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竹下裁判

上告理由書

平成18年(ネオ)第348号 損害賠償請求上告事件
  上告人      竹 下 勇 子 
  被上告人     静  岡  市 外1名
                         平成18年7月24日

上 告 理 由 書

上告人 竹下勇子              
上告人代理人弁護士   福 地 直 樹
同           渡 辺 彰 悟
同           佐 野 久美子

最高裁判所 御中

<目次>

第1章 はじめに
第2章 本件における診療の経過について
第3章 原審ティーエスエル鑑定の問題点
 第1 原審ティーエスエル鑑定の内容についての審理不尽
   1 ティーエスエル鑑定の証拠価値
   2 結審後に明らかになった事実等
 第2 鑑定の経過からみた採証法則違反
   1 本件で実施された3件の鑑定
   2 一審鑑定結果から判明したこと
   3 原審鑑定が無意味であること
第4章 鑑定評価と不可分の関係にある事実(特に病理診断の有無)についての審理不尽
 第1 原判決の事実判断の内容について
 第2 各病理診断に関する審理不尽についての具体的検討
   1 平成4年1月6日の多田医師による永久標本診断が存在しないこと
   2 平成3年12月27日の喜納迅速診断が存在しないこと
   3 平成4年1月6日の喜納永久標本診断が存在しないこと

第1章 はじめに

1.本件は、上告人が平成3年12月26日に被上告人静岡市経営の(当時)清水市立病院(以下「被上告人病院」と称する。)の被上告人小坂昭夫医師(以下「被上告人小坂」と称する。)を受診したところ、同医師が、上告人について乳癌であることを示す事実は何ら存在しないにもかかわらず、上告人及びその家族に乳癌であると告知した上で、乳癌摘出手術(非定型的乳癌根治術)として、上告人の右乳房を切除したという事案である(原判決「第2事案の概要」参照)。
 上告人の主張は要するに乳癌ではなかったのに、乳癌であるとして手術をされてしまったということである。上告人の身に、常識では考えられない事態が現実に起こったのであるが、同じようなことが上告人だけに起こっているわけではないこと(注:静岡地方裁判所平成4年(ワ)第164号事件 原告久保山甲三外2名= 被告清水市・・・担当医小坂昭夫)を知るに及び、上告人は本訴訟を提起するに至った。さらに、本件提訴後、上告人はほかにも同種事例が存することを知ったが、それは、甲第41号証として提出した症例である。これは、被上告人小坂によって乳癌だと診断され、手術を受けた患者について、手術後病理組織検査をしたところ、乳癌であることが否定され、放射線治療をしなかったという症例である。この点について、被上告人病院に勤務していた慶応大学病院近藤誠医師に問い合わせたところ、その症例の存在を認めるとともに、具体的には、『摘出検査の結果が「悪性所見なし」となっているのに生検後3週間たっても病理検査報告書をカルテに張っていない』、そして病理組織検査で良性であるという結果が出ているにもかかわらず、これを無視して「臨床的にはがんである」として小坂医師は「乳房四分の一切除術プラス腋窩リンパ節郭清」手術を行った』との回答を寄せている。このような被上告人小坂の姿勢は、まさに病理組織検査の軽視もしくは無視というべきものであり、上告人の場合にも同様の問題が起こったのだと考えて不思議ではない。
以上と同様のことは,清水市(当時)市議会でも問題とされ,議員の発言の中に「市立病院(注:被上告人病院のこと)で乳がんと言われ、他の病院へ行ったら乳がんではない。今、元気に暮らしている方が3名おり、・・・」(甲46清水市議会議事録4-2、西ヶ谷議員発言部分)という驚愕すべき事実が紹介されている。
 なお、被上告人小坂が被上告人病院在籍時には、病院職員の間で『清水の風土病』と言われるほど乳癌患者が多かったものが、同医師が被上告人病院を去って後は、「風土病」説が消失したことを付言しておきたい。

 なお、上告人は、原審までは上記以外の争点(術式の誤りや説明義務違反等)も予備的に主張してきたが、本上告審においては、「上告人が乳癌ではなかった(当時、上告人が乳癌であったことを示す事実は全く存在しなかった)のに、被上告人小坂が上告人に対して故意に手術を行った点に関して、被上告人小坂については不法行為責任を、被上告人静岡市については使用者としての責任を問う」点に絞って論ずるものである。

2.ところで、本訴訟の特徴的な点は、上告人が被上告人病院を受診し、手術を受けた当時には全く存在せず、訴提起後に初めて主張された事実(受診・手術時の医療記録には全く記載されていない事実)や、その主張に合わせるかのように後日付けで作成された多くの書証が存在することである。貴裁判所におかれては、その点に十分ご留意の上、本事案の解明をして頂くようお願いするものである。原審裁判所も一審裁判所もこの点に対する留意を欠き、事実の確定をあいまいなまま判断を下したものであった。事実の確定のあいまいさは、単に事実認定を誤ったというものではなく、経験則に反し、採証法則に反する判断の積み重ねの結果生じたものであることを付言しておきたい。特に、本件では、病理に関連する判断が経験則に反し採証法則に反するものである。この点について、一審判決は判断を誤り、原審判決は判断を回避したのである。

3.前項の判断の根底にあるのが、一審段階から3度にわたって行われた鑑定(DNA鑑定 2回、病理鑑定 1回)である。一審裁判所及び原審裁判所の判断において、重要な意味づけをもった鑑定の方法と結果に対する評価に誤りはなかったかという点を、本上告審において追及することによって、本件の真実の姿が明らかになるものと確信するものである。

第2章 本件における診療の経過について

 上告人が上告の詳細な理由を述べるに先立ち、被上告人小坂の上告人に対する診療の経過について明らかにしておきたい。
 ここではまず、上告人受診・手術当時の診療録の記載から被上告人小坂の診療行為として何が行われ、どのような結果が得られたかを記載し、その点と原判決の認定との矛盾点を指摘するものとする。
 この点を別表1のとおりまとめたので、本書面に添付する。

1 初診
   平成3年12月26日(木)初診
        問診、上告人竹下記入乳腺疾患予診カード(乙1号証3枚目)
        視診、異常なし(乙1号証2枚目、乳房精密検査票(1) )
        触診、カルテに結果記載なし
        マンモグラフィー、カルテに結果記載なし
        エコー、「至急」依頼し、結果は良性、経過観察と記載
                          (乙1号証38枚目)

 初診時、上告人を乳癌と診立てる根拠は客観的には何も存在していない。
 ところが、原判決認定の「事実の概要」の中に、「(マンモグラフィーとエコーの)結果、右乳腺外上の腫瘤陰影とスピキュラ様の所見(悪性のときにみられる所見で、腫瘤辺縁から放射状に伸びる小突起)を認めたとして、乳癌の疑いを強めた」とあるが、その認定は平成3年12月26日の診療録の記載とは明らかに矛盾する。実際には、スピキュラ様の所見があるということは診療録上認められていない。スピキュラ様所見に関する話は、本訴訟中に被上告人小坂が述べたものがあるに過ぎない(平成15年10月9日付被告準備書面2頁)。
 上告人がこのように初診の際に乳癌と診立てる根拠が存在していなかったと推認する理由として他の患者の例も挙げておきたい。今般提出する甲第127号証は、甲26として提出している久保山まち子さんについての久保山さんの医療記録(平成元年)であるが、この「乳房精密検査表(1)」も上告人カルテ(乙1−2枚目:本書面資料1として添付する)と同様に、視診所見「異常なし」、触診所見については、腫瘤−右、リンパ節腫脹−無、にマルがついているほかは空白である。しかし、実際には、この久保山さんも初診で癌と言われ、3日後の金曜日に生検、翌日(土)に癌告知、翌々日月曜日に入院、1週間後に手術となったのである。

