ママを不安を高めることにもなりかねないから、特段の事情がある場合を除き、その手術に伴うリスクやその防止方法の説明は概要や主要部分にとどめ、詳細な説明の有無等は医師の裁量に委ねられるものと解すべきである。本件の場合、これらを詳細に説明しなければならない特段の事情は存在しなかったし、第1審原告から説明の依頼があったと認めるに足りる証拠もない。そして、術後後遺症を防止するためのリハビリテーション等の説明がなされていたことについては、前説示のとおりである。
  ウ 乳房温存療法に関する自己決定権の侵害の主張等について
   (ア) 第1審原告は、「乳房温存療法について、癌組織を含むその周囲の乳腺を切除するだけで、乳房を残す方法もあること、リンパ節については、切除する方法、切除しない方法、切除はしないが放射線を照射する方法もあること、残存する乳房に対し放射線を照射し、かつ、抗癌剤を使用すること、非定型的乳癌根治術と乳房温存療法とで、再発率・生存率に差異はないこと、欧米では乳房温存療法が主流となっており、日本でもこの療法が普及し始めており、可能な限りこの方法を選択する病院も存在すること、など重要な点を説明しなかった」 旨主張する。
   (イ) しかしながら、前記説示のとおり、第1審被告小坂は、治療法として、筋肉を残して乳房を全部取る術式である非定型的乳癌根治術と原則として乳腺の4分の1の切除と腋窩リンパ節郭清をする乳房温存療法とがあることや、日本では、乳房温存療法について、ここ2、3年のものしか分かっておらず、5年生存率のデータが出ていないこと、乳房温存療法の場合、乳腺が残り、再発の可能性があるので手術後放射線をかけること、などを説明しており、この説明について、当時の医学水準に照らして明らかに不当であるとは認められない。すなわち、前記認定事実によれば、清水病院では、癌研究会付属病院のプロトコール(乙6)を参考に、乳房温存療法の適応基準を設けており、腫瘤の大きさが2センチメートル以下であること、腫瘤が限局していること、乳頭と腫瘤間の距離が5センチメートル以上であること、発生部位が外上であること、治療成績が良好と考えられる組織型を持った乳癌であること、乳房を4分の1切除することによって乳房の変形がないこと、がその基準であったことを指摘することができる(なお、前掲証拠及び弁論の全趣旨によれば、当時清水病院においても一定の割合で  原文ママ乳癌保存療法を実施していたことをうかがうことができる。)。第1審原告の上記主張は採用することができない。
  エ 全体としての自己決定権の侵害の主張等のついて
   (ア) 第1審原告は 、「仮に、乳癌であったとしても、これはごく初期のものであり、確定診断が出てから入院、手術のスケジュールを決めても手遅れになる心配は全くなかった。にもかかわらず、第1審被告小坂は、先へ先へと急ぎ、その結果、第1審原告は自らの選択権を実質的に奪われてしまった。これは、患者である第1審原告の自己決定権の侵害である」旨主張する。
   (イ) 第1審原告が清水病院に診察に赴いた平成3年12月26日から手術日である平成4年1月8日までの期間は、わずか13日間であり、第1審原告の乳癌の進行程度がT期(比較的初期の段階)であり、手術の必要はそれほど切迫したものであったとは考えがたいことにかんがみると、清水病院ないしは第1審被告小坂において、手術までに組んだ日程は通常人の感覚からして、さらには他の専門医の感覚(原審鑑定人並木恒夫の鑑定書、近藤誠医師の回答書[甲30]参照)からしても、いささか急すぎるきらいがないとはいえない。
     そして、第1審被告小坂が外科部長として指導的立場にあった清水病院の乳腺外来においては、乳癌を疑われる患者に対し、早期に生検手術をして迅速標本による病理診断によって乳癌を告知して、永久標本による確定的の病理診断を待たずに乳癌切除のために入院させることが、恒常的に行われていたことがうかがわれるのであり( 甲26、41の2 )、第1審被告小坂も、第1審原告の場合についてだけ例外的に急いで進めたわけではないことを前提に供述をしているのである。しかし、触診、マンモグラフィ検査、超音波検査で診断が難しいときに、いきなり身体への侵襲が大きい生検手術を行うのではなく、侵襲の少ない窄刺吸引細胞診を行うのが一般的なのであり( 甲15、23 )、また、迅速標本をよりどころに乳癌を告知して、切除手術を決めるための病理診断に用いるのも異例であって、一般的には、永久標本に基づく確定診断を待つものである( 上記並木恒夫の鑑定書、甲109 )。こうした清水病院の一般的な姿勢、態勢が背景となって、第1審原告の場合においても、患者の乳癌ではないかとの不安、乳癌であると告知された直後の衝撃、混乱などをしっかり受け止めて、患者の気持ちに寄りそう姿勢が弱かったとみられても仕方がない日程となっているということができる。また、このような姿勢、態勢では、確定診断が軽視されがちとなり、誤認による手術も生じかねない状況にあったとすらいうことができる。そして、清水病院、第1審被告小坂において、より慎重な日程をとって、患者の気持ちをもっと尊重しようとする姿勢や、患者にセカンドオピニオンを求めさせるような配慮があれば、本件紛争を防止することができたがい然性も高いものと思われるのであって、このような紛争に至ったことについては、第1審被告らにおいても、大いに反省すべき点があるということができる。
     しかしながら、第1審被告小坂が平成3年12月28日と平成4年1月6日に第1審原告に治療方法として非定型的乳癌根治術と乳房温存療法を示し、この術式を第1審原告に選択させたことは明らかであり、その説明方法、態様が患者である第1審原告の選択権を奪うような不当なものではなかったことについては前説示のとおりである。また、上記最初の告知日(平成3年12月28日)から術式決定日までには、中9日間の熟慮期間があり、平成4年1月6日の家族も含めた再説明時には、第1審原告小坂から不明な点があれば翌日説明する旨の補足があったことをも考え合わせると、同第1審被告に法的な説明義務違反を肯認するには無理があるといわざるを得ない。
     結局、第1審原告の上記主張は採用することができない。

 4 まとめ
  (1) 以上によれば、第1審原告の請求は、いずれも理由がないことに帰する。
  (2) そうすると、上記と一部異なる原判決は不当であるから、第1審被告らの控訴に基づき、原判決中、第1審被告ら敗訴部分を取り消し、第1審原告の請求をいずれも棄却する。また、その余の部分についての原判決は相当であり、第1審原告の控訴は理由がないから、これを棄却する。
    東京高等裁判所第5民事部

        裁判長裁判官      小  林  克  巳


           裁判官      片  野  悟  好


           裁判官      小 宮 山  茂  樹 




これは正本である。


平成18年5月17日


東京高等裁判所第5民事部


裁判所書記官  清 水 朋 子

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