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竹下裁判

上告理由書別表1

平成3年12月26日から平成4年1月8日までの事実対照表
       (初診日)     (手術日)

* 以下の被上告人の主張は,第1審における平成15年10月9日付被告準備書面をもとにしている。被上告人の主張の欄内に(同*頁)とある 場合にはこの書面の頁数を表しているものである。

事 項

上告人の主張&記録

第1審判決

被上告人の主張

被上告人から提出された証拠の価値と客観性

平成3(1991)年12月26日(木)

 

 

 

 

触診

「2〜3秒のひとなで」のみ(甲1・54)

記録もない(乙1-2枚目)

触診したが,右乳腺外上領域に約2センチ大のしこりを触れた。このしこりは硬く,辺縁不整であったが,ディンプリングは明らかでなかった(判決3頁)。

・     精密検査表(乙1号証2枚目)に、腫瘤の形状や大きさについての記載がないことについては「記載漏れ」と小坂は説明(小坂調書@217項以下)

・     乳腺外上領域に約2センチ大のしこりを触れた。このしこりは硬く,辺縁不整であったが,ディンプリングは明らかでなかった(平成15年10月9日付被告準備書面1〜2頁)。

カルテ記載なし(乙1-4枚目)

 

精密検査表の触診所見は「腫瘤有・右、リンパ節腫瘤無」他は空白(乙1-2枚目)

マンモグラフィー(レントゲン検査)

マンモグラフィー結果、カルテ記載なし

放射線科の画像診断の記録等一切ない

マンモグラフィーは左右の2方向の撮影を行ったが,右乳腺の正中→側方向写真で右乳腺外上に腫瘤陰影を認め同時にスピキュラ様の所見を認めたため乳癌を強く疑った(判決3〜4頁)。

マンモグラフィーは左右の2方向の撮影を行ったが,右乳腺の正中→側方向写真で右乳腺外上に腫瘤陰影を認め,同時にスピキュラ様の所見を認めたため乳癌を強く疑った(同2頁)。

カルテに記載なし

エコー(超音波検査)

 

「良性の腫瘍と思われますが、定期チェックを」と記載(乙1-38)

エコーでは右乳腺外上の9×18×6ミリ大のローエコーエリアがあり,この辺縁はやや不整であるが明瞭に見える部分もあり,担当医師は良性腫瘍が疑われるが,定期的チェックをすべきであるとされた(判決4頁)

エコーでは右乳腺外上の9×18×6ミリ大のローエコーエリアの辺縁はやや不整であるが明瞭に見える部分もあり,担当医師は良性腫瘍が疑われた(同2頁)。

良性の腫瘍と思われますが、定期チェックを」(乙1-38)

初診検査結果(画像診断)のまとめ

上記の記録からみれば,

・初診の時点では、問診においても触診においても、また、マンモグラフィ検査、超音波検査(エコー)においても、控訴人竹下を乳癌と診断するだけの根拠は存在しない。

・精密検査表(乙1-2枚目)に、腫瘤の形状や大きさについての記載なし。

・生検手術の必要性については説明なし

 

小坂は3種類の検査結果に基づき,しこりを取って顕微鏡的に調べた方がよいと説明し,翌日しこりを切除する生検をする旨を告げ,原告と原告の夫の承諾を得た(判決4頁)。

小坂は,竹下に「触診,マンモ,エコーの結果,しこりを取って顕微鏡的に調べておいた方がよいと思う」と説明(同2〜3頁)。

生検を27日9時から局麻にて行うことについて,竹下と夫の承諾を得た(同3頁)

証拠はエコー結果の「良性の腫瘤」のみしかなく,悪性を示すものは存在しない。

→生検に移行する理由なし

プロゲステロンレセプター及びエストロゲンレセプターの検査

実施したとの記録は存在しない。乙1-4枚目の12月26日の欄のCも含めて「予定」に過ぎない。

 

「予定を書いたということです」(小坂調書@-484項)

プロゲステロンレセプター及びエストロゲンレセプターの検査を行っている。翌平成4年1月9日に受けた報告では,標準値が13であるエストロゲンレセプターの値が37と陽性であった(判決4頁)。

原告についてエストロジェンレセプターの検査をエスアールエルに委託したのは平成3年12月27日(乙1-4)、同社から検査結果の報告を受けたのは平成4年1月9日である(乙12)。(同35頁)

証拠なし

 