2  平成3年12月27日(金)
        生検実施
        カルテに結果記載なし
        迅速標本結果(Inada)仮報告書
           (乙7:カルテにはかかる仮報告書の記載なし)

 迅速診断の存否については争いがある。
 原判決では迅速標本についての病理診断が当然の前提となっているが、その迅速標本による診断結果を示すものは乙第7号証のみである。しかも、その乙7は、本訴提起後、上告人が癌であることを示すために、被上告人から新規の資料として提出されたものであった。
これはもともと医療記録にも綴じられていなかったものであり、証拠保全のときに突然別のところから持ってこられたものであったし、しかも迅速病理診断についても乙-36と同じ様式の紙に記載することになっているにもかかわらず、まったく様式のないしかもペラペラの紙に手書きで書かれたものを当時の記録として受け入れろということには無理がある(本書資料添付2)。

3 平成3年12月28日(土)
        がん告知
        カルテに記載はない
        手術に向けての諸検査実施

  原判決は、このときの癌告知において、「最終診断は永久標本で決定する」と明示しておきながら、この点についての明確な事実摘示はない。

4 平成4年1月2日(木)
        治験対象者とされA法で薬剤投与指示カード記載
        すでに手術日1月8日と記載
                    (乙1号証5枚目)

5 平成4年1月4日(土)
        入院(有料の個室)
        外泊

  一審も原判決でも認定されていないが、上告人はこの平成4年1月4日に説明するから被上告人病院に来るよう指示を受け、同日被上告人病院に赴いた(甲64号証9〜10頁)のに、被上告人小坂は病院に現れなかった。

6 平成4年1月5日(日)
        終日外泊
        手術前チェックリスト作成
        抗がん剤UFT処方

7 平成4年1月6日(月)

夕方家族への説明(カルテに説明内容の記載なし)
看護記録上は、上告人が6日朝6時に「早くムンテラして欲しい」と依頼して夕方の説明会が開催されたことは明らかである(乙2−40枚目)。

 これに対し、原判決は、6日の説明会が事前にセッティングされたものであることを前提に、「平成4年1月6日午後5時30分ころから、診察室で・・・乳癌の外科的治療に向けての説明を行った。そして、第1審原告から採取した永久標本の組織検査によれば、乳癌であること、・・・医師としては非定型的乳癌根治術を勧める旨説明した」と認定している。
 一方で、原判決は控訴審でのティーエスエル鑑定(以下本件鑑定)の結果から、「永久標本に基づく病理診断(特に、浜松医科大学の喜納勇教授による病理診断)の有無、時期については、第1審被告らの責任判断に影響するものではないからこれにつき判断しない」と述べており、認定事実の理由付けに関し、理由不備もしくは理由齟齬を来たしていると言わざるを得ない。すなわち、乳癌であることの事実認定には永久標本に基づく病理診断が存在しているが如くであるが、その病理診断の有無・時期については判断しないとしており、本件で最も重要な事実についての判断の理由付けに不備もしくは齟齬があることを露呈しているのである。
 なお、第1審判決においては、永久標本に関する多田医師の病理診断(乙1-36枚目)が1月6日であったとする認定がなされているが、このような事実認定は被上告人ですら主張・立証していない事実であり、明らかな事実誤認であった。この点については、上告人の控訴理由書で詳細に述べているところである。

8 平成4年1月7日(火)
           永久標本病理診断結果(Tada)
                   (乙1号証36枚目)

9 平成4年1月8日(水)
           手術実施(非定型的乳癌根治術)

 以上のとおりの診療経過で上告人は乳房を切除されてしまったのであるが、縷々述べてきたとおり、上告人が乳癌であるとの診断をされた1月6日までに上告人が乳癌であることを示す証拠は何もなかったのである。根拠がなにもないままに手術日が決定され現実に手術が実施されたのである。
第1審判決も原判決も結局上告人が乳癌であることの明確な理由付けができなかった。それはまさに理由不備もしくは理由齟齬のそしりを免れないところである。

 なお、念のため、第1審判決・原判決が事実認定に用いた、被上告人提出の証拠のうち、本訴訟になって後日付で作成された証拠を列挙しておきたい。

乙8の1 長村教授病理報告(作成日:H8年10月3日)
乙8の2 長村教授病理報告(作成日:H8年10月16日)
乙12 エスアールエル検査結果一覧表(作成日は手術から1年後)
乙14  マンモグラフィーの拡大写真とイラスト
乙17  病理検査結果(作成日H9年7月30日)
乙18  武内浩三が小坂に依頼され喜納教授に標本を届けた(作成日
H9年5月7日)
乙22  乙12の補強(作成日H9年10月21日)
乙26  検査技師報告書(作成日H13年11月28日)
乙27  検査技師陳述書(作成日H14年4月10日)

  以上のほか乙7の迅速診断の証拠についての証拠価値に甚だ問題があるのはすでに述べたとおりである。

  さらに、裁判になってからの供述によって被上告人が立証しようとしたものとして、次のような点が挙げられる。

@ 触診所見 
  「乳腺外上領域に約2センチ大のしこりを触れた。このしこりは硬く、辺縁不整であったが、ディンプリングは明らかでなかった」(平成15年10月9日付被告準備書面1〜2頁)
A マンモグラフィー所見 
  「右乳腺の正中→側方向写真で右乳腺外上に腫瘤陰影を認め、同時にスピキュラ様の所見を認めた」(同2頁)
B 小坂所見(長年の経験によって癌を疑う)(同2頁)
C 喜納教授による迅速及び永久標本病理診断(同4、10、32、33、51、52頁)

10 事実経過を踏まえての争点の明示

 以上が診療の経過に関する事実の基本的経過である。これを前提に以下上告人が問題とする点を指摘する。

(1) 乳癌を根拠付ける鑑定の不存在
 問題は事実経過の正確な判断とともに原審鑑定についての正確な分析と評価が求められているということである。すなわち、乳癌の根拠のなかった患者(上告人)についてのDNA型解析について慎重な判断が必要なのである。
 そこで、原審が本件鑑定について慎重な判断をしたといえるかどうか、鑑定の信用性や客観性について十分な審理を尽くしたといえるかどうかが問題である。

(2) 乳癌であることの記録の不存在
 以上の鑑定の評価を誤って、原判決はティーエスエル鑑定のみに依拠して上告人を乳癌であると決め付け、事実についての判断を一切回避した。すでに、診療経過の中で明らかにしたように理由不備や理由齟齬の問題が内在していることは指摘したとおりであり、これら問題を含めて、事実の正確な認識は鑑定評価の問題を考える上でも不可欠不可分の問題である。
 清水市立病院(当時)の医療記録を見る限り、上告人を乳癌とする根拠は平成4年1月7日の多田医師による永久標本の病理診断しか存在しない。
 ところが、実際には、1月7日よりも前に、上告人は乳癌に仕立て上げられていたのである。その証拠の一つに乙1-39枚目を挙げることもできる。保険請求のための証明書を作成する中で、小坂は「悪性新生物としての診断確定日」を平成3年12月26日(初診日)を診断確定日としているのである。いかに、病理検査と無関係の行動をとっているかが分かるのである。
 事実の経過から見ればこの「仕立て上げられていた」という事実を否定する証拠は全く存在していない。この事実を踏まえれば、原審での鑑定の結果に対してさまざまな観点から疑念が生ずることもまた当然なのである。逆に言えば、上告人がこれまで主張してきたように喜納教授による平成3年12月27日及び平成4年1月6日の各病理診断が存在していないということが確認されれば、被上告人小坂が上告人を乳癌とする根拠をまったく持たずに、上告人に対して乳癌の手術を行ったことが明白となるのである。

