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活動年表
「ボランティアEXPO2001・しずおか」 2001.11.03・04
厚労省へ指導願い 2003.01.10
坂口力厚生労働大臣宛要望書 2003.05.06
第4回総会報告 2003.05.10
研修医派遣中止要望書 2003.09.03
日本医療機能評価機構への要望書
2003.09.30
市議宛陳情書 2004.02.27
作田明理事長宛質問状 2007.07.20
 市長あて手紙
2025.07.14
 市長あて手紙追記
2025.08.31
  静岡市保健福祉長寿局宛手紙@
  静岡市保健福祉長寿局宛手紙A
 静岡市保健福祉長寿局宛手紙B
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会の活動

市長あて手紙


静岡市長 難波喬司 様                2025年7月12日  

静岡市立清水病院の被害実態について

拝啓
 前略、ごめん下さい。
 本日は静岡市立清水病院の被害実態についてお伝えしたく、突然お便り差し上げる失礼をお許し下さい。
 私は清水病院で乳がん手術を受けたものの、主治医からがんについての説明が「神のみぞ知る」という信じられない屈辱的な対応を受けた元原告の竹下勇子と申します。

 私たちは「市でやっている病院だから」と、信頼しきって受診した清水病院で被害にあい、家族を亡くしたり、後遺症を抱えたり、苦しさの中から被害者が中心となって、2000年2月に「清水市立病院から被害をなくしより良い病院にする会」(現在は「静岡市立清水病院から被害をなくす会」)を立ち上げて、被害をなくすための活動を続けています。
【資料1:「会の活動」参照

 会設立から25年経過し、会のホームページには膨大な資料を掲載しています。一例として、清水病院での被害実態を「医療事故一覧」として公開しています。同様の被害を繰り返さないために、訴訟や報道等で公表されたものや、被害者本人からの資料をもとに一覧を作成しています。
【資料2:「医療事故一覧」参照


「乳がんは清水の風土病」事件について
「下手な手術」に苦しむ人たちの存在―隠された乳腺外科医の技量・所業

 過去の事例で特筆すべきは、「乳がんは清水の風土病」事件に象徴される閉鎖的な隠蔽体質です。

1.下手な手術
 元患者家族や元患者から重ねて提訴された小坂乳腺外科医(以後、小坂医師))の「下手な手術」や、乳がん手術件数の多さから「乳がんは清水の風土病」と病院職員の間で言われていたことが、病院外部に漏れることはいっさいありませんでした。

 竹下が訴えた裁判過程で、小坂医師の「下手な手術」が同僚医師によって初めて公に明かされましたが、それ以前に「下手な手術」という命に関わる重大な情報を市や病院が公表していれば、市民は受診を避け、下手な手術の被害は防げたはずでした。【資料3:「近藤誠医師意見書」参照

 ところが、市や病院は被害を防ぐどころか、小坂医師を講師に講演会を開き、健診をすすめて受診者を集め、長年にわたって「下手な手術」の被害者を生み出し続けてきました。【資料4:「手術件数」参照 平成4年・11年度12年度

 竹下が声を上げ、マスコミに取り上げられたことがきっかけとなって、2000年4月に小坂医師は退職しました。

 しかし、小坂医師の技量を知らされず、結果的に「下手な手術」を受けさせられた人たちに対して、市や病院は未だ何も責任をとっていないため、被害者・被害者家族は裏切られた思いで納得がいかず、心にも大きな傷を負って人権を踏みにじられたままの状態が続いています。

 家族を亡くした人たちは清水病院へ行かせてしまったことを、生存者は心身ともにきつい後遺症を抱えて苦しみながら、清水病院へ行ってしまったことを悔い続けています。「乳がん名医」を喧伝してきた市や病院に騙されて「いけにえ」にされた思いをぬぐいきれずにいます。

 病院職員の間で「乳がんは清水の風土病」と言われていた乳がん事件を風化させないためと、被害者の人権回復のために、「乳がん手術で歩行不能―防げたはずの被害」と題して、竹下が清水病院と裁判過程で体験した出来事を記事にまとめ、今年3月に会のホームページに掲載しました。
【資料5:「乳がん手術で歩行不能―防げたはずの被害」参照】

 係争時の市長は被告として対峙していましたが、当時をご存知ではない難波市長に、「下手な手術」の後遺症に苦しむ乳がん手術被害者の現状をぜひ知っていただき、市民はもちろん、ご自身やご家族を同様な立場に置き換えてお考えいただきたく、記事コピーを送らせていただきます。尚、ホームページをお読みいただければ、下線表記箇所をクリックしてリンク先の関連ページを読むことができます。
(http://www3.tokai.or.jp/shimizu/impression_71.html)


