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竹下裁判

『判決の真実』米本和広

はじめに
1.争いのない事実および標準診断
2.判決文の構成にみられる偏頗性
3.証拠採用の偏頗性
4.手術と傷害の関係について
5.「65万分の1」の確率
6.死人に口なし
7.竹下裁判控訴審の意義

 pdf版はこちら

  ※ 一審・静岡地方裁判所判決(2004年3月18日)

1.争いのない事実および標準診断

 原告(竹下勇子)と被告(静岡市=当時清水市および小坂氏)との間で、争うことのない事実は以下の通りです。

◆91年12月26日
 胸にしこりを感じた竹下が小坂の診察を受ける。
 「触診」のあと、「マンモグラフィ」(レントゲン検査)「エコー」(超音波検査)の検査を受ける。小坂は、エコーで「良性腫瘍、経過観察」という診断が下されたにもかかわらず、生体検査手術の予約を翌日に入れる。
◆91年12月27日
 生検手術。
◆91年12月28日
 小坂は竹下に癌告知。入院日を1月4日と定める。
◆92年1月4日
 竹下、入院。
◆92年1月6日
 竹下と家族が小坂氏から手術についての説明を聞く。「命を取るか危険を取るか」。つまり温存療法だと再発の可能性があるため強い抗ガン剤を必要とするとして、より危険の少ない乳房全摘出手術を勧める。竹下、全摘手術に同意する。
◆92年1月7日
 生検手術で取った組織の永久標本の診断で、多田医師(非常勤の病理医、所属は東海大)が癌と診断する<注>
◆92年1月8日
 手術。
◆92年1月21日
 摘出した組織を病理組織学的に調べた結果、癌の残存組織は見つからず。
◆92年1月31日
 退院。
◆94年7月
 清水市の市政モニターとなっていた竹下が病院の問題点、小坂の診断・治療の疑問をレポートにして市に提出する。
◆94年7月12日
 小坂の自宅で、小坂と竹下が話し合いを持つが、納得のいく説明を受けられずに終わる。(判決文での日付は「7月21日」となっているが、明らかな認定ミス)
◆94年8月11日
 竹下の自宅で、竹下と病院職員が話し合うが、納得のいく説明はやはり受けられず。
◆96年2月
 竹下が病院(市)と小坂を相手取って提訴。

 注=多田診断については、竹下さん側は「争いのない事実」とは認めてはいません。確かに、診断書は多田氏が書いたものだが、92年1月7日当時に書かれたものか、それとも提訴を見込んで後から書かれてものかはっきりしないからである。昨今の医療事故に見られるカルテ改竄は日常茶飯事になっており、「カルテ改竄防止法」の制定運動はNHKでも取り上げられるほどの話題になっている。小坂主張に沿って多田診断のことを書いたのも、病院・小坂氏側の主張をわかりやすくするためであり、かつ今回の判決の決定的欠陥を指摘するためである。

 「争いのない事実」からわかる通り、初診から手術までがまるでベルトコンベア式に行なわれていることに驚かれると思います。
 12月26日に初診。27日に生検手術。28日に癌告知。1月4日に入院、1月8日に手術です。これは竹下さんだけではありません。以下の表は竹下さんが患者仲間から聞取り調査したものです。

 

初診日

生検手術

癌告知

入院日

手術日

Aさん

09/07 

09/08 

09/08 

09/08 

09/22 

Bさん

10/19 

10/20 

10/21 

10/20 

11/01 

Cさん

11/02 

11/04 

11/04 

11/04 

11/17 

Dさん

11/17 

11/25 

11/25 

11/25 

12/03 

 まさにベルトコンベア式の流れ作業です。

 乳癌の標準診断は以下の通りです。
 初診(問診・視診・触診)によって腫瘍が認められると、マンモ・エコーの検査が行なわれます。その検査で良性腫瘍が疑われた場合は経過観察となり、悪性が疑われた場合は細胞診に進みます。
 竹下さんの場合はエコーで「良性腫瘍、経過観察」(検査技師の報告)となったわけですから、生検手術に進むのではなく、経過観察とすべきでした。
 細胞診は腫瘍部分の細胞を注射針で吸引し、顕微鏡で調べる検査です。ここで良性腫瘍とわかれば経過観察に、良性か悪性か判断がつかなかったり、悪性と認められたりすると、生検手術が行なわれます。生検は乳房にメスを入れ身体を傷つけますから、細胞診を抜きにした生検は考えられません。
 生検で切り取った組織は永久標本化され、病理医が顕微鏡を覗いて、癌細胞があるかどうか診断されます。その診断に基づいて、外科医は最終診断をして、家族に治療方法の説明を行います。乳癌は急に大きくなるわけではありません。ですから、初診から手術までは1ヶ月から3ヶ月ぐらいかかるのが通常です。

 この標準診断と小坂式診断・治療を照らし合わせると、いかに異常なものかわかるでしょう。地裁判決でも、この点を問題にし、医師ががん告知の翌日に手術の選択を迫ったことを「十分な理解、納得をしてもらう配慮が足りない」と述べ、賠償を命じました。

 小坂氏は10年間で1000人に乳癌手術を行なっています。人口あたりの乳癌発症率から比べると、清水市の発症率は全国平均の2倍に相当します。病院の職員は「清水市では乳癌が風土病になっている」と自嘲気味に話していました。職員が言わんするのは、乳癌ではない人までが乳癌とされ手術を受けているのではないかということです。
 小坂氏は00年に病院を退職しました。
 その結果、乳癌患者は半減
してしまいました。小坂氏がいると乳癌患者が増え、いなくなると全国平均になる。どう考えたらいいでしょうか。

 「東京海上日動あんしん生命」のがん保険では、乳癌になった場合、450万円の保険金を給付しています。健康保険(1割〜3割負担)で病院が国保から受け取る料金とは別に、450万円ぐらいはかかるということです。自費負担だけを取っても、小坂氏の乳癌手術によって450万円×1000人で45億円の収入を病院は得たわけです。当時はこの半分だったとしても20数億円です。小坂氏は退職(事実上の解雇)するまでは、病院の赤字減らしに貢献した功労者として絶大な権力を振るっていたといいます。

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