竹下裁判
●控訴理由書(2) 〜事実認定について〜
第1 原審の事実認定のあり方について第2 原審の具体的事実認定について
1 平成3年12月27日喜納教授による病理診断
2 家族に対する説明日の設定及び家族への説明について
3 1月6日喜納教授の診断
4 小括
第3 控訴人の鑑定人との接触について
第4 まとめ
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第2 原審の具体的事実認定について
2 家族に対する説明日の設定及び家族への説明について
(1) 家族に対する説明日の設定
a 小坂が、控訴人及び控訴人の家族に対して乳癌の告知・説明をする日程について、原審判決は以下のように判示する。
12月28日に「家族への説明の日を同月(平成4年1月)6日と定めた。」(原審判決8頁)
b しかし、12月28日に家族への説明を1月6日に決めたのではなく事実は以下のとおりである。すなわち、
小坂は、1月4日に説明するから病院に来るよう控訴人に指示した。つまり、控訴人は、すでに生検を実施した翌日である平成3年12月28日にがん告知をされ、その際、家族が同席していなかったため、小坂は控訴人の自宅まで行くと執拗に言っていたのである。それを控訴人が断ったため、小坂から、平成4年1月4日に説明するから病院に来るよう指示を受けた。控訴人は家族とともに1月4日に病院に赴いたが、小坂は病院内におらず、説明を受けることはできなかった(甲64p9〜10、p12〜13)。
そこで1月6日朝、控訴人が看護婦に催促したことによって家族への説明が当日夕方と決まったのである(乙2号証40枚目、看護記録1月6日6時「早くムンテラをして欲しいという」)。12月28日に決まったのではない。
c 以上の事実は、控訴人の陳述書に詳細に記載されているところである。しかしながら、原審は小坂の陳述書及び供述のみを採用し、理路整然と記載されている控訴人陳述書については一言も触れずに、事実に反する認定をしているのである。
d こうした事実誤認が、(2)で論じるように破綻を来たしている。つまり家族への説明の日が前もって決まっていたわけではないため病理科に対し、スケジュールにあわせて病理診断結果を出す依頼はできなかったのである。原審判決は、小坂が客観的資料に基づかずに控訴人に乳癌の告知をしていることを見逃してしまったのである。
(2) 家族への説明(平成4年1月6日)
a 小坂による控訴人及び控訴人の家族に対する説明について、原審判決は以下のように判示する。
「説明内容は、上記(2)の喜納教授、多田医師による診断結果を踏まえ、・・・説明がされた。」(原審判決12頁)
b まず、原審判決は、小坂が多田医師による診断結果を踏まえて控訴人に説明したという事実を認定している点が問題である。
なぜなら、小坂が控訴人に説明したとされる平成4年1月6日の時点では、多田医師の病理診断は存在しないからである。多田医師による診断書とは乙1号証36頁を指していると思われるが、この病理組織診断には「92年(平成4年)1月7日」と記載されている。
この点で、原審判決は証拠に存在しない事実を認定している。
c 次に、原審が上記のような事実認定をしたのは、「診断書作成が1月7日で、実際にはその前日である1月6日に多田医師による診断が行われた」と認定したということであろうか。原審判決の趣旨は極めて不明確であるが、仮にそのような認定であったとしても、以下で論じるとおり、それ自体証拠に現れている事実に反するものである。
なぜなら、多田医師は1月6日には被控訴人病院に来ていないからである。病院に来ていない多田医師が、組織に基づいて病理診断などできるはずがない。
そのことは、以下に指摘するように、小坂の法廷における供述に明確に現れている。すなわち、
小坂調書@303〜307
「この永久標本を多田先生が見たんですか。」
「そうです。最終的にはそうだと思います。」
「多田先生は、どこで顕微鏡をのぞいたんですか。」
「清水市立病院の病理の部屋です。」
「清水市立病院に来たんですね。」
「そうです。」
「それが何日ですか。」
「カルテをみますと、私の記憶から想像しますと、1月7日になっていますので、1月7日にお見えになったというふうに記憶します。」
「そうすると、多田先生は、1月7日に清水市立病院で永久標本を見て、癌だというふうに診断したわけですね。」
「そうです。多田先生はですね。」
小坂調書A59〜61、63
「前回の法廷でのあなたの供述でも、多田さんが、その診断をしたのは1月7日であると、これは間違いないわけですね。」
「間違いありません。」
「そうすると、多田さんは、6日ではなくて、7日に来ていたと、こういうことですね。」
「7日でございます。」
「そうすると、多田さんの永久標本の診断が1月7日ということは、1月6日のあなたの本人と家族に対する説明のときには、この多田さんの病理結果に基づく説明というのは、なかったということですね。」
「そういうことでございます。」
「少なくとも、多田さんの診断が、1月6日になかったことは間違いないですね。」
「そういうことです。ですから、1月6日は喜納教授です。」
d 以上、指摘したとおり、小坂自身も、多田医師が病院に来たのは1月7日であることを認めている。しかも、その他に、1月6日の説明時に、多田医師の診断に基づいて説明したと認定すべき証拠は一切存在しない。
原審の事実認定は証拠に基づかないものであることが明白である。
e そればかりではなく、この点の事実誤認が判決全体に重大な影響を及ぼすものであることを指摘しておきたい。つまり、院内の病理医に基づく病理診断が出る前に、小坂は控訴人及び控訴人の家族に乳癌であることの説明を行っているのである。この事実こそが、小坂が客観的根拠に基づかずに乳癌であることを決めつけ、控訴人にその旨の説明を施し、手術に踏み切ったことを裏付ける大きな事実だからである。
しかしながら、原審はそれを見逃した。原審は、証拠に基づかない、あるいは証拠に存在しない事実を認定し、誤った結論を導き出したとのそしりを免れない。
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