(3) 以下、第1に原審ティーエスエル鑑定の問題点について論じ、次に、鑑定評価と不可分の関係にある事実(特に病理診断の有無)についての審理不尽について論ずるものである。

第3章 原審ティーエスエル鑑定の問題点

第1 原審ティーエスエル鑑定の内容についての審理不尽

 原審で実施されたティーエスエル鑑定を採用して判決を下すについては、審理不尽の違法がある。その理由は以下のとおりである。

  1 ティーエスエル鑑定の証拠価値
   第1に、既に結審の段階において、上告人は、ティーエスエル鑑定に対して以下の問題点を指摘していた。その内容は以下のとおりである。

(1) 本件の鑑定人として中立性・適格性の不存在
 ティーエスエルの親会社であるエスアールエルは、被上告人病院検査科の管理下にあった。裏からみれば、被上告人病院の管理下にあった会社の100%子会社がティーエスエルであったということである(なお,現在はティーエスエルがエスアールエルに合併されている)。
被上告人病院は、潟Gスアールエルに依頼して本訴訟提起後に、書面の作成をさせているが(乙12及び乙22)、上記のような関係にある会社の子会社であるということで、被上告人とティーエスエルとの関係についても、中立性に問題があることは明白である。

(2) 鑑定技量不足について
 神山清文鑑定人は、平成17年4月5日付で他の裁判(いわゆる保土ヶ谷事件:甲117の1)で被告監察医の依頼でDNA鑑定をやっているが、解析結果を出せず次のような陳謝の文章を提出している(この事件での鑑定対象は核DNAである)。

当社の技術不足が原因である可能性は否めません。検査のご依頼から検査にほぼ1年間もかかってしまった上に、解析結果が得られないという報告になってしまい、ご依頼者の齊藤先生はじめ当事者の方には大変に申し訳なく思っており、心より陳謝いたします」。

 他方、本件裁判でもティーエスエルは4月5日に鑑定の進捗状況を報告しており、その後5月11日に至って、本件ではミトコンドリアDNAが解析できなかったことが明らかとなり、ティーエスエルの技量不足は明白なものとなった(裁判所書記官田中雅之氏からの同日付ファックス参照:甲128)。
 ティーエスエルは、技量不足を承知しながら鑑定を継続していたことになるし、その鑑定結果に問題があるとの指摘には十分な理由があるということも明白である。

2 結審後に明らかになった事実等

 第2に、結審前に指摘してきた点だけではなく、結審後に以下の点が明らかになったので上告人は弁論の再開を申立てるに至った。

(1) 太田報告書(甲123)
 太田真美弁護士は担当事件において、本件と同様の乳癌に関するパラフィンブロックについてDNA鑑定の必要が生じたため、平成17年6月14日にティーエスエルに電話をして鑑定を引き受けてもらえるかを尋ねている。この時、ティーエスエルの吉良氏から、「かつてはやっていたが、ホルマリンに漬けられてDNAが分解してしまっていたせいか、5種類しか検出できなかったこともあったりして、結果が納得できるものでなかったので、今後引き受けるのはやめることにした」
 との回答を受けている。鑑定を断わられたのは10ヶ月前に作られたパラフィンブロックである。
 この5種類しか検出できなかった事案が、時期的に本件の竹下事件のものであることは明らかである。その結果については「納得できるものではなかった」というのが、ティーエスエル自身の評価だったのである。にも関わらず、ティーエスエルは鑑定を続行し、その2ヵ月後には鑑定書を書き上げていたのである。

(2) 押田意見書の存在(甲124)
 技量不足は、日本大学医学部社会医学講座法医学部門の押田教授によって明確に論じられた(甲124)。以下詳述する。
まず、押田教授はティーエスエルが「陳旧資料からのDNA型鑑定を行うだけの十分な技術と経験を持っていない」とした上で、以下の点を指摘している。

 第1に、本来ならば鑑定の客観性を担保するための陽性コントロール(注1)と陰性コントロール(注2)とが必要であるところ、いずれの手続もティーエスエルでは行われていない。この点において、押田教授は「私たちの鑑定水準ではこの手続きなしに解析したものは鑑定として受け入れることはできません。この手続きがなされていない鑑定は国際的にも通用しません」(甲124・2頁)と断じている。

 第2に、XYの解析(AMEL:Amelogenin)について、その部分の解析を分析すると、「竹下口腔細胞についてはXのアリルピークは一本であるのに対して、ブロックBの正常細胞と癌細胞ではXについて2本のアリルピークがみられ」るが、本来は1本のアリルピークがみられるのみで、この結果は「テクニカルエラーであるか、試料の汚染(混入)」であるとしている(甲124・2頁)。

 第3に、解析の感度についても、通常の数値よりも非常に高く設定されており、その不慣れな状況が指摘されている(同3頁−4(2))。

 第4に、STR法による核DNA解析の場合、1試料に混在がなければ1ローカスにおけるピークは2本(ヘテロ型)または1本(ホモ型)であって、それ以上はないはずであるのに、今回のティーエスエル鑑定には、3本あるいはそれ以上のピークが見られることが指摘されている。

「これらもテクニカルエラーの可能性があり、ありえないピークが存在しているということで、かかる解析の精度が疑われることになり、私たちが通常施行しているDNA鑑定ではこの解析はやり直しということになります」(同3頁)

 というのである。これではティーエスエル鑑定結果を裁判所の判断の素材とすることができないと言わざるを得ない。
 実際、4つのローカスについてテクニカルエラーの可能性を指摘されているのであるから、これらの部分は解析ができていないと言わざるを得ない。ティーエスエルは6ローカスの一致を前提に922万分の1という数字を弾き出しているが、上記に指摘したとおり、解析結果に問題がある以上、この数値を維持することは到底許されないことになる。

 以上のSTR法に関する問題点の指摘のみならず、押田教授は、ミトコンドリア型DNAが解析されていないことについても『文献的には、たとえば、「ミトコンドリアDNA型検査の国際的ガイドライン」によれば、陳旧試料でもミトコンドリアの方が核DNAよりも検出しやすく、核DNAの方が難しいということであり、ミトコンドリアDNAは必ずしも核DNAと同様に断片化するとは限らず、前記のティーエスエル鑑定結果は不自然と思われます』と指摘している。

(3) 結局、以上のようなことから明らかであるのは、控訴審鑑定が事実認定の基礎として用いるに適しないものであったということである。
 太田弁護士からの報告によれば、ティーエスエルは自らその能力のなさを自認していたし、また客観性という側面から見ても押田教授による意見は決定的であると思料される。
 しかるに、原審裁判所は、上告人からの弁論再開の申立てを採用することなく判決をするに至ったものである。

(4) 弁論再開しなかった違法と審理不尽
  弁論の再開については以下のような最高裁判所判決がある(昭和56年9月24日民集35巻6号1088頁)
「いったん終結した弁論を再開すると否とは当該裁判所の専権事項に属し、当事者は権利として裁判所に対して弁論の再開を請求することができないことは当裁判所の判例とするところである(--先例略--)。しかしながら、裁判所の右裁量権も絶対無制限のものではなく、弁論を再開して当事者に更に攻撃防御の方法を提出する機会を与えることが明らかに民事訴訟における手続的正義の要求するところであると認められるような特段の事由がある場合には、裁判所は弁論を再開すべきものであり、これをしないでそのまま判決をするのは違法であることを免れない」。
かかる最高裁判決にかんがみれば、本件において原審が結審後に、平成18年4月17日付弁論再開申立書の提出を受けたにもかかわらず、これを無視して弁論を再開しないまま判決を下したのは、まさにこの判決の述べる「手続的正義の要求」に違反するものであり、かつ、本件鑑定の評価を揺るがす直接的・間接的な事実関係を無視する結果となったのであるから、まさに審理不尽そのものである。