裁判所認定の根拠は乙12であるが,裁判になって初めて出てきたものであり,しかもその作成日は手術から1年後である。

12月27日(金)

 

 

 

 

生検手術

前日に「先生が見ればすぐわかる」と言われ、「生検」という言葉も「簡単な手術」という意味もわからず応じた(甲1-二、甲54-1、甲64-3)

午前8時58分ころから,小坂の執刀で石垣介助者を得て,右胸のしこりを摘出する生検手術を行った(判決5頁)。

 

 

しこりをとって顕微鏡(組織学)的に調べるために外科的生検の手術を行なった(同3頁)。

DNA鑑定(支倉・佐藤鑑定とTSL鑑定)と病理鑑定(並木鑑定)の対象試料となったパラフィンブロックは、この生検で摘出されたものとされている。

同日の乳腺腫瘍生検

不知

同日の乳腺腫瘍生検は竹下一人(判決6頁)

被告病院における同日の生検は原告1人であった(乙26)ので、取り違えられる可能性は全くなかった。(同48頁)

証拠なし

 

乙26は提訴5年9ヵ月後に出てきた検査技師の報告書

 

迅速標本の作製について

否認

 

証拠保全の結果、迅速標本存在せず(平成12年8月)

午前9時頃,手術室から病理科検査室に検体が届いたので,病院の渡辺隆検査技師は,…迅速標本を作製し,その後永久標本を作製した(判決6頁)。

顕微鏡で見る標本には、2種類あります。迅速標本と永久標本です。迅速標本は、字の如く早くできますが、非常に細かい所までは見れません。しかし、診断はこの標本でも90%以上はつけられます。もう1つの永久標本は標本ができるまでには時間はかかりますが、細かいところまで見ることはできますので、最終診断は永久標本で決定します。今回は、この2種類の標本を作製します(同3頁)

証拠なし

稲田健一医師による迅速診断

迅速標本結果(Inada)仮報告書(カルテに記載なし)

また,乙1-36にあるように,迅速標本診断についても報告の様式があるのに,稲田医師は白紙の紙にすべて手書きで書いている。

そもそも迅速診断そのものに根拠がない。

なんといっても,迅速標本が存在しないことは考えられない。標本が存在しないということは,診断もなかったということである。

東海大学助手の稲田健一医師(病院に非常勤勤務)は,迅速標本を診察し,浸潤性乳管癌,乳頭腺管癌と診断(判決6頁)。

稲田健一医師及び喜納勇教授は、迅速標本により浸潤性乳管癌(乳頭腺管癌)と診断した。被告病院では、迅速標本により診断した場合は、仮の報告書を作成し、これを検査科で保存することになっている。本件では稲田健一医師が仮の報告書(乙7)を作成し、検査科で保存した。その際、被告小坂も迅速標本を見た(同4頁)

証拠なし

 

 

乙7として提訴9ヶ月後に出てきた。証拠保全時にも医療記録と一緒に綴じられていなかった。

 

喜納教授による迅速診断

否認

喜納診断を示す客観的な資料は一切存在しない。

常識的にありえない(喜納未亡人陳述書(甲55)、・後輩医師の話をまとめた報告書(甲86))。

 

 

・事前のアポなし(小坂調書A175、176)

・浜松医科大学に到着した時刻について、乙31号証(小坂陳述書)と法廷における供述内容が食い違っている

・当日の喜納教授の行動を客観的に見る限り、喜納教授と被控訴人小坂が浜松医科大学で出会い、標本を交付することは極めて困難

・年末の仕事納めのときに事前の連絡もなく病理診断を突然依頼することなどあり得ないことであり、誰の目から見ても非常識。しかも,最終確定にもならない迅速標本を病理医として大御所でもある喜納教授に見てもらうこと自体もありえない。

・標本を廃棄することを喜納教授に委ね、しかも記録を残さない、仕事始めの日に永久標本の病理診断までも約束させられるなど、喜納教授にすれば常識を逸した行動

・小坂は,この迅速標本(迅速標本は複数作製)を浜松医大に持参し,同大学教授の喜納医師に診てもらったところ,稲田医師と同意見の診断であった(判決6頁)。

・確かに、同教授(喜納教授)が診断をした結果としての診断書等の書面は存在しない。しかしながら、この点の被告小坂の供述等(説明)は筋が通っており、これを虚偽であるとする根拠はない。」(判決22頁)

