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竹下裁判●『判決の真実』米本和広はじめに1.争いのない事実および標準診断 2.判決文の構成にみられる偏頗性 3.証拠採用の偏頗性 4.手術と傷害の関係について 5.「65万分の1」の確率 6.死人に口なし 7.竹下裁判控訴審の意義 4.手術と傷害の関係について 慶応大学放射線科医の近藤誠さんは乳房温存療法の草分けであり、過剰手術や抗癌剤、検診制度の危険性について警鐘を鳴らした医師として有名な方です。 「そもそも医師は人の身体にメスを入れても、一般の人と違って傷害罪に問われません。しかし、それには重要な条件があります。それは、その人の身体に病変がある場合に限るということです。 乳房を摘出された竹下さんの場合は、手術だったのでしょうか、それとも傷害だったのでしょうか。病変の証拠があれば手術、なければ傷害ということになります。 竹下さんは12月26日の診察で、触診、マンモ、エコー検査を受けています。 裁判が始まってから、小坂氏はマンモ(レントゲン写真)に「スピキュラ様所見が認められる」と主張しました。これに対して近藤医師はスピキュラはもとよりスピキュラ様所見さえ読み取ることはできないという意見書を提出しました。裁判所が鑑定を依頼した並木恒夫病理医も近藤医師と同じ内容の鑑定書を提出しました。 これで癌であった証拠はゼロとなりました。証拠がなければ、小坂氏の執刀は手術ではなく傷害です。 病院・小坂氏側にとって竹下さんが癌であったことを示す唯一の証拠は、92年1月7日の病理診断書でした。標準診断のところで説明しましたが、生検手術で切り取った組織は永久標本にし、病理医が診断します。「1月7日付の病理診断書」から解釈できるのは、東海大医局所属病理医の多田非常勤医(火曜日に清水病院に)が永久標本を診断して、診断書を書いたということです。 竹下さんはこの証拠を素直に認めることはできませんでした。 竹下さんがこの病理診断書の存在を知ったのは、証拠保全をしたときに手術の前日の日付に、これが「あった」というだけのことです。 竹下さんの心象風景とすれば、自分が癌だった証拠はどこにもなく、あるのは「多田所見」だけというものです。それだけで「あなたは癌だった」と小坂氏側から主張されても納得できないのは当然のことです。 話を元に戻します。 小坂氏が生検で切り取った組織を、清水病院の技師が永久標本にし、それを非常勤の多田病理医が癌と診断する。常識的に考えれば、竹下さんの永久標本が他人のものにすり変わるわけがありません。そうであれば、DNA鑑定の申し立ては「裁判をことさら長引かせる申し立て」と裁判所に受け取られてもしかたがありません。 ところが、前裁判長はこれを認めたのです。おそらく、多田病理医が診た永久標本は他人の永久標本ではないかという竹下さんの疑念を、裁判長も感じたからなのではないでしょうか。 順番としては、@DNA鑑定で「永久標本」にある組織が竹下さんものと一致したら、A「永久標本」に癌細胞があるかどうか病理鑑定をする-ことになりました。 裁判はミステリアスになっていきます。 |
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