第2 鑑定の経過からみた採証法則違反

 ティーエスエル鑑定には証拠価値がなかったことのほかに、裁判所が最終的にティーエスエルに命じた鑑定については、その命令内容そのものが、そもそも本件の解決に資するものではなく、無意味なものであった。それにもかかわらず、原審は全面的にティーエスエル鑑定に依拠した判決を出すに至った。このことは、結論に重大な影響を及ぼすものであり、採証法則に違反するとともに経験則にも違反するものと言わざるを得ない。その理由は以下のとおりである。

1 本件で実施された3件の鑑定
 本件では、一審段階から、何度かの鑑定が実施されているので、まず、それぞれの鑑定の内容について、以下に示す。順序は鑑定書の作成日として記載された時間的順序に従い、鑑定の特定は、鑑定人の氏名もしくは機関名によって示すこととする。

(1).並木恒夫鑑定(静岡地方裁判所、平成11年11月10日付)
  (以下「並木鑑定」と略称する。)
 《鑑定事項》
 @ 平成3年12月27日に摘出した原告の右胸のしこりのパラフィンブロック(鑑定標本)が乳癌であるか否か。
 A 乳癌であるとして、どのような組織学的分類に属するのか。
 《鑑定結果》
 @ 鑑定事項@に対する解答:乳癌
 A 鑑定事項Aに対する解答
   病型は特殊な組織型であり、乳腺腫瘍の国際的組織学的分類であるWHO 分類では「乳管内成分が優位の浸潤性乳管癌(invasive ductalcarcinoma with a predominant intraductal component )」に相当する。
《鑑定人による問題点の指摘》
 並木鑑定では、裁判所の求めた鑑定事項に対する解答を記載した後、「この鑑定にあたっての疑問と感想」と題する項目を設け、主として被上告人病院での診療のあり方に対して問題点を指摘しているので、その指摘事項を簡単に記載しておきたい。
 @ 被上告人病院の外来診療録の記載が(鑑定書の文言を借りれば)お粗末である。そして、12月27日に切除生検が行われているが、本件において重要な役割を果たした「迅速診断」について小坂医師が指示した記録がなく、乳房精密検査票には、右C領域の腫瘤が図示されているのみで、大きさ・性状欄は全て空白であり、マンモグラフィー・エストロゲン受容体・プロゲステロン受容体の結果が記載されていない。なお、乳房エコーの結果は、「良性腫瘍疑い」であって乳癌ではない(技師の報告書による)。
 A 重要な病理診断の結果の診療録への記載について
   本件上告人に関わる病理診断として、12月27日に迅速診断(稲田医師)、1月7日に切除生検標本診断(多田医師)、1月21日に非定型根治乳房切断標本及びリンパ節郭清標本の診断(鬼島医師)、喜納教授によって迅速診断標本(これは小坂医師自ら持参したという)及び切除生検標本の永久標本の診断がなされたというが、喜納教授による迅速・永久標本についての各病理診断結果は診療録中に一切記録されてはいない。
 B 診療録に添付された病理組織学的診断報告書について
   外来診療録に添付された病理検査報告書の記載に乳癌取扱い規約の取決めからみて不十分な点がある。
 C 迅速診断の妥当性について
   12月27日に行われたとされる迅速診断について、この時点での迅速診断の必要性、迅速診断の結果のみで入院・手術を決めたことに対する疑問等があるほか、被上告人病院での病理標本の精度管理が十分に行われていない。
以上の問題点の指摘のほか、並木鑑定人は、
 D 癌告知の時期について
 E マンモグラフィーのスピキュラ様所見と病理像の関連について、 
 F 乳房温存療法の可能性について

 という項目で、被上告人らの問題点を指摘しているのであるが、いずれも、被上告人病院での診療行為や、管理状況に疑問を呈するものである。

《まとめと今後の問題点》
 並木鑑定は、鑑定書の最後に、上記の表題で9項目のまとめをしているがその中には、幾つかの問題点の指摘もあるので、以下に、その項目を列記する。これらの意見は現在もなお貴重なものであり特にC乃至Gは事実認定上も留意されるべきものである。
 @ 受領したパラフィン・ブロックからの標本(3817' 91)が乳癌であることは問題ありません。
 A 病理組織学的診断は、WHO 分類ではInvasive ductal carcinoma with a predominant intraductal component となります。
 B 日本乳癌学会分類では乳頭腺管癌ですが、WHO 分類では上記のようになることを付記する必要があります。
 C 本例は切除生検材料について迅速診断を行い、永久標本が出る前に入院および治療法を決定していますが、これは極めて異例で、例外的なことです。
 D 非常勤ながら常勤病理医が来るのが分かっているのに、他施設の病理医の口頭での診断をもとに根治乳房切除術を行ったのは感心しません。その内容が診療録に全く記載されていないのも問題です。
 E その点を含め、診療録の記載がお粗末です。
 F 迅速診断に使用した凍結材料は、永久標本とし、迅速診断の時の診断と比較し、記録に残すのが原則です。また、切除生検材料の最終診断をつける時、迅速診断の材料も再度検討し、総合的に診断することが必要です。清水市立病院の場合、この原則が守られていません。常勤病理医のいない施設ではやむを得ないことかもしれませんが、改善が求められます。
 G この点に関連し、凍結診断を行った標本が残っていたら、本当に浸潤癌の部分があったかどうかについて、再検討する必要があると考えます。
 H マンモグラフィーのスピキュラ様所見と病理像の関連、および乳房温存療法の可能性についても考察しました。

(2).支倉逸人鑑定(静岡地方裁判所、平成12年3月31日付)
(以下「支倉鑑定」と略称する。)
《鑑定事項》
 平成3年12月27日に摘出した原告の右胸のしこりのパラフィンブロックとして被告病院にて保管されてきた今回提出の鑑定標本は、原告の身体の一部か(注:この鑑定はDNA鑑定である。)。
《鑑定主文》
 @ 提出されたパラフィン包埋組織から抽出したDNAは極めて微量で著しく変性(低分子化)していて、ほとんどのゲノムDNA型システムが型判定不能であったものの、ABO式血液型遺伝子システムのみは検査に成功し、BO型と判定され、血液から抽出したDNAによる型判定と一致した。
 A 染色体外遺伝子であるミトコンドリアDNA型については、血液から抽出したDNAと組織から抽出したDNA型のいずれも検査可能であり、3個所の塩基で異なった反応を示した。
 B この成績からパラフィン包埋組織が原告から摘出された組織ではない可能性が疑われたが、ミトコンドリアDNAに突然変異が生じた可能性も否定できず、他のシステムによる否定もえられなかったため確定できなかった。
《説 明》
  支倉鑑定では上記鑑定主文に続いて、その結果に至る過程を説明しているが、その最後に結論として、次の文章を記載している。
  「組織DNAからはほとんどのDNA多型システムで遺伝子検出が不可能で型判定ができなかった。これは組織DNAがパラフィン包埋過程において低分子化の影響を受け、そのために通常のPCR増幅反応が困難となったと思われる。しかし、ABO遺伝子及びミトコンドリは他のシステムに比べて遺伝子のコピー数が多い事等から型判定が可能になったと思われる。ABO遺伝子型システムでは血液DNAと組織DNAの両者でBO型が検出され、パラフィン包埋組織が竹下勇子の体組織由来である事は否定されなかった。一方で、ミトコンドリアDNAはヒトの固有遺伝子ではなく、突然変異を引き起しやすい点からも法医学実務ではあまり重視されていない。今回は組織DNAが著しく低分子化していて他のDNA型システムは検査困難だったため、保存性が良く型判定できる可能性の高い本システムを検査したが、本結果から直ちにパラフィン包埋組織が竹下勇子の体組織由来ではないと結論することはできない。
  一般に、個人識別や親子鑑定においては、肯定する場合にはたとえば99%以上の高い肯定確率を出すこと、否定する場合には型が適合しない複数のシステムを出すことが必要であり、いずれでもない場合には検査不十分と考えて、さらに検査項目を追加しなければならないとされている。今回の鑑定では、ABO遺伝子型ではBO型と一致したが、肯定確率84%で90%よりも低く、一方ミトコンドリアDNA型システムのみで、型が適合しないという結果だったので、肯定、否定、いずれの結論も得られず、検査不十分だったことになる。」