被告小坂は同日9時半頃、検査科病理から迅速標本を預かり、いつものように、タクシーで静岡駅に行き(約30分)、新幹線のこだまで浜松駅に行き(待ち時間を含め約40分)、タクシーで浜松医科大に行き(約30分)、同日の午前11時過ぎ(遅くとも、午前11時30分まで)に浜松医科大学第1病理に着いた。被告小坂は日頃から喜納勇医師と懇意にし、種々意見を頂いていたところ、原告の場合は年末年始にかかっており、できるだけ確実性を持って年始の治療方針を立てた方がよいと考えられたこと、被告病院の病理医は非常勤であったこと等から、平成3年12月27日、浜松医科大学において、喜納勇医師から、竹下勇子さんの生検の迅速標本について、浸潤性乳管癌(乳頭腺管癌)との意見をいただいた(同51頁)

証拠なし

 

・喜納教授による病理診断の主張は、原告が提訴後に病理についての求釈明(H8年9月6日)を行った後に、初めて被控訴人側から登場(第1審被告準備書面H8年11月7日付)

以下第1審の流れの確認

H8年   

2月23日 訴状

4月25日 答弁書

6月20日 Y準備書面

9月6日 X求釈明:四で病理に関する求釈明

9月12日 Y準備書面「経緯について」

この書面では「喜納教授」は事実経過に出てこない

11月7日 Xの求釈明に対するYの回答「喜納教授」ほか「稲田健一」「多田伸彦」「長村義之」の病理医個人名で登場

 

このように,提訴後9ヶ月を経過して初めて「喜納教授」が登場した。つまり,竹下が病理に対する疑念を明確にしてから喜納教授のことが主張として出てきた。しかも、喜納教授は、すでに亡くなられていた。

 

同時に提出された証拠が乙4から12号証で、

乙7稲田診断

乙8長村診断

乙12ホルモン受容体検査結果一覧

 

長村意見書(乙8:作成日H8.10.3)は上記の求釈明と被告の上記書面の間にぴったりとはまっている

喜納教授のその日の行動について

浜松医科大病理部で10件ほどの診断、磐田市立総合病院で20件の診断(甲72)

仕事納めの日であり、午後2時前に悪天候の中をクルマで東京の自宅へ(甲55、61、63)

 

客観証拠は手帳及び日記であるが,これらの証拠評価を行わず,第1審判決は右のような表現ですり抜けた。

アポなしだったということ,迅速標本診断であることもしかり,標本廃棄の処理まで委ねていき,しかも記録も残さない,無料で時間を拘束される,翌年の仕事始めの日に永久標本の診断まで約束させられる等,小坂の主張する事実はことごとく常識を超える行動であるのに,第1審判決は,かかる非常識な主張をいとも簡単に認定したのである。

 

<手帳(甲63)>

午前10時の欄のところに「amイワタへ」(ほかの記載を見ても,その場所に午前にいることを示している)とあって,午前中には既に浜松医大にいないことは明らか。

「(原告の主張は)確定されていない事実を前提にして一方的な推測をしているもので、採用できない。」と判断(判決22頁)

浜松医科大学の病理部において診断業務を行った(乙29)(同50頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・「a.m.イワタへ」への解釈について 「私たちは、この文章を、要するに、出発した時間というふうに解釈しておりますけれども。そう感じておりますけれども」(小坂調書A356)

竹下の標本を診断した証拠なし

 

 

乙29は病理組織検査報告書2件のみ。竹下のものではない。

喜納教授に対する永久標本診断の依頼

否認

喜納医師に翌年1月6日に永久標本が作製されるのでこれも診断をお願いしたいと言い,喜納教授はこれを了承(判決6〜7頁)。

その折、被告小坂は、同教授に永久標本の検査も依頼した(同4頁)。

証拠なし

12月28日(土)

 

 

 

 

癌告知

・「乳癌です。すぐ手術が必要です。」「しこりは1.8センチメートル、残念ながら初期、ゼロ期は通り越してステージT、T期の癌です。あなたの場合、温存療法と筋肉を残して乳房を全部取る方法とふたつのうち一つ選べる。だけど温存療法の方は、日本へ入ってきてまだ3年しかたってなくてデータがないし、放射線ときつい抗ガン剤をうつから我慢できない人もいる。たぶん、我慢できないだろう。命を取るか、危険を取るか、二つのうち一つ選べる。」

「先生は、全部取る方をすすめる。」(甲64号証7頁)

