竹下裁判
●控訴理由書(2) 〜事実認定について〜         
第1 原審の事実認定のあり方について第2 原審の具体的事実認定について
  1 平成3年12月27日喜納教授による病理診断
 2 家族に対する説明日の設定及び家族への説明について
 3 1月6日喜納教授の診断
 4 小括
第3 控訴人の鑑定人との接触について
第4 まとめ
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第2 原審の具体的事実認定について
 1 平成3年12月27日喜納教授による病理診断 
(1)
 原審判決はこの点につき 
 「同日(平成3年12月27日)、この迅速標本(迅速標本は複数作製した)を浜松医科大学に持参し、同大学教授の喜納勇教授に診てもらった・・」 
 (原審判決6頁) 
 また、 
 「確かに、同教授(喜納教授)が診断をした結果としての診断書等の書面は存在しない。しかしながら、この点の被告小坂の供述等(説明)は筋が通っており、これを虚偽であるとする根拠はない。」(原審判決22頁) 
 と認定している。 
(2) しかしながら、迅速標本に対する喜納教授の診断は存在しないというのが控訴人の主張であり、このことは2003年10月9日付準備書面にて詳細に論じたとおりである。 
 再度、要約して主張すれば控訴人の以下のとおりである。すなわち、 
  @ 当日、小坂は喜納教授に会うために浜松医科大学に向かったとされているが、浜松医科大学に到着した時刻について、乙31号証(小坂陳述書)と法廷における供述内容が食い違っていること。
  A 当日の喜納教授の行動を客観的に見る限り、喜納教授と小坂が浜松医科大学で出会い、標本を交付することは極めて困難であること。 
  B 喜納教授の日記(甲83号証)の記載内容から判断して、小坂が突然喜納教授を訪問して病理診断を依頼できるような間柄では決してなかったこと。
  C 以上のことから推論すれば、小坂と喜納教授が浜松医科大学で、当日の午前11時から12時の間に面会し病理診断を依頼するなどということはあり得ない事実である。 
 
(3) 控訴人の上記主張に対し、小坂は、自分が浜松医科大学に到着した時間、及び、喜納教授が磐田総合病院に到着した時間について、矛盾した供述をしていることがわかる。 
@
  小坂調書A139、141、146、 
「そうすると、いずれにしても11時半は過ぎていますね。」 
「だから、先ほども言ったように、僕はこれ時刻表分かりませんでしたので、初めて見させていただきましたけども、11時過ぎから、遅くとも11時半ごろというふうに言ったと思いますけども。」 
 
「11時半を過ぎたということでいいんですね。」 
「そういうことです。その新幹線のあれから見ると。」 
 
「あなたがおっしゃりたいのは、自分と会ってから、午前中に磐田病院に、喜納先生は着かれたのではないかということをおっしゃりたいんですか。」 
「そういうことです。」 
   
A
   ただし被告代理人からの問いには「a.m.イワタへ」への解釈について、小坂は以下のように供述する。 
小坂調書A356 
「私たちは、この文章を、要するに、出発した時間というふうに解釈しておりますけれども。そう感じておりますけれども」 
と答えて、喜納教授が磐田総合病院に到着した時間について矛盾する供述をしている。 
 
(4)
 しかしながら、原審判決は、 
  「(控訴人の主張は)確定されていない事実を前提にして一方的な推測をしているもので、採用できない。」と判断し(原審判決22頁)、喜納教授が残した日記の記載をどのように理解するのが合理的か、喜納教授の日記記載と小坂の供述及び供述の不自然な変遷とのどちらが信用に値する証拠であるかを、何ら詳細に吟味することなく、控訴人の主張を一蹴しているのである。 
 しかしながら原審判決がいう「確定されていない事実」というのは、喜納教授が既に他界されているという一点に尽きるものであり、喜納教授に直接事実を確認できないから、それは「確定されていない事実」であると判断しているのと同じである。これは、まさに「死人に口なし」を利用した小坂の主張そのものであり、公平な立場から客観的に判断すべき裁判所の役割を放棄するに等しい判断内容である。 
 
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