(3).ティーエスエル鑑定(東京高等裁判所、平成17年8月31日付)
《鑑定事項》
 @ 第1審原告本人から採取されたDNA検体(平成16年10月27日の当審進行協議期日において採取したもの)と第1審被告清水市(病院)が保管していた第1審原告のものと主張するパラフィン包埋標本及び生検組織のスライド標本(検乙第1号証の「年’92.1.7No3817」とあるもの)から検出されるDNA検体との間の同一性の有無及び程度。ただし、以下の方法ないし領域について検査するものとし、かつ、正常細胞と癌細胞の仕分けを前提とし、それぞれについて検査する(不能の場合等には、裁判所の指示に従う。)。
  1) 核DNAについて、STR法による検査法
  2) ミトコンドリアDNAについて、HV−1領域及びHV−2領域における同一性
 A その他参考事項

《鑑定内容》
 上記の鑑定事項に基づき、以下の鑑定を行った。
 @ STR法検査により、竹下勇子の口腔細胞のSTR型と、パラフィン包埋組織「3-3817」の正常細胞部分及び癌細胞部分のSTR型の比較。
 A ミトコンドリアDNA(HV1、HV2)検査により、竹下勇子の口腔細胞のミトコンドリアDNAの塩基配列と、パラフィン包埋組織「3-3817」の正常細胞部分及び癌細胞部分のミトコンドリアDNAの塩基配列の比較。
 B パラフィン包埋組織「3-3817」からHE染色体標本を作製し、癌細胞の有無及び癌細胞の分布を解析。また、スライド標本「年’92.1.7 No.3817」との形状の比較。

 ただし、平成17年7月11日付で、上記鑑定事項から「及び生検組織のスライド標本(検乙第1号証の「年’92.1.7No.3817」とあるもの)」は削除されているので、同部分に関するDNA検体の検査は行っていない。
《鑑定主文》
 @ パラフィン包埋組織「3-3817」は控訴人(被控訴人)竹下勇子由来であると強く推定できる。
 A 参考事項
  パラフィン包埋組織「3-3817」とスライド「年’92.1.7No.3817」の由来が異なることを示唆する結果は得られなかった。

2 一審鑑定結果から判明したこと

 以上の鑑定結果のうち、一審段階で実施された鑑定から判明したことは以下のとおりである。

(1).上告人が鑑定によって明らかにしたいことは、
 @ 被上告人病院が上告人から採取した組織であるとして保管している組織のDNAと、現時点において上告人から採取した血液や口腔細胞のDNAとが一致するか否か。すなわち、被上告人病院に保管されている組織が上告人のものであるか否か、
 A 被上告人病院に保管されている組織が上告人のものである場合には、その組織が癌であるか否か、
ということにつきる。

(2).そこで、本項冒頭でまとめた3つの裁判所鑑定のうち、一審段階で実施された2つの裁判所鑑定において、上記の点で明らかになった点があるか否かを検討する。
 @ 先ず、支倉鑑定は、上告人から採取した血液と、被上告人病院が上告人の生検のために平成3年12月27日に摘出した上告人の右胸のしこり箇所の組織であるとして保管してきたという鑑定標本(パラフィン包埋組織)が上告人の身体の一部であるかという点について、
「パラフィン包埋組織が原告(注:上告人)から摘出された組織ではない可能性が疑われたが、ミトコンドリアDNAに突然変異が生じた可能性も否定できず、他のシステムによる否定も得られなかったため確定できなかった。」
とし、さらに鑑定に関する「説明」部分においても、
  「一般に、個人識別や親子鑑定においては、肯定する場合にはたとえば99%以上の高い肯定確率を出すこと、否定する場合には型が適合しない複数のシステムを出すことが必要であり、いずれでもない場合には検査不十分と考えて、さらに検査項目を追加しなければならないとされている。今回の鑑定では、ABO遺伝子型ではBO型と一致したが、肯定確率84%で90%よりも低く、一方ミトコンドリアDNA型システムのみで、型が適合しないという結果だったので、肯定、否定、いずれの結論も得られず、検査不十分だったことになる。」
との見解も示して、要するに、パラフィン包埋組織が上告人の身体の一部であるとの結論には至らなかったし、上告人の身体の一部ではないとの結論にも至らなかったことを明らかにしたのである。なお、念のため述べると、支倉鑑定の結論は肯定・否定のいずれでもないと解すべきである。にもかかわらず、一審判決では、この鑑定を引用して、「これが原告(上告人)由来のものでないということは到底できない」とする根拠としたのである。 
 A 次に並木鑑定は、パラフィン包埋組織が乳癌であるか否かという点について、明解に、「乳癌である」との結論を示し、また乳癌の組織学的分類に関し、「乳腺腫瘍の国際的組織学的分類であるWHO 分類では「乳管内成分が優位の浸潤性乳管癌(invasive ductalcarcinoma with a predominant intraductal component )に相当する」との見解を示した。
 B 以上の2つの鑑定を併せて、一審判決は、被上告人病院の保管する、平成3年12月27日に上告人から採取したというパラフィン包埋組織が上告人由来のものであり、しかもその組織は乳癌であることが明らかであるから、上告人は乳癌に罹患しており、被上告人小坂医師が手術をしたことについて、不法行為責任を問うことはできないとの判断を示したわけである。上告人と乳癌を明確に結びつける明確な証拠は何ら存在しないにもかかわらず、一審裁判所は、「上告人は乳癌に罹患していた」との判断を示したのである。訴提起後に種々作成され、被上告人側から証拠として提出されたものはさておき、訴提起時には、上告人が乳癌であることを示す証拠は存在しなかった(わずかに乳房エコーに関し、「良性腫瘍疑い」との報告があるが、これは乳癌であることを示すものではない。)にもかかわらず、上告人の組織であるとして、保管されてきたとされる組織のDNAにおいて「原告(注:上告人)から摘出された組織ではない可能性が疑われたが・・・・確定できなかった。」との鑑定結果を、上告人の組織であるとの根拠にして、結論を出したのである。

(3).結局、一審段階での2つの鑑定から得られた結果においては、上告人が「鑑定によって明らかにしたいこと」は明らかにならなかったと上告人は考えた。支倉鑑定及び並木鑑定を根拠に(主として支倉鑑定)、被上告人病院が上告人のものであるとして保管してきた組織が上告人のものであるとの判断を示した一審判決の判断は、納得できるものではなかった。その判断には、明らかに経験則違反、採証法則違反があると考えたのである。

3 原審鑑定が無意味であること

 そこで、上告人は控訴審において再度鑑定を求めたわけである。その結果が、先に引用した、「ティーエスエル鑑定」であるが、以下に述べるとおりティーエスエル鑑定は、上告人の求める点を満たすものではなく、結局、無意味な鑑定となったのである。

