竹下裁判
●『判決の真実』米本和広
はじめに
1.争いのない事実および標準診断
2.判決文の構成にみられる偏頗性
3.証拠採用の偏頗性
4.手術と傷害の関係について
5.「65万分の1」の確率
6.死人に口なし
7.竹下裁判控訴審の意義
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※ 一審・静岡地方裁判所判決(2004年3月18日)
3.証拠採用の偏頗性
偏頗的なのは判決文の構成ばかりではありません。判決が依拠した証拠の取り上げ方にもそれは見られます。
私たちが裁判の原告あるいは被告になって、なにかを主張する場合、証拠の裏付けがなければ、裁判所は主張そのものを信用しません。刑事事件を想起すれば理解できると思います。「殺していない、その証拠は?」。それほど、裁判にとって「証拠」は重要なものです(証拠主義)。
そのことは判決においても然りであって、判決の「事実認定」は原告・被告が提出した証拠、証人尋問の調書などをもとにしたものでなければなりません。ひとつ事実を認定するとき、判決文の末尾に逐一(甲○号証)と証拠を示すのが一般的です。そうでなければ「この判決部分はどの証拠に基づいたものか」わからなくなります。それゆえ、証拠明示なき事実認定は避けるべきです。
今回の判決文は、証拠を示すことなく事実認定が行なわれている部分が非常に目立ちます。そのため、読んでいくと<いったい、この認定はなんの証拠に基づいたものか>と首を傾げてしまうことが多い。この疑問を解くためには甲号証・乙号証すべてを読まざるを得ませんでした。
その結果、出所不明の証拠の大半は小坂氏の陳述書でした。
もともと陳述書は、誰のものでもそうですが、バイヤスがかかった証拠です。「自分の主張を通すための事実主張」であり、それを裏付ける証拠は示さなくてもいいとされています。そういう意味で陳述書は「記憶主張」とも表現され、カルテやレントゲン写真などのブツ(物証)と比べ、証拠価値は低いとされています。
それにもかかわらず、いくつかの重要な事実認定は小坂氏の陳述書のみに依拠してなされているのです。竹下さんも詳細な陳述書を提出していますが、それは無視されています。まさに偏頗的と言わざるを得ない。
まだあります。
法廷に提出された証拠は竹下さん側が109点(甲号証)、市・小坂氏側が39点(乙号証)となっています。
事実認定する場合、必ずしも平等に取り上げる必要はなく、裁判官の裁定に任されています。しかし、あまりにもどちらかに偏っていれば、偏頗的と言わざるを得ません。
では、今回の判決文の場合はどうなのでしょうか。
判決文の「第三、本件の経緯についての裁判所の認定」(判決文29ページのうち半分の15ページが費やされている)で明示された証拠は、甲が22点、乙が21点です。平等に見えるのですが、「延べ使用頻度(依拠度)」となると、乙に偏ります。
甲がわずか23回に対して、乙は実に71回なのです。
しかも、その多くが裏付け証拠のない「小坂陳述書」(記憶に基づく主張)です。
さらに、竹下さん側の証拠の使い方を調べてみると、市・小坂氏側の主張を認めるためのエクスキューズ、もしくは補強として使っています。
「(小坂側は)〜と主張する。それは(竹下側の主張などによって)認めることはできない。だがしかし、だからといって、これこれについては否定することはできない(小坂側主張を認める)」
もちろん、原告・被告から提出された証拠の価値判断を迫られる裁判では、えてしてこうした表現になる場合があります。しかしながら、竹下裁判の判決では重要なところはいずれも“燕返し”的文体になっているのが特徴です。
前に、判決文を読めば実にストーリー性に富んでおり、竹下さんの訴えに根拠なしの印象を誰でも受けるだろうと指摘しました。
実際、裁判が始まってから実に8年間も沈黙を守っていた病院の幹部職員が、判決文を読んで「竹下の訴えには根拠なかった」と小躍りして、これまでの強いられてきた沈黙を爆発されるかの如く、かつてあった掲示板に嵐の如く竹下批判の匿名投書を投稿したのも、理由なきことではないのです。判決文では、一方の当事者の言い分(陳述書)がいかにも裁判官の目を通して客観的だと言わんばかりに、縷々綴っているのですから。
偏頗に目をつむって、では、裁判官は証拠を正しく判断しているのだろうか。そう思って、判決文を証拠に照らし合わせながら読んでいくと、そうではないから驚くしかありません。
別掲にある「控訴理由書(2)」の冒頭部分を読んでください。次のように書かれています。
「@証拠に存在しないことを事実と認定したり、A証拠に現れている事実に反することを認定したり、また、B証拠の読み違えによって事実認定をしているなどの点が散見される」
これをルポルタージュや学術論文に置き換えたら、どうなるでしょうか。
「ある人が証言をしていないことや、証言したことが違ったように書かれている」(ルポ)
「データにないことや、データに現れている事実に反することや、データを読み違えて書かれている」(学術論文)
そんなルポや学術論文は掲載段階でボツですし、仮に掲載された場合、回収か謝罪広告となります。
具体的事例は「控訴理由書(2)」にわかやすく書かれていますので、ぜひご覧になってください。
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