上述記事(【資料5】)を読んで、同様の手術体験者たちや支援者たちから、
  「このまま終わらせないで欲しい」
  「何度も何度も読み返している」
  「何とかならないか」
  「声を上げることはできないが、つらさをわかって欲しい」
  「がんではなかったと思っている」
  「なぜ、こんな目にあわなければならないのか」
等の声が届いています。


 寄せられた声を生かすためにどうすればいいのかと考え、元市議栗田裕之氏に相談して、当時をご存知ではない難波市長に、乳がん事件に苦しむ現状をお伝えしてご理解を得ることが重要であると考え、お便りを差し上げることにしました。

 清水病院は市民のための公立病院で多額の税金が投入されています。市や病院は、外部の医師たちを驚愕させた小坂医師の「下手な手術」を認めて、その手術を受けて苦しんでいる被害者・被害者家族の尊厳を尊重し、人権回復に市長としてお力を注いで下さいますよう何卒どうぞよろしくお願い申し上げます。

 小坂医師が辞めて四半世紀経ちますが、乳がん事件を「昔の出来事だ」で終わらせないでいただきたいのです。今現在、「下手な手術」で心身ともに苦しみながらも声を上げられない被害者・被害者家族の存在に思いをはせるとともに、なぜ、小坂医師を暴走させたのか、被害をくい止めることができなかったのか、現院長・現副院長は共に当時清水病院に在籍し、小坂医師の同僚だったのですから、当事者として今こそ、閉鎖的な隠蔽体質を含めて「乳がんは清水の風土病」事件の検証をし、結果を市民に伝えて、今後に生かすべきです。

 とりわけ、現副院長M医師は小坂医師手術後の患者を診察していたので、外部の医師たちを驚愕させた「下手な手術」を直接ご存じです。しかし、小坂医師手術痕を「clear」(きれい)と診断していたのでは小坂医師と同類で、内部改革を期待することは所詮無理なことでした。


小坂医師の手術痕を診た他院の医師たちは、
  ・「これほど下手な外科医が日本にいたことに驚いた」
           (近藤誠医師:竹下裁判意見書
  ・「2・30年前のやり方だ。こんなひどい手術、ここ何年も
   見たことがない。これじゃ中はメチャメチャだ」

          (国立静岡病院外科医:竹下裁判「裁判の原点」
  ・「患者さんのレントゲン写真を撮って驚いた。内部がクリップ
   (ホッチキスのようなもの)で縫合されていた」

          (蒲原病院外科医:月刊『現代』2003年1月号)


と、驚愕の声を上げているのに対して、現副院長M医師は竹下手術後のカルテに、「clear」(きれい)と記載(入院カルテ及び地裁判決文より)。まったく正反対の見立てです。

 「clear」(きれい)と、心底から診断したならば、清水病院の医療レベルが問題だし、小坂医師の「下手な手術」を「知っていて黙っていた」ならば、身内をかばう閉鎖的な隠蔽体質そのもので、院内で何が起きようとも問題が表面に出る訳がありませんでした。「患者中心の医療」とはかけ離れた「身内中心の医療」でした。
 早期に病院内部から被害をくい止めることができず、「下手な手術」を見逃して被害を拡大させた責任は計り知れず甚大です。

2.がんではないのにがん手術―裁判で認定されなかった理由
 私は乳がん手術後、小坂医師からがんについての説明を「神のみぞ知る」としか聞いていないため提訴しました。裁判では「がんではない」証明に苦しみました。元々、証拠(がん)が無いことを証明することは不可能なことで、病院側が裁判になってから主張し始めた「がんの主張」をつぶす作業の連続でした。
(詳しくは会のHP竹下裁判「裁判が終わって」

 裁判過程で、清水病院に勤務経験があった近藤誠医師が、がん所見が無いのに乳がん手術され、放射線科へまわされた3人分のカルテを裁判資料として提出して下さいました。

 民事初のDNA鑑定を認めた裁判長は交代し、後任の地裁判決文を書いた裁判長は、
「原告のものではない証拠を出して、原告は何をおっしゃりたいのか」と、証拠(がんではない3人分のカルテ)を無視しました。
しかし、清水病院で、がんではない人を手術していたこと自体、1人でも大事件なのですが、民事裁判では通用しませんでした。

 清水病院提出がん標本のDNA鑑定結果、竹下のDNAと一致しなかったことについて同裁判長は、
「がん標本が原告のものではないからと言って、原告ががんではない証明にならない」と言ってのけました。