(1).原審裁判所が最終的に株式会社ティーエスエルに命じた鑑定事項が確定するまでの経緯(なお、以下においては、年月日表示の際に、平成をHと表示する。)
 @ H16.6.9  進行協議(第1回弁論以前)
   控訴審における鑑定実施の有無について協議。
 実施する場合に使用すべき資料の内容 (質的・量的内容について)
 鑑定方法(手法)としては何があるか
について協議。ほぼ鑑定申請を採用する方向での協議であった。
 A H16.7.21  控訴理由書⑴、⑵、鑑定申請書提出
   その際に、申請した鑑定事項は以下のとおりであった。
  「被控訴人から提出された標本は控訴人から摘出された組織であると言えるか」
 B H16.8.2  同年9.7  進行協議
   ティーエスエルの小林氏、神山氏が同席し、鑑定資料、鑑定方法について具体的な協議。
 C H16.10.12、 10.27 、 11.26 、 12.7、 12.24 
   H17.1.18 、 4.5 、5.11、5.30 、6.24、 7.19
 進行協議期日。この間のH16.10.27の進行協議期日には、上告人(第1審原告)からDNA検体(口腔細胞)が採取された。
 D 上記多数回にわたる進行協議期日において、鑑定実施のための具体的協議を進める中で、上告人が一貫して主張してきたのは、

  1) パラフィン包埋組織とともに、プレパラート組織を鑑定資料とすること。
  2) その双方について、STR法による解析とミトコンドリアDNAの検出解析によること。
  3) パラフィン包埋資料を薄切りにする際に、その1枚はプレパラート標本にして、検乙第1号証の組織的な形態によって、基本的な組織の同一性を確認すること。
  4) プレパラート組織標本について、本件一審で並木鑑定の対象とされた資料と同一であることを確認し、パラフィン包埋組織についても前回のものと同一かどうかを確認すること。
  5) 原審での鑑定の結果は、一審におけるミトコンドリアDNAの解析結果をさらに明確にすること。
であった。
 E 何故上記のような資料についての確認をし、鑑定を求めるかと言えば、上記2.(1)@に記載したとおり、被上告人病院に上告人の組織であるとして保管されてきたという組織と本訴訟の中で鑑定に供されてきた組織標本とが同一であるか、そしてまた、その組織が上告人のDNAに合致するものか否かを明らかにすることができて初めて上告人は乳癌に罹患していたということができるからである。
   その結果、H17.1.18 付で、鑑定事項が下記のとおり決定された。
  1) 第1審原告本人から採取されたDNA検体(平成16年10月27日の当審進行協議期日において採取したもの)と第1審被告清水市(病院)が保管していた第1審原告のものと主張するパラフィン包埋標本及び生検組織のスライド標本(検乙第1号証の「年’92.1.7No3817」とあるもの)から検出されるDNA検体との間の同一性の有無及び程度。ただし、以下の方法ないし領域について検査するものとし、かつ、正常細胞と癌細胞の仕分けを前提とし、それぞれについて検査する(不能の場合等には、裁判所の指示に従う。)。

   @ 核DNAについて、STR法による検査法
   A ミトコンドリアDNAについて、HV−1領域及びHV−2領域における同一性
  2) その他参考事項

 上記鑑定事項は、上告人の求める事実を明らかにするのに、必要なものであり、この鑑定事項の内容に、1点でも欠ける点が生じる場合には、鑑定の目的を達成することができなくなる可能性があるものであった。すなわち、原審での鑑定の対象となる各組織(パラフィン包埋標本と生検組織のスライド標本(検乙第1号証の「年’92.1.7No3817」とあるもの)が一審における鑑定対象組織と同一であるという前提の下に、パラフィン包埋標本と生検組織のスライド標本(検乙第1号証の「年’92. 1.7 No3817 」とあるもの)の組織のSTR及びミトコンドリアDNA(いずれも正常細胞)に関して上告人自身から採取した組織と一致するか否かが求められるべき点であった。そこで、上記のような鑑定事項となったのである。
   なお、これらの組織の同一性の確認が必要である理由については、平成17年7月19日付控訴人(上告人)提出の意見書2〜3頁で詳細に述べたとおりである。
 F ところが、原審裁判所は、平成17年5月11日に、「パラフィン包埋標本について、正常細胞と思われるものと癌細胞に浸食されたと思われるものの分離に成功したようであるが、ミトコンドリアDNAの検出には至っておらず、かなり困難であったことから、スライド標本については、一層その検出が困難であることが予想されるので、その取扱いをどうするか検討したい」旨、双方に連絡をしてきたのである。
 G そこで、控訴人(上告人)は、同年6月24日付「意見書」、同年同月29日に「意見書(補充)」を提出して、ミトコンドリアDNAでの原審との比較と、鑑定の対象となったすべての組織が同一であることの確認を得る手段を欠くことになる鑑定では意味をなさないとして、ティーエスエル鑑定を中止することを求めた。
   一方、被控訴人(被上告人)は、特段の理由を付することなく、
   「TSLの鑑定は、裁判所の鑑定命令に基づいて行われているものですので、中止することなく、鑑定書の提出がなされるべきものと考えます。」
との書面を提出したものであった(平成18年7月8日付)。
 H 被上告人が上記書面を提出した直後の同年7月11日に、原審裁判所は、「当裁判所が、本件第1回口頭弁論で採用した鑑定について、平成17年1月18日付けで決定された鑑定事項を次のとおり変更する。上記決定書添付鑑定事項4行目の「及び生検組織のスライド標本(検乙第1号証「年’92.1.7  No3817」とあるもの)を削除する。」
と決定するに至った。
 I その結果、平成17年8月31日、株式会社ティーエスエルは、上述の鑑定結果を提出したものである。結果は、先に引用したとおり、「パラフィン包埋組織「3-3817」は控訴人竹下勇子由来であると強く推定できる」というものであった。

(2).しかしながら、一審裁判所での支倉鑑定は、同じ組織の鑑定において、
「パラフィン包埋組織が原告から摘出された組織ではない可能性が疑われたが、ミトコンドリアDNAに突然変異が生じた可能性も否定できず、他のシステムによる否定もえられなかったため確定できなかった。」
とし、パラフィン包埋組織が原告から摘出された組織ではない可能性が疑われるとし、ただ、「原告から摘出された組織ではない」と断定しない根拠として、「ミトコンドリアDNAに突然変異が生じた可能性も否定できない」からとし、更に
  「いずれでもない場合には検査不十分と考えて、さらに検査項目を追加しなければならないとされている。今回の鑑定では《中略》、肯定、否定、いずれの結論も得られず、検査不十分だったことになる。」
とも述べているのである。
  ところで、当初のティーエスエル鑑定における鑑定事項から、「生検組織のスライド標本(検乙第1号証「年’92.1.7 No3817」に関する鑑定事項を削除し、ミトコンドリアDNAでの一審鑑定との比較もできないとすると、ティーエスエル鑑定は何の意味もないことになるわけである。そこで、上告人は、ティーエスエル鑑定によっては鑑定目的は達成できないと考え、上述のとおり、鑑定の中止を求めたにもかかわらず、原審裁判所は鑑定の続行を命じたのである。原審裁判所は、上告人の鑑定を中止すべきとする主張を一顧だにすることなく、鑑定の続行を命じたが、上告人の鑑定中止を求める主張に耳を傾けた上で、なお、鑑定を続行するのであれば、鑑定する意味を再度検討するとともに、鑑定事項についての吟味をする必要があったというべきであるのに、それらについて、何ら検討することなく漫然と、鑑定の続行を命じ、しかもその結果に全面的に依拠した判決をしたのである。
  このことは、明らかに採証法則に違反し、また、経験則に違反するものであると言わざるを得ない。