・     癌の性状、術後の治療計画、後遺障害の有無・程度等に関する説明は一切なかった。

・     手術に向けての検査実施

小坂は竹下に,迅速診断の結果,触診の結果等から,右しこりは癌であったと告げた。

原告の乳癌は第1期と考えられること、生検より大きな手術を受けなければならない可能性が大きいので、準備をしておいた方がよいこと、そのため入院してもらうことであった。また、乳癌の手術方法についても説明をした(判決8〜9頁)。

30〜40分ほどの時間をかけて、前日の外科的生検の結果と乳癌手術の手術方式、適応基準、長所・短所、補助療法等について説明をした。

被告小坂は「最終的診断は、永久標本で決まりますが、迅速標本の結果では乳癌でした。」(同4頁)

乳癌手術前検査実施(乙1-4)。

   ↓

乳癌患者として扱われる

入院日を1月4日,説明日を1月6日とする小坂の指示の有無

・竹下は小坂から「ベッドを確保するため平成4年1月4日(土)入院、1月10日(金)手術。1月4日の午後1時に家族に説明するから、入院の仕度をして来るように。」「1月4日は仕事始めの土曜なので、正面玄関ではなく、救急の入り口から入るように」と指示を受け、4日病院に赴いたが、小坂は病院内におらず、説明を受けることはできなかった。(甲64号証9〜10頁)

 

1月6日に説明するとは言われていない

竹下が来訪を断ったので,入院後家族に説明することとし,入院日を1月4日,家族への説明の日を,同月6日と定めた(判決8頁)。

小坂は,竹下が1月4日に入院できるよう準備することになった。

・「平成4年1月4日は、土曜日であり、しかも、仕事始めの半日(正午まで)ですので、私が時間外の午後1時以降に面談予定を入れることは考えられない」(乙16号証17頁)

証拠なし

小坂の病理科への依頼(上記スケジュールを前提)

不知

病理科に対して,上記スケジュールで患者及び家族に説明するとして,永久標本に基づく,病理診断の結果を同日までに出して欲しいと依頼した(判決8頁)。

検査科に、年末年始の都合上、平成4年1月6日午後5時から家族に説明することになっていることを話してあったので、永久標本は、平成3年12月28日に切り出し包埋、平成4年1月4日に薄切及び染色し、同月6日午前中に作成された(同9頁)

証拠なし

12月29日〜1月1日(水)

 

12月30日、病院に赴き,包帯を交換(判決11頁),

 

 

1月2日(木)

抗癌剤UFT投与試験対象者とされる(乙1-5)

手術日1月8日と記載(乙1-5)

 

A法による「投与指示カード」に、「UFT:手術あるいは強化療法終了2週間目より4Cap/day分2で3ヶ月以上経口投与する」と記載(乙1-5)

小坂は静岡県癌QOL研究会の世話人で、連絡先は小坂だった(小坂調書@428、429

1月2日に小原医師により抜糸(判決11頁)

静岡県癌QOL研究会は、十全大補湯がQOLに及ぼす効果の調査を行った。被告小坂が世話人を勤めていた(同42頁)

「投与指示カード」(乙1-5)

 

    ↓

癌患者として投与試験対象者とされる。

1月4日(土)

 

 

 

 

入院した日に説明会が設定されていたかどうか

・小坂から言われたとおり、4日の昼過ぎ、家族揃って救急入り口から入りました。その時知り合いの柴田修さん(医事課職員)が偶然私の方へ歩いて来ました。当時、柴田さんは平日には正面玄関カウンターの受付にいたので、初診依頼病院に行くたびに事情を伝えていました。柴田さんに用件を伝えて小坂をさがしてもらい、居合わせた看護婦にも頼んでさがしてもらいましたが、小坂がみつかりませんでした。約束の時間になったため、小坂がみつかったら連絡を柴田さんに頼み、とりあえず病棟へということになりました。小坂をさがしてくれていた看護婦がエレベーターを使って、4階病棟まで案内してくれ、病棟の看護婦に引き継いでくれました」(甲64号証12〜13頁)

2号証40枚目の看護記録は竹下の主張に沿っている。すなわち,「外出許可証」には、1月6日の12時から20時までの外出予定と控訴人が手書きで記載している。もともと夕方5時に予定されていれば,8時までの外出許可はとらないものである。

 

・もともと1月6日に説明する「予定」になっていたことはない。

4日にすっぽかされ、竹下と家族は帰宅。1月5日の夜、外泊から病院へ戻った際、急ぎの手術の人が入ったから竹下の手術が8日に早まったと病棟の看護婦から知らされたため、翌6日の朝、竹下が家族への説明を催促(甲64号証12〜14頁)