3.市ぐるみで加担
 竹下提訴時、旧清水市がDNAに関する政府委員を市側代理人に選任したこと自体、市は小坂医師の所業を知っていたとしか考えられず、市ぐるみで乳がん事件に加担していたと受け取られても仕方のないことです。


近藤誠医師とルポライター米本和広氏のこと
 【資料5】の記事に記載した近藤誠医師とルポライター米本和広氏について説明します。

近藤誠医師―慶応病院放射線科医師、2012年菊池寛賞受賞。受賞理由は、「乳房温存療法のパイオニアとして、抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、がん治療おける先駆的な意見を、一般人にもわかりやすく発表し、啓蒙を続けてきた功績」

2014年慶応病院定年退職後「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」運営、2022年8月逝去。

清水病院に1992年9月から1996年3月まで週1回半日非常勤医師として勤務。
1996年3月清水病院退職。直後に『患者よ、がんと闘うな』上梓。ベストセラーとなり、その後、多数の著書を出されました。

清水病院の実態に、「清水はひどいから」と、啓蒙のため来清し無償で一般市民を対象に複数回講演。

清水病院退職後、竹下裁判に全面的に協力を申し出て下さり、被害をなくすための会活動にもご協力下さいました。
 ・近藤誠意見書―小坂医師の技量について意見書を裁判所へ提出
          「これほど下手な外科医が日本にいたことに驚いた…
          いずれ病院側や清水市も気づいて何か手を打つ
          だろうと考えていた…」
 ・がんではないのに手術され、放射線科へまわされた患者3人分のカルテ
  を裁判所へ提出
 ・ご著書等で清水病院問題を複数回取り上げる
       『近藤誠の「女性の医学」』
       『あなたの癌は、がんもどき』


米本和広氏―ルポライター。カルト問題に詳しく、安倍元総理銃撃犯山上徹也が銃撃前日に手紙を送った相手。
       清水病院を取材したとき、カルト宗教との類似性に驚かれる。
       清水病院ルポ掲載
         ・『いのちジャーナル』1998年11月号12月号
                       1999年2月号
         ・『別冊宝島・病院に殺される!』1999年8月
         ・文庫版『病院に殺される!』2000年6月
         ・月刊現代『虚像の名医』2003年1月号
       清水病院問題取材をきっかけに、被害をなくすための
       会設立提案・ホームページ開設にご尽力
         ・会のホームページに、地裁判決文を詳細に解説した
          「竹下裁判『判決の真実』」寄稿


まとめ―「乳がんは清水の風土病」事件の検証・被害者救済・再発防止
 近藤誠氏は医師として清水病院放射線科に勤務したことがあり、米本和広氏はルポライターとして清水病院職員や被害者の取材を通して、旧清水市とはまったく関係がなかったお二人が、清水病院のひどさを知った義憤から、竹下裁判や被害をなくすための会活動に惜しみなくご協力・ご尽力下さいました。

 彼らの義憤によって、小坂医師を退職に追い込み、年間100件近くの乳がん手術数が続いた「乳がんは清水の風土病」事件に終止符を打つことができました。お二人のおかげで、どれほど多くの命が救われたか計り知れません。今回は「下手な手術」に焦点を当てて書きましたが、小坂医師の問題はそれだけにとどまりませんでした。

 近藤誠医師がご著書で竹下裁判に触れ、ご自身が清水病院で体験されたことも交えて、「がん患者を作り出す病院」・「『医療詐欺』のカラクリ」と記されています。清水病院は沈黙を通していますが、公立病院として、売上げに貢献させられた市民に、責任ある対応が求められていると考えます。

 難波市長には清水病院の被害実態をご理解いただき、小坂医師が大活躍していた当時、清水病院に在籍していた現院長・現副院長が現職中にぜひとも、「乳がんは清水の風土病」事件の検証・真相解明・隠蔽体質解明を進めて、今現在「下手な手術」に苦しむ被害者・被害者家族の尊厳を尊重し、失われた人権の回復にむけて被害者・被害者家族が納得できるように検証結果の説明・謝罪を求めます。

 又、今後同じような売上げのために病気がつくられることが繰り返されないよう、管理監督をどうぞよろしくお願い申し上げます。
 なお、この手紙は投函後に、会のホームページに掲載いたします。
                              かしこ


              「静岡市立清水病院から被害をなくす会」
                       代表 竹下勇子


追伸:同一書簡を栗田裕之元市議宛、同時に投函いたします。

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2025年8月31日、「市長あて手紙追記」を掲載しました。
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