第4章 鑑定評価と不可分の関係にある事実(特に病理診断の有無)についての審理不尽

第1 原判決の事実判断の内容について

 原判決は、基本的に、ティーエスエル鑑定(以下原審鑑定)のみに依拠し、本件で問われていた本質的問題について判断を回避した。原判決は「第1審原告が原審から問題としてきた、迅速標本、永久標本に基づく病理診断(特に、浜松医科大学の喜納勇教授による病理診断)の有無、時期については、第1審被告らの責任判断に影響するものではないから、これにつき判断しない」としているのである。

 しかしながら、このような原判決の判示は、第1審原告の主張を理解していないか、説明がつかないためにあえて判断を回避したものとしか言いようがない。
 本件における事実の重みを全く無視している。原判決はその「事実認定等」のところで以下のように認定している。

「イ ・・・迅速標本は同日(27日)午前中に作成され、永久標本は平成4年1月6日までに作成された。
 ウ 第1審被告小坂は、生検によって得られた迅速標本の病理診断結果や触診等の結果から、第1審原告の右胸のしこりは癌である旨を仮に診断(最終診断は、永久標本で決定する。)し、・・・
・・・ 第1審被告小坂は、第1審原告の入院日を平成4年1月4日と、家族への説明日を同月6日とし、その場で第1審原告に告げたが、第1審原告から質問等はなかった。
(中略)
 カ ・・・第1審原告から採取した永久標本の組織検査によれば、乳癌であること、ステージTの段階であること、・・・(第1審被告小坂は)説明した。」

 以上の事実判断の内容には、当然のことながら、喜納病理診断が含まれている。
 上記の判断中、平成3年12月27日から翌28日にかけての「ウ 第1審被告小坂は、生検によって得られた迅速標本の病理診断結果や触診等の結果」の中には、喜納教授による迅速標本診断が含まれているし、また、平成4年1月6日における「第1審原告から採取した永久標本の組織検査によれば、乳癌であること、ステージTの段階であること」の前提としても喜納教授による永久標本診断が考えられている。
 結局、原判決は、喜納教授による病理診断についてはこれを判断しないと判示しながら、実際には事実認定上はこれを前提にするという矛盾を犯しており、これ自体が明白な理由齟齬となっている。
 喜納病理診断の存否は本件の帰趨を決する問題点である。被上告人小坂は喜納病理診断があったから最終的に「永久標本の組織検査によれば、乳癌であること」を説明したということになっている。喜納診断なしに、1月6日の時点で被上告人小坂が癌であるということを説明できる根拠は存在していなかったわけである。
 上告人は、喜納病理診断が、迅速標本においても(平成3年12月27日)、そして永久標本に関しても(平成4年1月6日)存在していなかったということを筋道を立てて明確に主張したし、その根拠も合理的に示した。
 にもかかわらず、原判決はそのことに全く触れなかった。上告人の主張する内容を仔細に検討すれば、喜納病理診断はいずれも存在していなかったのであるから、原判決の言っているのは、「結果オーライだったんだからいいではないか。もう気にするな」といっているに等しくなる。

 以下では、かかる事実に関し、審理不尽であったことを具体的に主張する。但し、原判決が結局のところこの点についての判断を示していないので、第1審判決(以下地裁判決)の問題点としての主張となる(別紙対照表1を参照のこと)。

第2 各病理診断に関する審理不尽についての具体的検討

1 平成4年1月6日の多田医師による永久標本診断が存在しないこと

(1) 地裁判決の判断内容
 地裁判決は、多田伸彦医師による病理診断について、以下のように判示している。すなわち、
「また、東海大学助教授の多田伸彦医師(同医師も清水病院に非常勤で勤務していた)も、原告の永久標本によって、浸潤性乳管癌、乳頭腺管癌、上皮の異型増殖で、乳頭腺管構造を示し、一部間質への浸潤を認めると判断し、同日原告らへの説明が予定されていたことから、直ちにその結果を被告小坂に連絡し、翌7日付でその診断書面を作成した(乙1p36)。」(地裁判決6〜7頁)
 「本件手術に至る時間的経過は、これを要約すると・・・平成4年1月6日多田医師・・・によって乳癌と診断・・・」(同判決27頁)。
 つまり、地裁判決は、多田医師は1月6日に病理診断を行い、翌7日付けで病理診断書を作成したと事実認定している。

(2)  地裁判決は被上告人の主張にも反すること
 しかしながら、1月6日に多田医師が病理標本をみたとの事実認定は明らかに事実誤認である。1月6日に多田医師が病理診断をしたとの事実は被上告人らも主張していない事実である。
 一例を挙げれば、被上告人小坂は次にように法廷で述べている。

「1月6日は喜納教授が診断してくれたわけです。1月7日は多田教授が診断してくれたということでございます」(小坂調書A77項)。

 また、何ら証拠に基づかない事実であるにもかかわらず、原判決は1月7日の多田診断を前日(1月6日)に行われた説明の根拠として認定しているが、これは明らかに誤った事実認定である。
 つまり、1月6日に実施された説明の際には病理診断結果は存在しなかったのであり、それにもかかわらず原判決は上記のような誤った事実認定をしているのである。

(3) 結論
 以上の事実及び後述する喜納教授による病理診断の不存在の事実から、1月6日の被上告人小坂による説明以前に上告人を乳癌であるとする病理診断は存在しなかったといわざるを得ない。確かに、多田医師による永久標本病理診断は乳癌であるとされているが、その対象となっている組織については、支倉鑑定において上告人由来の組織であるかどうかについて確定できないとの結果が出ているものである。

2 平成3年12月27日の喜納迅速診断が存在していないこと

(1) 喜納診断に関する地裁判決の判断

  地裁判決の判示の内容は以下のとおりである。

「小坂は、この迅速標本(迅速標本は複数作製)を浜松医大に持参し、同大学教授の喜納医師に診てもらったところ、稲田医師と同意見の診断であった」。
「確かに、同教授(喜納教授)が診断をした結果としての診断書等の書面は存在しない。しかしながら、この点の被告小坂の供述等(説明)は筋が通っており、これを虚偽であるとする根拠はない。」(地裁判決22頁)
「時間的に喜納教授と小坂が出会えないはずであるとの竹下や竹下代理人の報告書(甲72・85・86)も確定されていない事実を前提にして一方的な推測をしているもので、採用できない」(同判決22頁)。

 地裁判決の認定は、結局のところ、「小坂の供述等(説明)は筋が通っており」、上告人の主張は「確定されていない事実を前提にして一方的な推測をしている」ものであるとして上告人の主張を排斥したのである。
  しかし、上告人は、かかる第1審の判断を到底受容れることはできない。特に、第1審の「確定されていない事実を前提にして一方的な推測」を上告人がしているとの表現には驚かざるを得ない。第1審は自らの事実認定の偏頗さを、上記表現で上告人主張を切り捨てることによって正当化しようとしたのである。上告人が第1審において提出した多くの客観的な証拠は、「一方的な推測」をするためではなく、裁判所の合理的な心証を得るために提出したものにほかならない。
  以下では、証拠に基づく合理的な判断をいま一度考察する。

(2) 平成3年12月27日の喜納迅速標本診断について

 被上告人小坂が浜松に行ったかどうかはわからない。その客観的な証拠は存在しない。
 仮に行ったとしても、喜納教授と会うことはできない。この点を以下に詳細に検討する。

 (ア) 被上告人小坂の主張する行動
 被上告人小坂の主張する事実関係を明確にしておく。

 10:25 静岡発の新幹線(甲76・小坂調書A127項以下)
 11:02頃 浜松駅到着(甲76)
 タクシーで浜松医大へ(約30分・小坂調書A130項以下)