午後1時頃,竹下は病院に入院(判決11頁)

 

午後1時頃,竹下は病院に入院

1月4日は土曜日であり、しかも仕事始めの半日であるので、小坂が時間外の午後1時以降に面談予定を入れることは考えられない(同8〜9頁)

 

1月5日(日)

 

 

 

 

 

5日は日曜日で前日から外泊し病院にはいなかった。「20時帰院」と看護記録にある(乙2、40頁)。

・「肺機能・心電図・CXP OK」とのカルテ記載あり

・「オペ前チェックリスト」(乙2-15)1月5日作成【この中で1月8日決定されている】。

・入院処方箋

@プルセニド(1月7日処方)

Aペントイル,ターゼン(1月9日〜16日)

BUFT(1月21日〜)

既に抗癌剤が処方されている

術前検査が行われている。

オペ前チェックリスト,抗癌剤UFTの投与指示,注射指示伝票が作成されている術前検査が行われている(判決13頁)。

 

 

・術前検査結果記載

・     ope前チェックリストにope予定1月8日9時30分と記載(乙2-15)

・     外科術前チェックリストにも手術日時1月8日9時30分と記載(乙2-16)

・     抗癌剤UFT処方(1/21~)(乙2-62)

     ↓

癌手術準備進行

1月6日(月)

 

 

 

 

武内浩三のこと

不知

清水病院に出入りしていた製薬会社の社員である武内浩三氏に内容物の説明をすることなく配達を委託して、喜納教授に届けてもらった(判決11頁)(判決は被告主張とも異なっている。被告は内容物を説明しているとしているのである)

被告小坂は、平成4年1月6日昼頃、塩野義製薬鰍フ武内浩三に、永久標本を喜納勇医師に届けることを依頼した(乙18)(同10頁)。

証拠なし

 

乙18は提訴1年8ヵ月後に登場

喜納診断結果

否認

 

12月27日に小坂が喜納教授に会って依頼していることが前提なので、ありえない。

喜納教授はこの永久標本によって,浸潤性乳管癌,乳頭腺管癌と診断し,その結果を電話で小坂に連絡(判決11頁)

診断結果の書類について「はい、ございません」(小坂調書A76)

証拠なし

多田医師診断結果

「1月6日診断」ということでは否認

東海大学助教授の多田医師も,竹下の永久標本によって,浸潤性乳管癌,乳頭腺管癌,上皮の異型増殖で,乳頭腺管構造を示し,一部間質への浸潤を認めると診断し,同日竹下らへの説明が予定されていたことから,直ちに小坂に連絡。7日付で多田医師は,永久標本診断の書面を作成した(判決11〜12頁)。

「6日は喜納教授、それから、7日は多田先生が、要するに、永久標本の診断をしてくれたというのが事実でございます」(小坂調書A78)

 

被告も多田医師の診断は7日であるとしている。

第1審判決認定事実には証拠はない(特に下線部分)

家族への説明

前もって決まっていたわけではない。6日朝、竹下が看護婦に催促したことで、夕方、説明することに決まった。

 

看護記録1月6日、午前6時「早くムンテラをして欲しいという」(乙2-40・看護記録)つまり予定されていた説明会ではなかったということである。

竹下は午後0時から午後8時までの予定で泉医師から外泊許可を得ていたが,午後5時から小坂による説明が予定されていたので,一時帰院(判決12頁)。

1時間近くの時間をかけて、原告とその家族に永久標本による組織検査の結果、乳癌と診断されたことを説明するとともに、手術方法を説明(同10頁)

癌の説明をする証拠なし

1月7日(火)

 

 

 

 

多田医師の診断

カルテ記載あり(乙1-36)

 

小坂が尋問で「多田診断は7日である」と認めるまでは、「6日に診断し病理報告書を7日付で書いた」と主張していた。判決では小坂主張が破綻していることを見抜けていなかったと言わざるを得ない。

*判決では1月6日と認定

次いで、多田伸彦医師も、同月7日、浸潤性乳管癌(乳頭腺管癌)と診断した(乙1-36)(同10頁)

カルテ記載あり(乙1-36)

 

初診時画像診断(癌なし)と病理診断(癌あり)の不一致から、診断対象となる標本が竹下のものかどうかで地裁でDNA鑑定を実施した

1月8日(水)

 

 

 

 

手術

 

 

 

 

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