 これによれば11:40頃、浜医大着となる(小坂も11:30を過ぎていると認めている 調書A141項)。被上告人小坂の到着した時点で午前中は残り20分ほどしかない。

 (イ) 喜納教授の27日の行動

 他方、喜納教授の27日の行動(この日は仕事納めで浜松から東京に帰省する日でしかも、御殿場では雪になっている状況=甲77)を残っている「客観的」な資料から示す。
 
 喜納教授の27日の日誌(甲61)
  「am イワタへ」
 喜納教授の27日の手帳(甲63)
 「10 イワタ」
  となっている(甲61乃至63を資料3として添付する)。

 この「am イワタへ」の合理的な解釈はどうあるべきなのか。ここが肝心な点である。なぜなら、第1審判決は不当にもこの点の判断を明らかに回避しているからである。
 喜納教授の日誌等への書き方として、「am イワタへ」という場合には、午前中に磐田に「いる」ことを示している。つまり、その時間帯の居場所・行動場所(或いは行動内容)を示している(甲82・喜納日誌参照)

 以上のとおり、日誌と手帳と合わせて読むと、午前10時に磐田総合病院に到着していたと見るのがもっとも自然である。10時ではないとしても、少なくとも午前中に磐田総合病院に到着していた以外の事実認定は存在し得ない。これが常識的で合理的な判断である。浜松医大から磐田総合病院まで小1時間はかかることは明らかだから、喜納教授は、遅くとも11時頃には浜松医大を出発していることになる。11時半を回って喜納教授が浜松医大を出発しているということはありえない。11時40分頃に浜医大に到着したという被上告人小坂とはすれ違うことすら不可能である。

 (ウ) 27日の喜納教授による迅速診断は存在しない

 このように被上告人小坂の主張と喜納教授が遺された「客観的」なメモ等を比較すれば、被上告人小坂の主張する時間で会うことは絶対に不可能なのである。

 なお、この27日、喜納教授は年末の仕事納めの日で、浜松医大において少なくとも2件の病理診断を行い(乙29)、磐田総合病院で19例の病理診断を行い(甲81)、午後2時前には病院を「とび出」して(甲63手帳)、急いで東京への帰路についていることにも留意していただきたい。喜納教授は帰京を急いでいた。御殿場付近での雪情報を知っていたからである(甲77参照)。
 以上のように、上告人は、客観的に残っている証拠を持って裁判所に事実認定を迫ったに過ぎない。これに対して「確定されていない事実を前提にして一方的な推測をしているもの」と表現した裁判所の判断はまったく理解できない。
 そして、以上のような客観的な事実判断は、常識的な判断に適い自然でもある。例えば、年末の仕事納めのときに事前の連絡もなく病理診断(しかも迅速標本)を突然依頼することなどあり得ないことであり、誰の目から見ても非常識(アポなしであったことは被上告人小坂も認めている 調書A-175)である。また、そもそも迅速標本診断というのは、手術時(例えば温存や非定型手術)に行われる迅速な標本診断を指しているのであって、今回のような手術の前の生検において、迅速標本診断は通常考えられていないことでもある。結局、被上告人小坂が主張するような非常識なことは存在しなかったということである。
 さらに、被上告人小坂は標本を廃棄することを喜納教授に委ね、しかも記録を残さない、仕事始めの日に永久標本の病理診断までも約束させられるなど、喜納教授にすれば常識を逸した行動を求められていた。これも社会常識として到底ありえない話であって、事実として存在しなかったということに帰結する。

3 平成4年1月6日の喜納永久標本診断が存在しないこと

(1) 結論
 永久標本に関する喜納診断は12月27日の迅速診断が以上のように存在していないということになれば、その論理的帰結として当然に存在しないことになる。なぜなら、1月6日の永久標本についての喜納診断は27日に迅速標本を診てもらった際に、被上告人小坂が永久標本診断も依頼をしたことが前提だからである。永久標本に関する事実判断はその意味で喜納迅速標本診断の帰趨によって解決がなされるべき問題ということである。
そして、上記2で述べたように、迅速標本診断が存在しないことが客観的な証拠に照らして合理的な事実認定であることは疑いがないのであるから、永久標本に関する喜納診断も存在しないということが論理的で合理的な結論となる。

(2) 武内浩三の動きと診断との関係
 被上告人小坂の主張によれば、1月6日に永久標本を届けたのが、塩野義の武内氏であるということで、武内氏についてどのような事実認定をするかが影響をする。
 この点でも、地裁判決は当事者の主張と異なる独自の事実認定を行っている。
地裁判決の認定は以下のとおりである。
「武内浩三氏に、内容物の説明をすることなく、配達を委託して、喜納教授に届けてもらった。喜納教授はこの永久標本によって、浸潤性乳管癌、乳頭腺管癌と診断し、その結果を電話で小坂に連絡」(地裁判決11頁)。

 ここで地裁判決は、「内容物を説明することなく」と認定をした。武内氏の存在は被上告人小坂から出てきたものであるのに、小坂が届け物は何であるかを説明していると主張していること(乙18、小坂調書A-431・436項)を無視して、原判決は虫食い的な事実認定を試みたのである。しかし、これ自体が不自然なことである。存在(武内氏に標本を持たせたこと)そのものを認定しながら、その内容物の説明もしたという被上告人小坂の主張を排斥する。不合理な事実認定である。

(3) 1月6日の喜納教授の行動について
 念のため、ここでも「客観的に」判断できるその日の喜納教授の行動を確認し、1月6日の喜納教授による永久標本も存在しないことを裁判所に確認していただきたい。

1月6日の喜納教授の手帳の記載は以下のとおりである。
「富士宮へ 8半着 仕事さすがに少なく10発
  ひるめし 教室で
  午後   雑用の山あり
  4時   Dr.** Dr.++ 来
  新年宴会  8時頃まで」(甲62及び63)

 このような記載からみると、午後に学外の用件をこなしているという理解はできない。12月27日が仕事納めの日であり、1月6日が仕事始めである。仕事納めと仕事始めの時に仕事を依頼する人間はいない。
  被上告人病院の医療記録には1月7日の永久標本病理診断しか存在しないために、1月6日の上告人への家族への説明・癌告知の前に病理診断が存在したというための被上告人小坂の苦し紛れの虚構(喜納診断)を裁判所がいとも簡単に事実として認定してしまったことを理解できない。苦し紛れというのは、喜納教授が亡くなっていることを利用したという意味も含まれている。喜納教授が存命ならば、客観的な証拠である甲第62号証及び同63号証に沿った証言をされたはずである。
 もちろん、12月27日も1月6日のいずれも喜納教授による病理診断の記録は一切存在しない。

まとめ

 以上のとおり、地裁判決の事実認定及び喜納診断を前提とする原判決の事実認定は、経験則違反も甚だしく、そのような結果を招いたのも、まさに審理不尽と言わざるを得ない
 よって、原判決は破棄を免れず、上告人の請求は認容されるべきである。(注3

以上


注1 既に解析ができていてその解析結果の確定しているものを解析し,今回の検査中に同様の解析結果が得られるかどうかという手続き―警察の指針(甲125として提出する)でもある。

注2 何も検出されるはずのない蒸留水などを解析して,何も解析されないという結果の確認の手続き

注3 最後に,上告人が小坂の実態を知った後に、同様の被害をくい止めようと考えて「清水市立病院から被害をなくす会」(現在:静岡市立清水病院から被害をなくす会)を立ち上げて活動してきた結果、被上告人小坂が被上告人病院を退職(平成12年4月)し、その結果乳癌手術件数は激減し(甲44・45参照)、被上告人小坂が勤務当時は乳癌が清水の風土病であるかのように風評されていた事態はなくなったことを改めて付記しておく。

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